職業指導研究室には、実は教官が1人しかいません。そのたった1人の教官が、自分の「人となり」がわかるような、幾つかの文章を書きためております。
滋賀大学に辿り着くまで出身は宮城県仙台市です。政令指定都市になってやけに大都市風になってしまいましたが、「杜の都」と称されるだけあって、緑が多い静かな街です。東北大学の教育心理学研究室で、学部と大学院時代を過ごしました。そこで学んだ教育心理学は主に発達心理学と学習心理学です。今の主たる研究領域となっている進路選択の心理学、職業心理学の他に、授業研究についての授業や演習でも興味深く学びました。また、研究の方法論を厳密に突き詰めることや、研究の意義として「教育に対して何らかの示唆を与えられること」が大切であることを学びました。自主ゼミや研究会・読書会が数多く開催され、授業以外でも学ぶ機会がたくさんあったことを感謝しています。研究上の興味領域は、こちらに紹介されていますが、その多くが在学中に自覚したものです。
滋賀大学に来てからの私
1995年の4月に、こちらに赴任しました。その後は、こちらのページでもご紹介しているように、職業指導(進路指導)の授業を中心としながら、生徒指導関連、心理学・統計学の講義、そして学校心理コースの学生さんの卒論指導をしています。毎年毎年新たな講義が増えていき、何年経っても新しい授業の準備に追われていたりします。
滋賀大学は小さな大学なので、心理学教室の先生も私を含めて5人という小所帯で、大学院も修士のみの課程なので、大学内だけで研究会・読書会がなかなかできにくいことは否めません。しかし、関西地区青年心理学研究会(こちらに案内があります)を始めとして、共同研究をしてくれる人たちにも恵まれ、少しずつネットワークができつつあります。
97年の10月から1年間、文部省の在外研究員としてアメリカに滞在しました。11ヶ月半の間、オハイオ州のコロンバスに滞在して、オハイオ州立大学のオシポウ教授にお世話になりました。遊びに行くところが少なく、クルマも買わなかったおかげで、勉強と研究しかすることがなく(笑)、だいぶいろいろなことを吸収できたと思います。
学内の仕事としては、専門がら、就職や進路関係の仕事が単発で入ってくる他に、入試運営の委員、およびコンピュータの力を買いかぶられて、情報処理センター分室の運営委員、そして2001年度は今をときめく(笑)入試の成績処理をする委員の責任者となっています。
「教育」心理学への思い
あなたのバック・グラウンドはと問われれば、「それは教育心理学です」と答えます。この答えには、まず「教育」への思いが込められています。ご存じのように、教育には問題が山積しています。学部の1、2年生の頃は、今も研究テーマとしている進路選択のテーマ以外に、当時「最盛期」であった管理主義教育やいじめに問題意識を持っていました。それは今でも、生徒指導関係の講義につながっています。ただ、生徒指導のための特別な指導があることも否定はしませんが、やはり日頃の授業もわかりやすく、面白くすることが、生徒から信頼され、授業に前向きに取り組ませる基本であると考え、授業研究がまず重要であると考えています。
また、上にも書いたように、教育心理学の研究であるからには、1回の研究では無理だとしても、一連の研究の流れのなかで、何らかの示唆を教育に対して与えられるものでなければならないと考えています。教育に対する問題意識である以上、何らかの゛願い″がその根底にあるはずで、研究者自身が取り上げているテーマに対して、「別に(現状から)どう変わろうとどうでもいい」と思っているとしたら、「じゃああなたはなんのためにその研究をしたの?」と問いつめたくなります。だから、その゛願い″があって研究をするわけですから、やはり明らかにしたことやそこからなされる考察は、ひいては「その問題を解決・改善するには、このことがヒントになるのではないか」ということがひとつでも言える研究でなくてはならないと思うわけです。
さらに、教育心理学を学んでいるからには、「相手にわかりやすく伝えること」にこだわりを持ちたいと考えています。「教育」とはつまるところ、話を聞かせる相手にこちらの話を理解させ、説得することだと思うからです。教育が行われる局面をあつかった心理学を学んでいるからには、「どうやったらよりわかりやすくなるか」を常に念頭に置き、心がけたいものです。こういうことを公言すると、「じゃあ、おまえの授業はさぞかしわかりやすいんだろうな」と言われそうで、怖いのですが。
「心理学」って難しい
心理学という学問くらい、学んだことのない人から誤解されやすい学問もないのでしょうけれど、「学ぶ」だけでなく、研究をしてみると、学ぶ前には想像できないくらい、難しい学問であることがわかります。なにしろ相手は、そのものは決して外から観察ができない「心」ですから、証明したい「事実」を証明することが、どれほどたいへんか。でも、だからこそ、誰にでもできることではないから、面白いんでしょうね。ただ、目にする論文の多くが、ほんの僅かな事実から、「そこまでは言えないだろう」というくらいの考察をしているのを見て、心を痛めることも少なくありません。心の問題とは、外から観察できないだけに、幾つも幾つも事実を積み重ねていって、ようやく言えることだと思うのです。
このことと関わりますが、心理学の研究で使われる尺度や検査には、随分杜撰なものがあるなあと痛感しています。特に調査用紙を使ってのデータ収集は、手軽にできると考えられているようですが、答える側にとってわかりやすくて答えやすく、なおかつ測定の妥当性と信頼性が十分であるという設問には、そう簡単にお目にかかることができません。私の研究室では、先行研究や予備調査結果を用いて、さらにそれに研究者自身の苦心を重ねて、作製におおよそ2ヶ月はかけた調査用紙でなければ、実施を許可していません。作り慣れた私にしても、何度目かの検討でようやく気づく落とし穴もあります。「実施する年齢の子に十分わかる明確な表現か(ふりがなの十分さも含む)」「価値を含んだ表現を使って回答を誘導しないか」「二重質問になっていたり、文末が否定表現で終わっていないか」「引き受けてくれる学校側にとって不適切な項目内容になっていないか」「回答してくれる子どもたちの心に良くない影響を残さない内容・表現か」「内容的に、聞きたい事柄を網羅しているか」などなど、チェックしなければならないことは数多くあります。しかし、ほんの20分程度とは言え、こちらがベストを尽くさない調査用紙への回答に時間を割いていただくというのは失礼ですし、何よりも調べたいことが調べられなくなる(研究が失敗する)ことが怖いです。調査用紙を使った研究は、データの採取は短時間で終わりますが、その分、あとでミスに気づいても完全に遅いのです。
コンピュータのこと
最初にコンピュータに触ったのは、学部の3年生のときでした。当時のパソコンを取り巻く状況は今と大違いで、まず学部生の身分でパソコンを買うなんて、高嶺の花もいいところでした。自分も欲しいなと思ってはみたものの、買えたのはシャープのポケット・コンピュータ(若い人は知らないでしょうね)。電卓のようなキーをポチポチ押して、簡単なプログラムを作ったものです。そう、今と違うことのもうひとつは、「パソコンを使う=プログラムを作る」ということでした。既製のソフトもそこそこ使えるものは10万円くらいするという、今では考えられない時代。授業で教わった他に、パソコン部屋によくいらした先輩のおかげで、BASIC言語はなんとか使い物になるくらい、習得することができました。プログラムが作れるということは、コンピュータをある程度は自分の思い通りに働かせられるという快感が得られるものです。まぎれもなく、趣味のひとつになってしまいました。趣味が高じて、「radon」(ラドン)というデータ集計のプログラムを1986年から自作し始め、今でもときどき手を入れて機能を追加したり、使いやすくしたりしています。これは、今でも当研究室の指導生が卒論のデータを処理する際にも使ってもらっています。
使っているコンピュータは、一世を風靡したNECのPC-9800シリーズ。ウインドウズも使えるマシンですが、実は今でも日常の仕事の9割にはウインドウズを使っていません。起動が遅く、動作も遅い。フリーズもしばしばという不安定さで、ハードディスクもメモリもやたら喰う…。ウインドウズでしかできないことをするときにはさすがに使いますが、そうでないときにはMS-DOSという、1991年くらいまで使われていたOSを使っています。上記の難点をすべてクリアするOSであると同時に、使い慣れて手に馴染んだアプリケーションがあることが、手放せない理由なのです。もしかしたら、興味を持つ人がいるかもしれないので、参考までに私の「道具」をご紹介しておきましょう(記号※を付けたものは、今でも購入可能です)。ワープロソフトは「松 ver.6」(管理工学研究所、¥58,000 ※)、テキストエディタは「Vzエディタ」(ビレッジセンター、¥9,700 ※)、プログラミング言語は「Quick BASIC」(マイクロソフト、¥20,000)、ファイラは「FD」(出射厚氏作のフリーソフト ※)、そしてデータ集計ソフトは自作の「radon」 ※。これで大抵の仕事が済んでしまいます。最近はこれにデータベースソフト「桐 ver.5」(管理工学研究所、¥98,000/廉価版で¥20,000 ※)が加わりました。