細見和之『アドルノ − 非同一性の哲学』(講談社 1996 年)によせて 藤野 寛 [001] とりわけ1983年の「アドルノ会議*」以降、ドイツにおけるアドルノ研究はとても充実し、研究書・二次文献にかんしても、おもしろいものを探し出すことよりは、つまらないものを避けてとおることの方に腐心しなければならない状況にある。たとえば、細見さんも36ページ以下で参照しておられるアドルノのモノグラフィー**が出版されたとき、tazという新聞の書評は「 Rolf Wiggershaus の "Die Frankfurter Schule***"、"Adorno****"があるにもかかわらずこんな本を出すことには何の意味もない」と断じた。(私はこのシャイブレの本も熟読に値するとても良い本だと思うのだが。) * Adorno-Konferenz 1983,hrg.v. Ludwig von Friedeburg und Juergen Habermas, Frankfurt am Main 1983. ** Hartmut Scheible: Theodor W. Adorno, Reinbeck bei Hamburg 1989. *** Rolf Wiggershaus: Die Frankfurter Schule, Muenchen 1988. **** Rolf Wiggershaus: Theodor W. Adorno, Muenchen 1987. [002] それに比べて日本の業界では、アドルノの名前を持ち出して何やらとても有り難そうな、しかし大抵は理解困難なお話しを繰り広げる、いわば「高踏・無形」なエッセイの類にはこと欠かないが、信頼して参照できる「基礎文献」となると、皆無に等しい。そんな中にあって、細見さんのこの本は立派な「基礎文献」たりえていると思う。(「基礎」という言葉にはいささかの否定的な意味もこめてはいない。)敬意を表したい。 [003] もちろん私は、この本を読みながら、様々に異和感をおぼえずにはいられなかった。しかし、細見さんがアドルノから受け取っておられるものへ違和の正体を突き止めようとする、まさにその作業を通して、私は自分がアドルノから受け取ってきたものは何かを確かめることが少しはできたのではないか、と感じる。以下では、その異和感を示し、その異和感にそくしていくつかの質問をしたい。 (一) 「肯定的なアドルノ」について [101] 私は長らくキルケゴールを勉強してきたが、ここ最近はもっぱらホルクハイマーやアドルノ、さらにはその周辺を読んでいる。長いキルケゴールとのつきあいの中で歪んでしまったと感じる自分の思考や傾向を矯正したいからだ。つまり、苦悩や分裂や絶望といったテーマにばかり淫するのではなく、幸福や快楽や愛についても自分なりに考えたい、と感じるからだ。こういうテーマについて考えようとすると、キルケゴールは参考にならない。それに対して、アドルノからは、幸福や快楽について何事かを感じ取り読み取ることができる。どれほど気難しい口調で希望のない話しばかりしようとも、アドルノは、幸福を知っていた、それも、たとえ精神的な幸福であろうとも同時にとても肉感的な仕方で知っていたのだ、と感じられる。ちょうど、彼と同じほど、いや彼以上に悲観的なものの見方をするフロイトから、にもかかわらず、快楽や幸福についてたっぷりと学ぶことができるように。あふれ出ようとする力、それも物質的な意味でそうであるもの −− フロイトの「エス」のようなもの −− がアドルノの中ではぐつぐつとたぎっているのではないか。強烈な快楽、深い幸福の体験があればこそ、それを不可能にするものに対する憤怒のように激烈な「批判」もなされえ、その否定性は彫りを深くするのではないか。(キルケゴールやニーチェと比べてみるとき、私には、アドルノの方が、客観的にはよほど幸福な生を送った人に感じられる。市民社会との破綻・亀裂の度合いも、よほど浅かったのではないか、と。「だから駄目だ」という気持ちは毛頭なしに。) [102] だからアドルノがゲーレンとの対談(喧嘩)の中で「わたしは客観的な幸福についての表象をもっています*」と啖呵を切っているのにぶつかっても、さほどの異和感はない。あるいは『ミニマ・モラリア』の中の「愛されているといえるのは、君が弱さを示しても、相手を挑発してつけ込まれるなどということがない、そういう場合だけである**」といった言葉もキルケゴールからは聞きたくても聞けない種類のものだ。 * Theodor W. Adorno und Arnold Gehlen: Ist die Soziologie eine Wissenschaft vom Menschen? Ein Streitgespraech, in: Friedemann Grenz: Adornos Philosophie in Grundbegriffen,Frankfurt am Main 1974. S.225ff. ** Theodor W. Adorno: Minima Moralia, in: Gesammelte Schriften, Band 4,Frankfurt am Main 1980, S.216. [103] 以上のような意味で、私にとっては、アドルノの魅力の少なくとも一面が −− 細見さんの言い方によれば −− 「肯定的な」アドルノにあることは、自明の事柄なのである。ただ、その点を説得的に描き出すことはとても難しいと感じる。その難しい仕事を細見さんは課題として掲げ、また、「どれほど所期の目的を達しているだろうか」(268)と自問してもおられる。私の印象では、けれども、この課題は、本書では、流通するアドルノ・イメージをはみ出すまでには果たされえていない、と思う。 [104] その「失敗」は、一つには、「細見さんのアドルノ」の中で、先にも名をあげたフロイトの演ずる役割りが随分小さいことに起因しているのではないか。実質的な議論の展開の中にフロイトが参加してくるのは、ようやく『美の理論』をめぐる論述の中でのことであり(235-237)、しかもこの一回にとどまる。いや、その前にもう一度、文化産業を論じる箇所(169-171)で、「昇華」にかんするアドルノの魅惑的な言葉を引用した上で、「この「美的な昇華作用の秘密」は同時に、アドルノの美学理論のもっとも奥深いところにある「秘密」でもあるだろう」と評されている。この秘密を秘密として放置せずにその正体に迫ろうとする試みの内で、例えば、「肯定的な」アドルノは、その姿をもう少し明らかに示し出してくるのではなかろうか。 [105] また、それにもまして、「新たな唯物論」というような視角からアドルノの哲学を解釈しようとするのであれば、フロイトには遥かに重要な役割りが帰されてこそしかるべきなのではないか。 (二) 「とりわけアドルノとベンヤミンの関係から」をめぐって [201] これは「まえがき」の中(1)にでてくる言葉である。細見さんが「とりわけ」この関係に注目されるのは、この関係こそアドルノ理解にとって最も重要だと解釈されるからなのだろうか。それとも、数ある重要な関係の中で、この本では(細見さんが興味深く思われる)ベンヤミンとの関係に焦点をあてるという、選択と断念の表明なのだろうか。もし後者であれば、私は異論はない。けれども、もし、前者だとすれば、大いなる疑問を感じる。例えば、すでに(一)でふれたフロイトの方がはるかに重要な存在ではないのか。それにもましてホルクハイマーこそ、アドルノにとって最も重要な存在だったのではないのか。ホルクハイマーについては、もはや、影響関係という言葉すら不適当だろう。細見さんも、『啓蒙の弁証法』について、「共著」の意味は「きわめて厳密に受けとめられねばならない」(135)と警告しておられる。アドルノ自身、二人の共同作業が中断を余儀なくされた時にこの中断を甘受することを拒否するために書き始められたという『ミニマ・モラリア』の献辞の中で、「これは内なる対話の証言である。それを書き止める時間を見い出した者だけでなくホルクハイマーにも属さないようなモチーフなど、一つとしてその中に見い出されはしない*」と二人の思想上の関係の内密さを告白している。例えば、アドルノ哲学の中心的モチーフだとされる「同一性思考」への批判というものからして、それが元来ホルクイハイマーのもので(も)あったことは、ホルクハイマーの1932年の「ヘーゲルと形而上学の問題」に記録されている通りである**。私はこう問わずにはいられない、「アドルノの哲学にあって、ホルクハイマーに由来するものでない、アドルノ独自のものなど、一体、どれほどあるのか」と。この本にそくして問うならば、『啓蒙の弁証法』を論じる第五章において、「著者たち」を主語としてすすめられる議論が「4 『美の理論』への通路」のあたりから、すーっと主語が「アドルノ」に変わってゆく、そのいつとも知れない移行において起こっているのは、一体、足し算なのか、それとも引き算なのか。また、例えば『否定弁証法』を論じる第六章のなかに、主語をアドルノからホルクハイマーに置き換えられない文章は、どれほどあるというのだろう。 * Adorno: Minima Moralia,S.17. ** Max Horkheimer: Hegel und das Problem der Metaphysik, in: Gesammelte Schriften, Band 2, Frankfurt am Main 1987. [202] ほとんどこれといえる仕事を残さなかった戦後のホルクハイマーと、極めて生産的にその主著のほとんどすべてを発表していった戦後のアドルノ −− この戦後のパースペクティブに惑わされてはいけないと思う。基本的には、三十年代にホルクハイマーが輪郭を描き出した批判的社会理論の軌道上で戦後のアドルノの仕事もすすめられた、といえば言い過ぎだろうか。逆にいえば、アドルノとは何者かを突き止めるためには、ベンヤミンからの影響関係を跡づける作業(この作業が重要でないというつもりは毛頭ない。特に細見さんも指摘しておられる(138)ように、ホルクハイマー自身もベンヤミンから影響され、彼を高く評価していたのであってみれば)よりも、ホルクハイマーとの、それこそきっととても微妙であるに違いない差異を浮かび上がらせる作業の方が、よほど重要であり、また前途有望なのでもないのか。細見さんも「両者の思想上の差異」(138)について問題にしてはおられる。しかし、それは「両者のこの本(『啓蒙の弁証法』)にたいする関与の度合い」(138)に限っての話しであり、しかも「やはり最低限確認しておく必要がある」(138)のだという。そんなに、小さな問題なのだろうか。細見さんにとっては、両者の差異はそれほどにも明らかで、両者によって共有されているものはそれほどにも小さいのだろうか。(細かいことを言えば、「基本的には社会科学的な文体で綴られたホルクハイマーの文章」(64)とか「ホルクハイマーがむかいがちな堅牢な概念の構築」(140)というような特徴づけには首肯できない。大方の学問的哲学論文の文体と対比すれば、ホルクハイマーの文章は、私にはずいぶん美的・文学的なものに感じられるのだが。) [203] そして、そう思って考えてみると、この作業をやっているのが他ならぬハーバーマスであること*に気がつく。両者を区別した上でアドルノに対して点数の辛くなるハーバーマスの評価を共有するかどうかは別にしても、少なくとも彼のアプローチそのものは注目・傾聴に値するのではないか。 * Juergen Habermas: Max Horkheimer: Zur Entwicklungsgeschichte seines Werkes, in: Texte und Kontexte, Frankfurt am Main 1991, S.91ff. (三) 「繊細・微細・微妙」といった特徴づけについて [301] アドルノの哲学の、文体のみならず、内容にまでおよんで細見さんが好んで用いられる特徴づけの言葉に「繊細・微細・微妙」といったものがある(例えば、80-81)。それは「ミクロロギーの視点」に由来するものだ、とも言われる。おそらくそうなのだろうとは感じつつも、ここは、私にはよくわからない点である。 [302] 私にとってはアドルノの文章の魅力は、鋭く激しい暴力性という点に殆どつきる。彼の発言なんて暴力的断言の連打ではないのか。曰く「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮だ!」「全体は非真だ!」「思惟とは同一化だ!」 [303] 実証主義に遠慮する業界の平均的哲学文体の横に、アドルノの文章を並べて比べてみるとよい。あげ足を取られることを極端に恐れ、間違っても人の神経を逆撫でするなどという愚行だけは犯すまいと汲々とする文章たちの間に、ほとんど、もっぱら読者の神経を逆撫ですることのみを心がけているような文章が、突如として出現する光景。しかも、一瞬「おや?」と思わせ、立ち止まらせるだけ、ではないのだ。「ナンセンス!」と言って一蹴してしまいたいのは山々なのに、それを耳にし目にした瞬間から、その言葉はもうわれわれを放してくれなくなる...細見さんは「アウシュヴィッツ...」の言葉にたいするエンツェンスベルガーの反応を紹介しておられるが(176)、こういう反発を呼び起こしてアドルノは「してやったり」とほくそ笑んでいたのではないか。 [304] もっとも、細見さんもアドルノの文章の特徴として「断定的命題の並記」(188)という点を指摘しておられる。では、「繊細・微細・微妙」という特性の方は、それにたいして、具体的に、例えば、どういうところに感じ取られるのだろうか。 [305] ちなみに、ある研究者はアドルノの文章を次のように評している。「アドルノの言葉は劇的に先鋭化されている。まるで、最もかすかな思考の動きにすら、破局か救済かが左右されているとでもいわんばかりに。アドルノの言葉を貫く原理は誇張である。*」この言い方は、私には、我が意を得たりと思えるものだ。要するに、アドルノは大層なのだ。それを「繊細さ」とみなすことは可能かもしれない。過敏さという意味で。ちょっとしたことに大騒ぎするアドルノ。もちろん、騒がない方こそ鈍感なのかもしれないけれど... * Dieter Birnbacher: Theodor W. Adorno: Negative Dialektik, in: Hauptwerke der Philosophie. 20.Jahrhundert, Stuttgart 1992, S.337. (四) ミクロロギーについて [401] この点にも直接関連して −− アドルノにおけるミクロロギーの意味の強調は、それだけでは一面的の謗りを免れないのではないか。つまり、彼の「全体化傾向」とでも呼ぶべきものを同時に視野におさめていない場合には。「全体は非真である」という言葉だけでなく、たとえば「トータルな罪責連関」だとか「トータルな眩惑連関」だとか、アドルノは、頻繁に「全体」について語っているのだ。それを否定的に捉えているからといって、全体化傾向であるという点そのものは変わらない。何故、また、どの地点から、彼は「全体」について語れるのか。 [402] 200ページの「アドルノは「全体は真ならざるものである」という立場にとどまり、あくまで個別的なものの微視的な探究を重視する」という言い方は誤りだと思う。全体が非真《だからという理由で》「あくまで個別的なものの微視的な探求」にとどまるというのであれば、それではキルケゴールと何らかわるところがなくなるではないか。それでは、「にもかかわらず逆説としての総合を信じる」とでも言わないかぎり、弁証法の破壊であって、「否定弁証法」とは言えないはずだ。問題は「全体が非真である《にもかかわらず》何故、部分に、細部に固執することが真理探求の営みでありうるのか」という点にこそあるのではないのか。つまり、そもそも「否定的弁証法」の問題とは、「全体=非真理」のテーゼと、部分がくまなく媒介されているという認識を前提しつつ、にもかかわらず、なお、希望について語れるのは、積極的な理論の構築ができるのは如何にしてなのか、という問題ではないのか。 [403] それに対する反応としては、まず第一に、全体の「外部」にドロップアウトする可能性が思い浮かぶ。実際、1968年の後に、コミューン運動に走ったりインドに旅したりした人は少なくなかった。しかし、アドルノは「全体的罪責連関」とか「全体的眩惑連関」といった言い方でまさにこの可能性を却下しているのだ。外部に避難所がないからこそ「全体」なのだ。では、第二に、現状体制(非真なる全体)の内部での部分的手直しを積み重ねていく、というのはどうか。しかし、そういう志向をすべて、修正主義あるいは改良主義と断罪して切り捨てる激しさがアドルノにはあり、それが彼の思考の魅力でもあることは否定しがたい。とすると、最後に残るのは、一種の「総替えの論理」とでも呼ぶべきもので、つまり、全面的な否定を肯定に逆転させようとするような「トータルな破局主義」ということになるのではないか。そういう「総替え」が政治的に可能だ、と信じる人は、例えば「内戦(破局)を革命に転化せよ」というようなスローガンを掲げるだろう。しかし、この世の中でのそういう「革命」の可能性を理論的に受け入れることができなくなるとき、人は「メシア主義」へと傾斜するのではないか。 [404] アドルノにそくして問うならば、彼のそういう「トータルな否定主義」とでもいう傾向と細部にこだわるミクロロギーとの関係はどうなっているのか。全体が虚偽であるにもかかわらず、しかも、部分は全体に媒介されているにもかかわらず、どうして部分(細部)に沈潜することが、否定的な現実からの逃避とはならず、希望につながるような何事かでありうるのか。もし、アドルノの「全体について語る人」という側面を軽視し、「細部に繊細に反応する人」という側面のみにスポットライトをあてるなら、彼は、単なる「気のきいた思いつき(洞察)の収集家」でしかなくなってしまうのではないか。さらにまた、アドルノがベンヤミンを「「弁証法」の欠如ないし不徹底」(114)の故に批判した、とされるのも、「否定的全体と部分との媒介関係」というこの論点にかかわってのことだったのではないか。               −−−−−−−−−−−− [405] 「細見さんのアドルノ」に対する異和感に発する質問は以上である。あと、アドルノ解釈一般にかかわって、この本を読みながらまたも抱くことになった問いを三点しるして、このコメンタールを終わりにしたい。 (五) 「「アウシュヴィッツ」以降」(113)について [501] アドルノについては、よく、その思想の生涯にわたる一貫性ということが指摘される。つまり、Wende とか Kehre とかいった経験が確認されない、という意味である。例えば、ヴェルマーは、1931年に「哲学のアクチュアリティー」を書いた28才のアドルノは既に「完成された哲学者」であるかのような印象を与える、と書いている*。つまり、彼の思考の決定的モチーフはすべて既にそこに出そろっている、というのである。細見さんもこの見解を共有しておられるように見受けられる(73)。ということは、アウシュヴィッツの経験ですら、アドルノの思想に対して決定的な断絶をもたらすものではなかった、ということになるのか。「アウシュヴィッツ以降」という、あたかもそこで人類の歴史に亀裂がはいったかのような物言いは、当のアドルノ本人の思想に対してだけは例外的にあてはまらない、という話しになるのか。 * Albrecht Wellmer: Adorno, Anwalt des Nicht-Identischen, in: Zur Dialektik von Moderne und Postmoderne, Frankfurt am Main 1985, S.139. (六) 「肝心なのはこの二つの「理解」が手を結ぶこと」(23)なのか? [601] ここに「二つの理解」とは「知的理解」と「ミメーシス的理解」を指す。ここから推測されることは、細見さんが  "Denken(Vernunft) − identifizieren(subsumieren) − Logik(Wissenshaft)     v.  Sinnlichkeit − sensibilisieren(differenzieren) − Aesthetik(Kunst)" という二元的図式を採用し、前者に知的理解、後者にミメーシスを対応させておられるのではないか、ということである。この解釈は一般に受け入れられている通説である、とも言えるだろう。 [602] これに対しては、シュネーデルバッハが、理性と感性の区別にそくしてではなく、理性そのものの内部にさらにノエシス的働きとディアノエシス的働きとを区別し、その区別にそくしてアドルノによる理性批判を解釈する提案をしている*。この区別は、理性の直観的働きと弁証法的働きとの区別、というふうに敷衍されていく。二元論を支える区別の境界線をずらしているにすぎない、とみなされかねないこの解釈をシュネーデルバッハがなすのは、アドルノによる理性批判を、理性に内在するものとみなし、理性の外部(例えば感性)に足場を置く批判から峻別するためである。仮にその意図を共有しないとしても、シュネーデルバッハの解釈の方が、例えば、弁証法をアドルノ哲学の中にうまく位置づけられるのではないか。「否定的な」弁証法を、にもかかわらず決して手離そうとしないアドルノのスタンスを、より整合的に説明できるのではないだろうか。(206ページにおいて細見さんは「アドルノは弁証法を神聖視も絶対視もしていない」という言い方をしておられる。「否定的弁証法」をいうアドルノが弁証法を絶対視していないことはトートロジー的に自明だ、と私には思われるのだが。) * Herbert Schnaedelbach: Dialektik als Vernunftkritik. Zur Konstruktion des Rationalen bei Adorno, in: Adorno-Konferenz 1983, S.66ff. (七) 最後に [701] 「ミメーシス的側面を継承する芸術は、発展すればするほど、知的理解を拒む一種秘教的なものへと自らを純化せざるをえない」(24)と言われる。芸術にかんする反知性主義的解釈、と呼べるだろうか。しかし、こういう解釈は、細見さん自身の「そのような「進歩」を「アヴァンギャルド」の精神の名のもとに断固として防衛すること、それはこれ以降のアドルノの音楽批評の基本スタンスをなすことになる」(47)というような解説と、うまく折り合えるものだろうか。つまり、前衛芸術が一般の人間には近づきがたい秘教的な性格をおびている事実は否定できないとして、その秘教性は、芸術の知的理解を拒むミメーシス的側面に由来するものなのだろうか。むしろ全く逆に、それが、あまりに知的になってしまっているからこそ、専門家以外には理解もまた享受も困難な代物になってしまっているのではないのか。実際、戦後の音楽シーンにあって、アドルノこそは、知的な営為としての現代音楽批評を自立したジャンルとして確立した当人なのであり、しかも、内容的にも、最も知的な音楽(ストラヴィンスキーではなく、ジャズではもちろんなく、例えばシェーンベルク)の擁護者でこそ、彼は、一貫してあり続けたのではなかったか。もし、単純に「理性とミメーシス」の二元論にたちその総合(和解)をめざして批評を展開していたのであれば、アドルノは、「進歩」の最前衛に位置しているとは言えない音楽にたいして、もっと寛容であってもよかったのではないか。意地悪く言うならば、ビーアマンならばいざしらず、アドルノは、ジャズを斥けたのと同じように、「ドナドナ」も音楽として認めなかったのではないだろうか。  この書評は、昨年の現象学社会科学会において(12月7日、龍谷大学)、著者の細見和之氏を招いて行われたシンポジウムで、口頭発表されたものである。 1997/09/15