シラー美学の位置付けに関する一考察 麻生徹 はじめに [0001] 一般的に、フリードリヒ・シラー(Schiller, Johann Christoph Friedrich von;1759-1805)は、ゲーテと並んで「古典主義」(Klassik)の作家と言われている。したがって、シラーの哲学的、美学的論文についても古典主義的であるという位置付けがなされることが多い。このような見解は、シラー美学が、変革期にあって動揺していた当時(1790年代)の社会に理想的人間性という範型を与えようとしたこと、さらに理想的な美の在り方として「道徳的美」(moralische Schoenheit)、「美しい魂」(schoene Seele)、「遊戯衝動」(Spieltrieb)などの諸理想を提示したということに注目している。確かにシラーの美学には、理性と感性とを融和させることによって、調和的人間性を志向するという面がある。さらに、シラーはこのような理想的状態が古代ギリシアにおいて実現していたと考える傾向を持っている。単に以上の点を考慮するだけならば、シラーの美学は名実ともに古典主義的であると言うことができる。このような解釈も、確かに一つのシラー美学解釈としては成立するかもしれない。 [0002] しかし、シラー美学を単なる古典主義美学として捉えることを疑問視し、ロマン主義やヘーゲル美学との親近性を指摘する見解も示されている(*)。このような見解は、半ば固定的になっているシラー美学の解釈に反省を迫るものである。 (*)例えば、シラー美学を古典主義とロマン主義との結節点に立つものとした西村清和の指摘(今道友信編、『講座 美学(1)---美学の歴史』所収、東京大学出版会、1984、147ff. 参照。以下、引用文献のページは数字のみで示す。)は、シラー美学にロマン主義的側面があることを認めたものである。また、四日谷敬子は近代的ポエジー確立への道という視点からシラー美学を捉え、ヘーゲル美学との関連を指摘している(『歴史における詩の機能---ヘーゲル美学とヘルダーリン』、理想社、1989、第2章第2節「近代的ポエジー確立の試み」参照。)。 [0003] 確かに、シラーの美学は古典的調和という理想を追求する点においては古典主義的である。しかしながら、シラー自身はそのような理想が《そのまま》(+)実現するとは考えていなかった。つまり、シラーが《現実に対して》調和的人間性という理想を語ろうとするとき、その試みは何らかの形で修正されざるをえないのである。例えば、「美しい魂」は「尊厳」(Wuerde)という形を取らざるをえないし、「遊戯衝動」もそのまま導入することはできず「仮象」(Schein)として実現するしかないのである。「素朴」(naiv)と「情感的」(sentimentalisch)という対立において、このような傾向はより明白な形で見出すことができる。近代詩人が目指すべきものは「情感文学」(sentimentalische Dichtung)なのであって、単にギリシア風の「素朴文学」(naive Dichtung)に立ち戻ることはできないばかりか、《許されない》ことなのである。このようにシラーの理想主義は、現実という局面に向かい合った場合、たえず動揺していると言える。つまり、現実に対するときのシラーの態度は単に《理想》主義的なのではないのであって、古典主義的な範型定立を第一義的とするというような単純な捉え方はできなくなるのである。ここにシラー美学の位置付けを再検討する余地が残されていると言うことができる。 (+)《  》は、その間の語句を強調することを意味する。 [0004] 本稿は、以上で示されたような問題意識に基づいて、シラー美学を再検討し、新たな位置付けを与えることを課題とする。その際、「古典主義」と対置されることの多い「ロマン主義」(Romantik)という概念に注目して考察を進めることにしたい。実際、シラー美学にはロマン主義との接点を感じさせる概念がしばしば出てきている。これについては後で細かく検討するが、例えば『素朴文学と情感文学について』(Ueber naive und sentimentalische Dichtung)における「情感的」という概念、あるいは『崇高について』(Ueber das Erhabene)における「崇高」(das Erhabene)の概念をあげることができるだろう。しかしながら、これらの概念が「古典主義」的であるのか、それとも「ロマン主義」的であるのかということについて、我々は検討を加えていかねばならない。そこで、第1章において、シラー美学について検討する前の準備作業としてドイツにおける「古典主義」と「ロマン主義」について、その基本的諸特徴を述べ、両者の相違点を明らかにしたい。次に、第2章において、上記二編の論文に加え『優美と尊厳について』(Ueber Anmut und Wuerde)について、その内容を示す。そして、第3章において、シラーの美学論文を(単なる「理想の提示」ではなく)「理想の《実現》」という視座から検討する。その際、考察の軸として、「崇高」「情感的」という概念に注目し、シラー美学について本稿独自の見解を提示することにしたい。最後に、第3章までの検討をもとに、シラー美学をどう位置付けるべきかという問に答えることにする。 1. 古典主義とロマン主義 [1001] 「古典主義」と「ロマン主義」については様々な見解が示されている。また、それらの関係についても対立的に捉える視点と連続的に捉える視点という、相互に対立する二つの視点が示されている(*)。また、「古典主義」「ロマン主義」という概念はヨーロッパ全体で用いられているが、国ごとにその用法が異なっている。したがって、混乱を避けるために、以下、本稿において問題にするのは、ドイツにおける「古典主義」「ロマン主義」と限定することとする。 (*)例えば、「古典主義」と「ロマン主義」を連続的に捉える視点はコルフ、ペーターゼン、ベンツらによって、また、対立的に捉える視点は後述するようにシュトリヒによって示されている。 [1002] 最初に「古典主義」と「ロマン主義」との関係を対立的に捉える視点と連続的に捉える視点が存在することについて一言述べておこう。そもそも、なぜこのような対立する二つの見方が生じるのだろうか。まず一つの理由としては、「古典主義」という概念と「ロマン主義」という概念が様々な内包を持っていることがあげられる。つまり、これら二つの概念は、より一般的には歴史的概念として使われる(「古典主義」の時代が「ロマン主義」の時代に先行する、などと言う場合)が、同時に様式の概念としても使われる(文学や美術、音楽において「古典主義」「ロマン主義」と言う場合)ことがあるし、さらには精神類型として使われる(例えば、「古典主義は健康で、ロマン主義は病気だ」(ゲーテ)と言うような場合)こともある。また、これらの要素をすべて含むような形で総称的に「古典主義」「ロマン主義」と言われることもある。「バロック」などの純粋な様式概念と「古典主義」「ロマン主義」の概念が異なるのはこのような点である。そして、「古典主義」「ロマン主義」という二つの概念の持つ曖昧さが、両者の関係を定義付ける際にも影響を及ぼす。例えば、両者を歴史的概念という側面から捉えれば、その性質を単に対立的に捉えるだけではなく、(時間的に両者が連続していることから)連続的に捉えるような見方も成り立つ余地があるわけである。総称的にこれらの概念を用いるならば、さらに混乱が深まるのは当然のことと言えよう。 [1003] また、第二の理由は「ロマン主義」の側の問題である。「ロマン主義」の定義は「古典主義」にもまして曖昧である。そこで、「ロマン主義」を定義する際に、「ロマン主義」内部でのタイプを分類することでより明らかな定義付けをしようという試みがなされてきている(*)。このような区別は多くが歴史的観点からなされたものであるが、おおむね、初期ロマン主義は前世代を継承するもの、後期ロマン主義は反動的なものであるとされる。しかし、このような試みも「ロマン主義」の全貌を明らかにするには至っていない。かえって、「ロマン主義」の内部に矛盾をもたらすような二つの区分を設けることで、混乱が深まった感さえ与えるのである。ただし、「ロマン主義」《そのもの》にこのような混乱の原因があるのも事実であろう。「古典主義」と「ロマン主義」の関係に関する対立した二つの見方が生ずるのは、「ロマン主義」の側の問題が大きく影響しているためと考えられるのである。 (*)例えば、初期ロマン主義と後期ロマン主義との区分、第一世代のロマン主義と第二世代のロマン主義との区分などはその例である。ただし、このような区分はロマン主義と啓蒙主義との関係から論じられることが多い。 [1004] 本稿においては、漠然と「古典主義」「ロマン主義」という言葉を使うのではなく、精神類型を示す概念としてこれらの術語を用いることにする。そうすることによって、この両概念の個々の特色をはっきりと示し、両概念の相違点を明らかにすることができると考えられるからである。考察の基本的な方向性をこのように定めた上で、「古典主義」と「ロマン主義」のそれぞれについて、さらに細かく検討していくことにしよう。 1.1 古典主義 [1101] 「古典主義」の概念について様々な定義がなされているということは前述のとおりである。ここでは、まず「古典的」(klassisch)という言葉が何を示すのかを、既に示されている定義の一部を用いながら明らかにすることから始めたい。そして、「古典主義」が何を目指したのかについて考察し、そこから「古典主義」の定義を導出することにする。 [1102] まず、「古典主義」における「古典」とは古代ギリシアであり、したがって「古典的精神」の源泉は古代ギリシアの精神であるとする定義がある。大西克礼はゴムペルツのギリシア人の精神的特徴を論じた論考をもとにして(*)、次のように「古典的精神」の特色をあげる。「全ての生活分野において常に節度を尊び、均衡と調和を重んじ、本能や空想や感情の過度に走り、極端に流れることを嫌ったその精神態度……こそは、後世ドイツの「古典主義」者等の教養の理想であったとともに、その理想はまた彼らの精神生活の中に実現されたところであった」(**)。大西によれば、「「人間」を中心として「世界」を考え、また人間の理想境を完全なる「調和」の状態に認めていること」(***)が究極的な「古典的精神」なのである。 (*)大西は次のように述べている。「ゴムペルツは、ギリシア・ローマ人の精神的本質を論じて、そこに二つの特性を指摘している。一つはギリシア・ローマ人が事物の差異と類似とを認識する特別に鋭い感覚を有したこと、また一つは彼らがまったく特別な感情の強さを有していたことであるという。……この第一の特性からギリシア・ローマ人の知的学術的文化の発達が由来し、第二の特性から……彼らがついに確固不変の政治的形式や、統一的総合的の国家生活の形式に到達しえなかった弱点が由来すると論じ、しかも彼らの優れた知性は、その強烈なる感情の力を自然のままに放任することの危険を感じて、巧にその種々の本能的感情を制御し、緩和し、それらを互に調和させ、均衡を保たしめて、以てその生活を全体として調和的に形成することを可能ならしめたところに、正にギリシア・ローマ的精神の本質があるという意味のことを論じている」(大西克礼、『浪漫主義の美学と芸術観』、弘文堂新社、1968、399. なお、本文中の旧カナ使いは改めてある。以下、同様。)。
(**)同 399f.
(***)同 400. [1103] さらに、F.シュトリヒは「完成」と「無限」という、永遠性に関する二つの根本概念を示した上で、前者を「古典的精神」の特徴、後者を「ロマン的精神」の特徴としている。シュトリヒによれば、精神が体験を形成するのは、時間・空間および直観の諸形式においてである。しかしながら、このような形式は、「完成」と「無限」という根本概念のどちらを選択するかを求めて、精神の内部に「悲痛な矛盾」を生み出す。シュトリヒは、この「悲痛な矛盾」に対して「古典的精神」がどのように対処しようとしたかについて、次のように述べている。「時間・空間のもつこの矛盾を解消し、調和へと導くことができる精神は、古典的精神である。……というのは古典的人間は、永遠なもの、つまり自分にとって完成しているものを、すでに時間の経過のさなかに、つまり生の流れのさなかに体験し、形成しうるからである。時間と永遠性は古典的人間にとって矛盾ではない。永遠なるものはすでに時間の内部に存在するからである。……古典的人間は自分の理想を実現するために、時間に制約された生や経験の限界から離れる必要はない。彼は時間の流れから、永遠に静止する形象を把握しうるし、しかも生にたいし、経験にたいし、現実世界にたいし、誠実な市民のままとどまることができる。彼はこの世界の限界から離れて外の世界へ憧憬を抱く必要はない。この世界の内部自体において、完全な自己実現と自己完成が可能だからである」(*)。 (*)F.シュトリヒ(加藤鷹二訳)、『ドイツ古典主義とロマン主義、あるいは完成と未完成』(抜粋)(H.O.ブルガー編、相良守峯監修『ドイツ古典主義研究』所収、エンヨー、1979、 173f.) [1104] 以上の「古典的精神」の定義から、その特徴を取り出してみれば、調和を保っていること、静的であること、完成されていることがあげられる。また、これらの諸特徴を古代ギリシアに認め、そこに理想を求めるのが「古典的精神」の最大の特性であると言えよう。そこで、次に典型的な古典主義者と考えられるヴィンケルマンを取り上げ、彼の著作に現われている「古典的精神」を検証してみよう。 [1105] ヴィンケルマンの著作が古典主義的な精神の醸成に大きな役割を果たしたことは、文芸史家・美術史家が広く認めるところである(*)。本節では、彼の主著である『絵画及び彫刻芸術におけるギリシア作品の模倣についての考察』(以下、『ギリシア芸術模倣論』と記すことにする)と『古代美術史』について、その概略を示すことにしよう(**)。 (*)例えば、美術史家のK.クラークは次のように述べている。「1755年、卓越した資質に恵まれた最初の美術史家であるヴィンケルマンが、『ギリシア芸術模倣論』と題する本を刊行したが、これはやがて、古典主義の聖書とも言うべきものとなった」(K.クラーク(高階秀爾訳)、『ロマン主義の反逆』、小学館、1988、34.)。
(**)ヴィンケルマンの芸術論をまとめるにあたって用いた参考文献は、以下のとおりである。(1)E.H.ゴンブリッチ(下村耕史・後藤新治・浦上雅司訳)、『芸術と進歩』、 中央公論美術出版、1991.(2)L.ヴェントゥーリ(辻茂訳)、『美術批評史』、みすず書房、1963. [1106] ヴィンケルマンにとっては、古代ギリシアの諸作品のみが完全性を有する芸術であった。E.H.ゴンブリッチによれば、『ギリシア芸術模倣論』は「何よりも時代の堕落を告発し、いまだ軟弱化に陥っていない文化状態へのあこがれを表明したものだった」(*)。ヴィンケルマンは、この著作において「高貴な単純さと静謐な偉大さ」という有名な理念を提示し、ギリシア芸術の本質を規定した。この理念によって彼が試みようとしたのは、ギリシア芸術の本質における固有のもの、至高のものを捉えて特徴付けることであった。この理念は、単に芸術様式について規定しているだけではない。ヴィンケルマンは、ギリシア芸術の中に理想的な魂や人間性を見出しており、その意味でこの理念は倫理的な性格を持つと言える。 (*)前掲『芸術と進歩』、25. [1107] 以上のようなギリシア芸術への傾倒は、1764年の論文『古代美術史』において、さらに鮮明になる。すなわち、ヴィンケルマンは、この論文の中で古代ギリシアの芸術を「古い様式」「崇高様式」「美しい様式」「模倣の様式」へと四区分し、この区分をルネサンス以降の近代芸術にも当てはめている。ヴィンケルマンによれば、芸術は「古い様式」から「崇高様式」を経て「美しい様式」へと発展し、「模倣の様式」において没落するというサイクルを持つ。「古い様式」は力強いデッサンを有するが、硬直性に支配されており、そこには優美さはない。一方、「崇高様式」は硬直性は残るものの、より大きな自由さと高貴さがある段階である。そして、発展の最終段階である「美しい様式」において、初めて硬直性が消えて優美が獲得され、完全性の精髄が示されるのである。ヴィンケルマンはこのうち、「崇高様式」と「美しい様式」をともに賞賛している。「崇高様式」にはフェイディアス、ポリュクレイトス、あるいはラファエロ、ミケランジェロが、「美しい様式」にはプラクシテレス、アペレスが区分され、盛期ギリシアと盛期ルネサンスの巨匠達がみなこの両様式に区分されている。また、ヴィンケルマンは彼らの中に理想的な人間性を求めようとする。彼らの作品において具現されている高貴さや優美さこそ、理想的美であり、理想的魂の表現なのである。『古代美術史』において、芸術作品の背後にある高度な精神性、あるいはその倫理性によって古代ギリシアや盛期ルネサンスの芸術は、堕落した現代芸術から明確に区別されるのである。 [1108] このように、ヴィンケルマンはギリシア芸術に道徳的完全性を認め、そこに人間の理想を求める。ヴィンケルマンの芸術論では、ギリシア的美が前面に押し出され、それが理想化されている。彼にとって、ギリシア的な調和や完全性が絶対的基準なのである。我々はこのような態度の中に古典主義の精神的特徴を認めることができるのである。 1.2 ロマン主義 [1201] 先に述べたように、「ロマン主義」の概念を明確に規定することは非常に困難である。そこでまず、「ロマン的」(romantisch)とは何かということから定義していこう。 [1202] 「ロマン的」という言葉が、もともと中世のロマンス(陰謀や冒険を描いた空想的物語)を指したものであるということ---すなわち、現実離れし感傷的なもの《一般》を指したということはよく指摘されるところである。例えば、ルネ・ウェレックは、このような指摘がなされているということを述べている(*)。ウェレックによれば、「ロマン的」という言葉は17世紀のイギリス、フランスにおいて初めて使われたが、そのときから一貫して中世ロマンスの意味を持ち続けていた。「ロマン的」という言葉がドイツにおいて使われるようになってからも、このような傾向が見られる。つまり、「ロマン的」という言葉には、古典古代に源流を持つ文学とは異なった文学、という意味が含まれているのである。このような「古典」文学との対比という伝統的用法が、シュレーゲル兄弟によって示された「古典主義」と「ロマン主義」を対立させる視点を形成するのである。 (*)『西洋思想大事典』、平凡社、1990、第4巻639ff. [1203] 以上で示されたように、「ロマン主義」は「古典主義」に対する概念として登場した経緯がある。このことを念頭において、我々は再びシュトリヒの「完成」と「無限」という根本概念に戻り、ロマン主義の特徴について論じることにしたい。シュトリヒによれば、「ロマン主義的精神」とは「無時間の完成された形象ではなく、時間の無限の旋律を体験し、形成しようとする精神」(*)である。「その精神は、生と体験とにたいし解消しがたい矛盾におちいる。この精神が現実に体験する時間は、無限ではないからである。……この場合、無限と思われているものは、ただ永遠の死に過ぎず、静止することなく、次から次へと献上する生の犠牲であり、永遠に続く消滅である。……この精神は、生と経験の世界を離れて、時間・空間の諸形式の彼方にある無限性の世界に、自己救済を求めざるを得ない」(**)。このようなロマン的な無限性の希求を適切に語ったのが、Fr.シュレーゲルの『アテネーウム断片』(116番)における次の部分である。「ロマン主義文学はまだ生成の途上にある。それどころか、永遠にただ生成しつづけていて、けっして完成することがないというのが、ロマン主義文学に固有の性質なのである。……ロマン主義文学のみがひとり無限であり、ひとり自由である」(***)。また、Fr.シュレーゲルの思想的根幹をなした、永遠に自己の内部における矛盾を見つめ続けながら、究極的にその矛盾から脱出できないという、あの「ロマン的イロニー」はその典型的な例である。ネガティヴに言えば、「ロマン的イロニー」に現われた永遠性は矛盾そのものでしかない。しかし、ポジティヴに評価するなら、それは限りない進歩発展を約束する試みということができるのである。 (*)F.シュトリヒ、『ドイツ古典主義とロマン主義、あるいは完成と未完成』(抜粋)(前掲『ドイツ古典主義研究』所収、174.)
(**)同、174.
(***)Fr.シュレーゲル(山本定祐編訳)、『ロマン派文学論』所収、冨山房百科文庫17、1978、44. [1204] これは先に検討したギリシア的調和、あるいは完全性によって永遠というものに答を与えようとする「古典主義」の精神と著しい対照をなしている。ロマン主義者も調和や統一性を求めようとしたことは確かである。しかしながら、それは古典主義者が志向したようなギリシアという《規範》への回帰を目指すような調和ではなく、無限なものとの調和、総体性あるいは全体性の希求とでも言ったほうがよいようなものであった。例えば、ノヴァーリスは、創造的想像力を発揮することによって、自然と精神を同一化しようとする「魔術的観念論」の構想を示し、世界との内的・全体的調和を成就しようとした。また、文学以外の芸術においては、カスパー・ダヴィード・フリードリヒが、絵画を通じて自然やその背後にある神性との合一を求めた。さらに、シェリングは小論「世界霊について」で、諸原理の有機的統一を要請している。「諸原理の統一は、個々の作用の無限の多様性を経て自己自身に帰着するのでないかぎり、充分なものといえない」(*)のである。 (*)シェリング(神林恒道訳)、「世界霊について」(薗田宗人・深見茂編、『ドイツ・ロマン派全集(9)---無限への憧憬』所収、国書刊行会、1984、105.) [1205] このような全体性要求によって、究極の理想として求められたのは、最終的には超自然的なものであった。この超自然的なものとは何かについても解明する余地があるが、それは本稿の主旨ではないため、ここでは保留しておこう。しかし、正に超自然的なものを求めたという点にロマン主義が現実から逃避し、いわゆる非合理主義的傾向を強めていったという事実を見出せるであろう。 [1206] ところで、この非合理主義的傾向についてはロマン主義的精神のもう一つのモティーフとしてあげられることが多い。ただし、同じ非合理主義といっても、これは「シュトルム・ウント・ドランク」のような盲目的な反合理主義、反啓蒙主義とは区別する必要がある(*)。「ロマン主義」は、理性や悟性を全面的に排斥するものではないのである。この点は、Fr.シュレーゲルの次のような言葉によって裏付けることができるだろう。「ふつう理性と名づけられているものは、その一ジャンルにすぎない。すなわち薄められた、水っぽい理性。だが濃密で火のような理性も存在する。これこそが機智を機智たらしめるものであり、堅牢な様式に弾力性と電気を与えるものである」(**)。また、「魔術的観念論」によってロマン的自然観を提示したノヴァーリスは、鉱物学に関して当時としては最先端の科学的知識を持っており、「科学の聖書」を作ろうとした。このことも、典型的なロマン主義者だったノヴァーリスが、偏狭な理性排除主義には陥っていなかったことを裏書きするものである。彼らは全面的に理性に反対するが故に非合理的な教説を述べたのではなく、啓蒙的知性の一方的な伸長を恐れたために、このような態度に向かったことを理解しておかねばならない。 (*)シュトルム・ウント・ドランクとロマン主義との関係についても、(1)その共通点に注目する見解と、(2)共通点は認めるが、むしろ両者の異なった側面に注目する見解の二種類がある。例えば、若きゲーテのシュトルム・ウント・ドランクがロマン主義と同様の精神性を持つと言われるような場合が、前者の例である。このように精神性という局面に注目した場合、前者の見解を採用する傾向がある。しかし、シュトルム・ウント・ドランク---古典主義---ロマン主義という流れに注目した場合---すなわち、歴史的側面に注目したような場合は、シュトルム・ウント・ドランクとロマン主義をまったく同一であるとするのではなく、両者の相違点にも注目することになる。一般的な傾向は以上のとおりであるが、精神性という側面から考えた場合でも両者は区別したほうがよいと思われる。というのは、シュトルム・ウント・ドランクが単に18世紀の啓蒙に見られる科学的合理主義への反動であったのに対し、ロマン主義は非合理主義的側面を持ちつつも、単なる反合理主義ではなく、合理主義をも含めたより総合的な精神運動であったと考えられるからである。本稿では、このような立場に立って、シュトルム・ウント・ドランクとロマン主義をはっきりと区別したいと思う。
(**)Fr.シュレーゲル、『リュツェーウム断片』(104番) (前掲『ロマン派文学論』所収、30.) [1207] 当然、ロマン主義者が求めたような無限との調和には絶対的規範は存在しえない。したがって、古典主義者が求めたような規範的な調和を実現しようとすることは、ロマン主義者にとっては嫌悪すべきものであり、また虚しい努力でしかないのである。例えば、Fr.シュレーゲルは古典的な規範を絶対視しようとする試みをシニカルに突き放す。「すべての古典的文学ジャンルは、きわめて厳正に見るならば、今や笑うべきものである」(*)。また、彼は古典的規範を範型としようとする試みの欺瞞を告発して、次のように言う。「人びとは依然として古代人のなかに、みずからが必要とし、望んだものだけを見つけ出している。つまりもっぱら自分自身の姿を」(**)。ロマン主義者は絶えず調和を求めるが、決してそこにたどりつくことはない。彼らの求めた調和や統一性は、古典主義者の求めた規範的な調和とはまったく異質のものなのである。 (*)Fr.シュレーゲル、『リュツェーウム断片』(60番) (前掲『ロマン派文学論』所収、28.)
(**)Fr.シュレーゲル、『アテネーウム断片』(151番) (前掲『ロマン派文学論』所収、49f.) [1208] この無限との調和という性質から、「ロマン主義」は必然的に動的性格を持たざるをえない。ある段階にとどまっていては目標には到達できないからである。だが、その動的性格ゆえに、「ロマン主義」はまた決して目標には到達しえない。すなわち、「古典主義」のように完成することは決してないのである。自らの規範を古代ギリシアに定め、それを実現することによって、「古典主義」は完成と落ち着きを得られる。しかし、「ロマン主義」の場合、規範的調和を求めることはもはや不可能なのである。ネガティヴに言えば、ロマン主義者は無限の憧れを追い求めてさまよい歩くことになった。 [1209] また無限性を希求するという特質ゆえに、ロマン主義的精神は現実世界と理想との乖離を無理矢理にでも意識せざるをえないという、自己の存在にかかわる大きな問題を抱えることになった。この点もロマン主義の大きな特色の一つである。 [1210] 小野紀明はヘーゲルの「不幸な意識」という概念を用いながら、ロマン主義的精神の矛盾が自己分裂から派生するものであることに言及している。小野はロマン主義的精神に見られる「不幸な意識」を「「世界」との調和を喪失した自己意識一般」(*)と解釈した上で、次のように言う。「「不幸な意識」においては、特殊者の間断なき変化の相の下に置かれた「世界」を志向する部分と普遍者の住まう永遠の領域を志向する部分との間に分裂が生じており、両者は絶え間ない葛藤状態にある」(**)。このような葛藤の状態から、現実世界と理想的世界の「二元的世界観」が生じる。これこそが「ロマン主義」の抱えていた矛盾である。このような自己分裂が生じた背景として、小野は近代合理主義によって伸長してきた幾何学的、分析的知性が理性と感性を乖離させ、認識論的不調和を招いたことをあげる。すなわち、ロマン主義的精神が露呈した自己矛盾は、言わば「近代的自我の苦悩」であるというわけである。ロマン主義的精神を近代的特性と結び付けた小野の考察は、注目すべきものであろう。 (*)小野紀明、『フランス・ロマン主義の政治思想』、木鐸社、1986、8.
(**)同 8. [1211] ロマン主義が孕んでいたこのような矛盾は、同時にそこに宿っていた病でもあった。この病から多くのロマン主義者が不幸を通り越して絶望へと至るのである。H.G.シュンクは「ロマン的精神」のニヒリスティックな「世界苦」について詳細に検討し、多くのロマン主義者が虚無の深淵に惹かれ、挙げ句の果てに死滅への願望を持つに至ったことを論じている(*)。シュンクによれば、「ロマン主義的なニヒリズムは、実際にはいかなる種類の希望も信念もまったくないというのではないことがわかる。……彼らは虚無そのものをかたく信じていた。彼らが他のいかなる希望ももっていなかったとしても、それでもまったくの消滅は待ち望んでいた」(**)。 (*)シュンクは、ロマン主義者の「世界苦」を信仰と不信仰という相矛盾する二つの感情を対立軸として設定することによって解明しようとする(H.G.シュンク(生松敬三・塚本明子訳)、『ロマン主義の精神』、みすず書房、1975、第二部「ニヒリズムと信仰への希求」参照)。
(**)同 83. [1212] 古典主義の定義において、我々は古典主義者が古代ギリシアにその範型を求めたということを確認した。これに対して、ロマン主義者は範型を喪失してしまったのである。小野の考察によれば、それが近代的自我の特性ということになるのだが、このような見解に従えば、ロマン主義者は近代人の精神状態を暴露したと考えられるのである。 [1213] これまでの考察から、精神類型としての「古典主義」と「ロマン主義」とがはっきりと対立するものであるということが明らかになった。すなわち、規範的調和、静的、完全性という「古典主義」の特質に対し、「ロマン主義」は無限との調和、動的、(ネガティヴに言えば不完全性であるが)未完全という特質を有するのである。 2. シラーの美学論文 [2001] 本章では、シラーの美学論文のうち、(1)『優美と尊厳について』、(2)『崇高について』、(3)『素朴文学と情感文学について』の三編を取り上げる。この三編の論文は、シラーの思想の変遷を追っていくのには最適であると考えられ、実際にシラーの代表的な美学論文として議論されることも非常に多い。以下、これらの論文の内容についてまとめることにする。 2.1 優美と尊厳について(Ueber Anmut und Wuerde) [2101] この論文の冒頭において、シラーはギリシア神話に見られるような「優美」(Anmut)とは「随意的運動での、魂の……美しい表現」(AW 235)(*)であると定義し、優美一般について具体例をあげ簡単に説明した後、優美についての哲学的考察を進める。まずシラーは、単に自然の必然的法則にしたがって作られた美を「構成美(構造の美)」(architektonische Schoenheit)と名付ける。構成美は、単に自然の力のみに規定される美なのである。 (*)本稿において使用したシラーの美学論文のテキスト、およびその引用方法についてここにまとめておく。原書テキストは Friedrich Schiller Saemtliche Werke,Band 5---Philosophicshe Schriften,Vermischte Schriften,Winkler Verlag Muenchenを用い、また邦訳テキストとして、『シラー選集(2) 論文』(新関良三編、冨山房、1942.)および『美学芸術論集』(石原達二編訳、冨山房、1977.)を用いたが、訳語については一部改変した箇所がある。引用文の後には引用したシラーの論文を表わす略記号を付けることとするが、それぞれの略記号は、AW=Ueber Anmut und Wuerde(『優美と尊厳について』)、E=Ueber das Erhabene(『崇高について』)、NS=Ueber naive und sentimentalische Dichtung(『素朴文学と情感文学について』)、EM=Ueber die aesthetische Erziehung des Menschen(『人間の美的教育について』)を表わす。また、略記号の後に原書の該当ページを記すことにする。 [2102] しかしながら、人間は自然物であると同時に一つの人格であり、精神によって諸々の事柄を決定していく。したがって、単なる構成美は人格の美とは言えない。人格の美については別に定義されなければならない。ここでシラーは、「優美」こそ人格の美であると定義付ける。構成美は自然の、優美はそれを所有する人間の業績となる。つまり、優美は自然が人間に与えた美ではなく、人間自身が努力した結果生み出される美なのである。 [2103] ところで、人間は現象としてはあくまで感覚の対象である。したがって、道徳的感情も美的感情もともに犠牲を強いられることなく、満足されなければならない、ということになる。シラーはここで道徳と美を両立させなければならないという困難に直面する。つまり、感覚界の外に根拠を持つ道徳的運動と感覚の内に根拠を持つ美を結合することは、それ自体明らかに矛盾であるかのように見える。この矛盾を除去するためには、精神がその中の道徳的状態を熟達させることによって、美が出来上がる《素地》を提供すると考えるしかない。もちろん美を形成するのは感覚的条件、すなわち自由な自然の作用であって、道徳の作用ではない。しかし、自然自体が自由であるわけではないのである。したがって、美が発現する際の自由は、《精神の側からの許容》であると考えられる。優美も道徳的なものが感覚的なものに与える恩恵であると言えよう。つまり、人間の感覚的部分の持つ本能が理性的部分の持つ諸法則と調和して、両者が合致するときに、優美が発生する。そして正に優美が発生するそのことによって、道徳と美との対立が克服されるのである(*)。こうして、シラーは「美しい魂」(shoene Seele)の概念を提出する。道徳感情が、意志の指導を安心して情緒(Affekt)に委ねることができ、かつ意志の決定と矛盾することがなくなる程度までに人間の諸感情を保障したとき、それは「美しい魂」とよばれる。「美しい魂」においては、個々の行動ではなく性格全体が道徳的であり、感性と理性、義務と傾向が調和している。「優雅」(Grazie)は現象における「美しい魂」の表現である。そしてこの魂こそが、「構成美」を「優美」にまで高めるのである。 (*)シラーがカントと異なるのは正にこの点である。シラーは道徳の概念そのものには傾向の入り込む余地はないとしているものの、人間の道徳的完璧は、正に道徳に傾向が参与していると考えることを前提としなければ解明できないとし、人間は傾向と義務を合致させてよいのみならず、積極的にそうすべきであるとまで言っている。シラーによれば、カントは傾向と義務を明確に分けすぎてしまったために、その意に反して単なる禁欲主義者という誤解を招く恐れを生み出してしまったのである。 [2104] しかしながら、この「美しい魂」は「理念」(Idee)であり、いくら努力しても完全に到達することはできない。なぜならば、人間は自由でありつつも、結局は自然衝動に支配されずにはいられないからである。しかし、人間は意志を持っている。人間の意志は理性の法則に対して義務を負っている。つまり、本来的に反自然的なものなのである。情緒が理性の法則と合致するためには、自然の要請と矛盾をきたさねばならない。したがって、情緒の中では、「美しい魂」は単なる「美しい魂」ではなく、「崇高な魂」(erhabene Seele)へと変えられなければならないのである。このように「崇高な魂」へと《必然的》に変化するということが、単なる「気質的徳性」(Temperamentstugend)から「美しい魂」を区別する試金石である。「気質的徳性」においても傾向と道徳とは合致しているが、それは《偶然的》に合致しているにすぎない。したがって、情緒においては、それは単なる自然の産物にまで下降してしまうのである。これに対して「崇高な魂」においては、傾向と道徳とが《必然的》に合致するのである。このことを受けて、シラーは次のように述べる。「道徳力による衝動の支配が、精神的自由なのであって、尊厳(Wuerde)とは、現象におけるその自由の表現を言うのである」(AW 271)。 [2105] こうして、精神においては、「尊厳がその表現でなければならない」(AW 273)ことが明らかになる。シラーは続いて、尊厳と優美について考察している。傾向が尊敬を得るためには、尊厳が求められる。逆に徳性には優美が要請される。なぜならば、人間性は単なる傾向に支配されることを受け入れないが、しかし単に道徳の要請に黙従するものでもないからである。傾向と道徳的要請とが調和した完全な人間性を実現するためには、尊厳と優美が相補的な役割を果たさねばならない。シラーはそのような完全な人間性の表現とは、ベルヴェデーレのアポロンのように、優美と尊厳が、前者は構成美によって、後者は力によって支えられ、同一人物中に融合しているような表現である、としている。 [2106] 優美と尊厳が融合するとき、我々は精神的存在として好感を、感覚的天性の持ち主として嫌悪を感じる。尊厳においては、感覚的なものを道徳的なものの支配下におくことが要求される。この要求は我々の内部に葛藤を引き起こし、必然的に尊敬とよばれる感情を引き起こす。一方、優美においては、理性の要求は感官において満たされているので、我々の内部には好感(愛情)という感情がよび起こされる。このうち、真に自由なのは愛である。なぜならば、愛においては心情に制限を加えるものはなにもないからである。しかしながら、それゆえに愛は心情の弛緩を生み、自己欺瞞に陥りやすい。この欺瞞が破綻すると愛は自然衝動によって支配され、欲望に堕してしまうのである。尊厳はこれを食い止め、優美は逆に尊敬が恐怖になることを防ぐ。シラーによれば、真に偉大なものは決して恐怖を引き起こしてはならない。あくまでも優美と尊厳が調和的に実現されていなければならないのである。 2.2 崇高について(Ueber das Erhabene) [2201] 人間の本性は、強いられて何かをするのではなく、意識と意志を持って合理的に行動する点にある。ところが実際は、人間は自分の力をはるかに越えた無数の自然的諸力に囲まれている。人間は、悟性によってそれらの自然的諸力を支配下におくことにある程度は成功してきている。しかしながら、それらの自然的諸力を完全に制圧しているわけではない。その証拠として、シラーは、人間は必ず死ぬという命題をあげる。死ぬことによって、人間は自ら制御できない力のもとに支配されるのである。シラーによれば、このような「力」(Macht)が一つでもある限り、自然の諸力を《完全に》支配するのは不可能であると言わざるをえないのである。 [2202] しかし、人間は意志する存在である以上、他の事物のように支配不可能な力に黙従することはできない。人間は、本性的に自然からいかなる「暴力」(Gewalt)を加えられることもよしとしないのである。シラーによれば、「文化」(Kultur)こそが、自然的諸力から人間を自由にする助けとならなければならない。このような「文化」を実現する方法には二つある。一つは、人間が自然の「暴力」に「暴力」をもって、すなわち、自然を自然として支配する方法であり(「現実主義的」(realistisch)方法)、もう一つは人間自らが自然から脱出することによって、「自分のことを斟酌し、暴力の概念を捨て去り」(in Ruecksicht auf sich, Begriff der Gewalt vernichtet)(E 216)、「暴力」に屈伏する方法(「理想主義的」(idealistisch)方法)である。シラーによれば、後者こそ人間の自由を実現するものである。自然を自然としてしか支配できなければ、人間は「自然的文化」(physische Kultur)以外に何の資格も持たないことになってしまうが、そのような在り方は、意志する存在である人間にそぐわないばかりか、自由の放棄にもつながるであろう。したがって、「暴力」を被らないようにするためには、「暴力」に屈伏するしかない。そして、人間にその能力を与えるものが「道徳的文化」(moralische Kultur)なのである。道徳的教養のある人間は、自然の力が単なる「暴力」ではなく、もはや彼独自の行動と一致しているがゆえに、まったく自由なのである。 [2203] ところで、感性的かつ理性的な存在者である人間には美的傾向も存在している。シラーによれば、美に対して発達させられた感情は、《ある程度》まで我々を一つの「力」(Macht)として自然から独立させるには十分である。なぜならば、美は対象の素材よりも形式に宿るものであり、「現象についての単なる反省」(die blosse Reflexion ueber die Erscheinungsweise)のみから高められた心情だからである。また、美的心情においては必ずしも対象を所有する必要はない。つまり、美は(美を感じさせる自然物である)素材から自由なのである。しかし結局、「仮象」(Schein)、すなわち美もまた、自己をあらわすべき「形態」(Koerper)を持とうとする。したがって、厳密に言えば、美的仮象に対する欲求が存在する限り、人間の美的な満足は未だに自然の支配下にあることになる。この点において、美は未だ人間を自然から完全に独立させるには至らないのである。 [2204] しかしながら、我々は、美的仮象を追い求めることに甘んじるのではなく、さらに厳粛に目の前に存在するものが《美でありかつ善である》ことへの要求を持つ。シラーによれば、このような要求は、単に「仮象」への欲求を持つこととはまったく異なっている。「我々が、美でありかつ善である諸々の対象への要求を感じることと、目前の諸々の対象が美しく善であれと要求することはまったく別なことである。後者は心情の最高の自由と併存することはできるが、前者はそうではない」(E 217)。後者のような要求を持つ心情が崇高な心情である。崇高の感情は「悲痛」(Wehsein)と「喜悦」(Frohsein)という相反する二つの感情の混合した感情である。このように我々が自らの内部で二つの異なる本性を結合し、また一つの対象に対して二つの異なった立場に立てるということは、我々の道徳的自立性を明らかにしている。シラーによれば、崇高の感情によって、我々は「精神の状態は必ずしも感官の状態によって決定されるものではないということ、自然の法則が必ずしもまた我々の法則ではないということ、およびすべての感性的感動に依存せざる自立的な諸原理を我々の内部に有するものであるということなど」(E 219)を知り、自らが単に自然の支配下にあるのではなく、道徳的に独立した存在であるということを理解するのである。 [2205] 理性と感性は美しいものにおいて一致するが、崇高なものにおいては一致しない。道徳的人間は、このような事態に対して自らの限界を知りあきらめを持つのではなく、かえってそのような事態を自らの力として無限に高めようとするのである。美しいものにおいては、理性と感性との調和は見出せても、そこに徳を保障することはできない。それに対して、崇高は感覚的な世界から、我々の自立的精神を引き離すのである。 [2206] ところで、崇高なものに対する感受性は、誰においても等しく発達するものではなく、人為的に育てられなければならない。まず、我々は第一に美を迎え入れることを要求される。なぜならば、まず美によって、人間は自然的状態から脱出し、《ある程度》は自由を得ることができるからである。しかしながら、美を受容した段階では、人間は依然として「仮象」への欲求に囚われている。人間の内部に高度に自由な省察が育ち、自分自身の中にある不変のものを見出すようになると、粗暴な自然は美以外の方法で人間に接するようになる。「彼の外部にある相対的偉大性は彼自身の内部にある絶対的偉大性を映す鏡となる」(E 223)のである。この段階に至って、初めて人は単なる自然的人間から脱出するのである。また想像力にとって到達しがたいものであるこのような崇高以外に、「混沌」(Verwirrung)も自然の作品として現われると心情に飛躍を与えることができる。自然的人間は、混沌に対して快感を覚えることができず、単に悟性によってそれを整理することを要求するにとどまる。しかしながら、もし「混沌」を無理にある法則のもとに統一しようとしなければ、「自由の純粋な理性概念と一致する独立の概念が得られる」(E 225)のである。こうして悟性的認識は失敗に終わったとしても、崇高な感情を持つ者には、人間が自然法則から独立した自由な理性的存在であることが示されるのである。そして、自然法則によって、自然そのものを説明することが不可能であることを明らかにし、人間の心情を現象の世界から理念の世界へといざなうのである。シラーはこれらを総括して次にように言う。「崇高なものを感受する能力はそれ故人間性におけるもっともすばらしい素質の一つであり、それは、道徳的人間への影響のために完全な発展に値すると同様に、自立的な思惟および意志の能力から発現するために我々の尊敬に値するものである」(E 228f.)。 [2207] シラーは、人間が達成すべき最高の理想は、人間の尊厳を規定する道徳的世界と隔絶することなく、自然的世界と交流を保つことであると述べている。美しいものは、人間の自然的使命と理性的使命を調和させる役割を果たしている。しかし、美のみでは自然的世界と道徳的世界を結び付けるのは不可能である。崇高なものがあって初めて、我々は単なる自然的人間から脱出し、道徳的文化を得ることができるのである。シラーの言い方を借りるならば、「美しいものが存在しなかったならば、我々の自然的使命と理性的使命との間に間断のない闘争が存在していたことであろう。……崇高なものが存在しなかったならば、美は我々に尊厳を忘れさせたであろう」(E 229)。美しいもののみではなく、それに崇高なものが結び付いたとき、人間の美的教育は初めて完成されると言えるのである。 2.3 素朴文学と情感文学について(Ueber naive und sentimentalische Dichtung) [2301] 人間は特に知性や趣味を満足させるわけでもないのに、自然の風景や子どもや田舎の人、未開人の風俗について、単に自然であるという理由から、それに対して一種の愛と感動的な尊敬を持つことがある。自然に対するこのような関心は、その対象が自然であり、しかも自然が人工と対照をなしてそれに打ち勝つこと、という条件がそろったときにのみ生じるのである。シラーは、このような関心は理念的なものであり、したがって道徳的な感情であるとする。「素朴」(naiv)とは悟性によって呼び起こされた単純なものへの嘲笑と、理性によって呼び起こされた単純なものへの尊敬が合流した感情なのである。 [2302] 一方、シラーは近代人において典型的に見られる感情として「情感的」(sentimentalisch)な感じ方を提示する。シラーによれば、古代ギリシア人は、近代人が自然の風景や自然の性格に対して抱くような「情感的」関心を持たない。その理由は、ギリシア人は自己自身によって存在するものと技術や人間の意志によって存在するものとの間に何ら区別をつけないからである。ギリシア人と近代人との間のこのような違いは、人間に対する自然の位置が異なるために生じるのである。すなわち、ギリシア人が人間性の内部の自然を失っていなかったのに対し、近代人はそのような内的な自然を消失してしまっているのである。したがって、近代人は失われた自然を求めて「情感的」関心を抱くのである。 [2303] シラーはついで、「素朴」と「情感的」を対立的な感じ方として用い(*)、詩人を「素朴詩人」(naiver Dichter)と「情感詩人」(sentimentalischer Dichter)とに分類する。「素朴詩人」は、あたかも「神が宇宙の背後にいるように、自分の作品の背後にいる」(NS 451)のである(**)。このような「素朴詩人」は「人工的な」(kuenstlich)時代においては、よほど運が強く、時代の影響から護られる場合でない限り、もはや存在しえない。しかし、詩的な能力は、人間をたえず自然へと押し戻す道徳的衝動と密接な関係にあるので、「素朴詩人」とともに消えてしまうわけではない。近代では、詩的能力は古代ギリシアとは別の関係に立っているのである。すなわち、古代の詩人は自然によって、近代の詩人は理想によって、我々を感動させる。「古代詩人は限定の芸術によって力強く、近代詩人は無限なものの芸術によって力強い」(NS 458)とシラーは述べている。このことから、古代詩人は感覚的に描写されうる具体的なものの表現においては勝利を収めるが、近代詩人は描写できないもの、すなわち絶対者や芸術作品において精神とよばれるものの表現において、古代詩人を凌駕できるとされる。 (*)シラーによれば、「素朴」と「情感的」という区別はあくまでも感じ方の問題であり、歴史的な概念ではない(実際、シラーは「素朴詩人」として近代詩人であるシェイクスピアをあげる)。しかしながら、この論文においては、「素朴」=「古代」、「情感的」=「近代」としてあたかも歴史的な概念であるかのように用いられていることが多い。実際にシラー自身の用法も厳密でなく、この点はなお解明すべき余地がある問題である。この点については第3章で言及する。
(**)シラーはこの例として、ホメロスの『イリアス』第6巻におけるグラウコスと ディオメデスの和解の場面を取り上げ、近代的な詩人ならばこのような行為に対して自分の喜びをすぐさま表明するであろうが、ホメロスはそんな痕跡はまったく見せず、何事もなかったかのように贈りものを交換する場面を続けていることを指摘する(NS 452ff.参照)。 [2304] 近代詩人は、「限界を与えるものである現実」と「無限なものとしての理念」という相争う観念と感情を相手にするのである。したがって、すべての「情感詩人」はこの二つの起源のうちどちらが優勢になるかということによって、「諷刺的」(satirisch)と「哀歌的」(elegisch)とに区別することができる。現実と理想との矛盾を対象とする詩人は、「諷刺的」である。諷刺には、対象を厳粛かつ感動的に描く「懲罰的ないし悲壮な諷刺」(strafende oder pathetische Satire)と、楽しく晴れやかに描く「諧謔的諷刺」(scherzhafte Satire)とがある。ただし、詩人の目的は詩的遊戯を損なわずに自然と理想を相手にすることなので、前者は崇高へと移行して詩的自由を得なければならない。また、後者はその対象を美として取り扱い、詩的内容を得なければならない。一方、自然と理想の表現に重点をおくような詩人は「哀歌的」である。「諷刺」(Satire)と同様に、「哀歌」(Elegie)も失われた自然、到達しえない理想を悲哀の対象として表現する場合と、両者が現実の表象として喜びの対象として表現される場合とがある(*)。哀歌における悲哀は、単に失われた喜びや過去の黄金時代を振り返ることからではなく、理想によって呼び起こされた感激から生み出されなければならない。 (*)シラーは諷刺詩、哀歌、牧歌という名称を使うにあたって、自分はただそれぞれのジャンルに支配的な感じ方に注目するのみであり、新たなジャンル論を展開する意志はないということを明言している。なおこの点は「牧歌」構想の冒頭でも繰り返し述べられている(NS 466f.参照)。 [2305] 他方、シラーは情感文学のもう一つの在り方として、「無垢で幸福な人間性の詩的表現」(NS 483)という「牧歌」(Idylle)の構想を示す。一般に、このような状態は人工的関係の中には見られないので、詩人達は牧歌の舞台を単純な羊飼の状態へと移し、それを文化の始まる以前の状態と定めてしまった。確かに、素朴な「羊飼の牧歌」(Schaeferidylle)の場合、その内容は形式そのものの中に含まれているので、内容的に欠けることはない。したがって、自然という限界の内から素材を見つけて、それを絶対的に表現しようとする素朴詩人は「羊飼の牧歌」にとどまることができた。しかしながら、情感詩人はそれとは異なっていなければならないのである。情感詩人による「羊飼の牧歌」は、単に理想を我々の背後におき、失われたものへの悲哀を呼び起こすにすぎない。この点で、情感的な「羊飼の牧歌」には決定的欠陥がある。情感詩人は自然という限界に抑圧されている限り、絶対的内容は表現できないので、「羊飼の牧歌」はいかなる天才をしても満足のいく情感的な牧歌でありえない。シラーによれば、情感詩人の役割はあくまでも情感的な創作衝動を《理想》へと振り向け、それを徹底的に追求することなのである。それゆえ、情感的牧歌の概念とは、「個々の人間および社会において完全に闘いが和解されるという概念であり、性向と法則との自由な結合の概念であり、最高の道徳的尊厳にまで向上、純化された自然の概念である」(NS 488)。この現実と理想との対立が廃棄された「やすらい」(Ruhe)の状態こそ、美の理想である。 [2306] こうして素朴文学と情感文学、さらには情感文学における三つの分野の特徴が明らかになったが、シラーは「素朴」と「情感的」という対立について、詩的理想との関係からもう一度整理する。あらゆる詩人に共通の課題は、人間性に完全な表現を与えることである。このうち、素朴詩人は情感詩人が努力して到達しようとすることを実際の事実として述べるので、感性的実在性の点で情感詩人に勝っている。しかし、情感詩人は素朴詩人がなしえたよりも大きな対象をその衝動に与えることができるという長所を持っている。確かに情感詩人は素朴詩人のように自分の課題を十分に達成することはできない。しかしながら、その課題は制約のない絶対的自由を持つものであり、常に感性的かつ実在的という制約を受ける素朴詩人に勝っているのである。 3. シラー美学とロマン主義 [3001] 本章は、第1章、第2章をふまえてシラー美学の特徴を取り上げ、それを適切に位置付けることを課題とする。その前に、私は一つの仮説を立てることにしたい。それは、「シラー美学はロマン主義的美学である」という仮説である。以下で、この仮説について論究することにしたい。シラーの美学論文において用いられている術語に注目しながら、そのロマン主義的性格について述べていこう。 3.1 「崇高」の概念 [3101] まず、「崇高」の概念について考察する。考察の進め方として、(1)「崇高」の概念がロマン主義を特徴付ける重要な概念であることを述べる。さらに、(2)『優美と尊厳について』における「崇高」の概念と、(3)『崇高について』における「崇高」の概念を比較対照しつつ、シラー美学においても「崇高」の概念が重要な位置を占めていることを明示したい。 3.1.1 「崇高」の概念とロマン主義 [3102] 一般的に「崇高」(das Erhabene)を積極的に評価するのは、ロマン主義的精神の特徴であると言われる(*)。実際に、ロマン主義芸術家は、「崇高」を自らの作品に積極的に取り入れた。ロマン主義をあまり肯定的に捉えないK.クラークでさえ、「崇高」の導入はロマン主義者がなした功績として認めている。クラークによれば、「崇高さの意識は、ロマン主義運動がヨーロッパ人の想像力に付け加えた一つの能力」(**)である。 (*)たとえば、E.スリヨはロマン主義に至って天才が重視され、美的カテゴリーに変化が起こったことを指摘している。「天才とともに美的カテゴリーの段階づけも変化する。最も賛美され希求される価値となるのは、もはや「美」ではなく、「崇高」である。同様に、いかなる過度、いかなる強烈さも持たぬといって調和を賞賛するごとき≪よき趣味≫も斥けられる」(E.スリヨ(古田幸男・池部雅英訳)、『美学入門』、法政大学出版局、1974、28.)。
(**)K.クラーク(河野徹訳)、『芸術と文明』、法政大学出版局、1975、304. [3103] 「崇高」の概念について、初めて明確な定義付けをしたのは18世紀のイギリス人、E.バークであった。彼は『崇高と美との観念の起源に関する哲学的考察』において「程度のいかんを問わず、およそ、苦と危険の観念を引き起こすのに適するものはなんでも……崇高の源泉である」(*)と述べ、苦痛と危険が「崇高」の起源であることを示した。バークは、苦痛や危険が急に我々に接近するとき、それは単なる恐怖であるが、それがある程度緩和されると喜ばしいものになると述べている。バークによれば、このような感情を起こさせる対象とは、大洋や広大な平原、暗い森、曇った空のような、大きさ、曖昧さ、無限性、莫大な力を持つ自然である。こうして、バークはそれまでの「美」とは異なる美的概念として「崇高」を示した。 (*)E.バーク(鍋島能正訳)、『崇高と美の起源』、理想社、1973、60. [3104] バークが経験論的立場から論じているのに対して、カントは超越論哲学の立場から崇高について考察している。カントによれば、バークの分析は「心理学的所見としてはきわめて見事であり、経験的人間学がもっとも好んで行う探求のための豊富な素材を提供する」(*)が、趣味判断が単なる個人的判断ではなく普遍的判断であるとするなら、何らかのア・プリオリな原理がなければならない。これがカントの言う超越論哲学の立場であるが、このような立場に立って、カントは崇高を「数学的に崇高なもの」(das mathematisch-Erhabene)と「自然の力学的に崇高なもの」(das dynamisch-Erhabene der Natur)に分けて細かく考察している。「数学的に崇高なもの」は人間の認識能力との関連で語られる。カントによれば、崇高とよばれるものとは端的に大きなものであるが、ここで大きいと判定する我々の判断力は美的(aesthetisch)判断力である。ところが、数学的(論理的)判断力が無限であるのに対して美的判断力は有限であり、絶対的に大きなものを「総括」(Zusammenfassung)するのは困難を極める。しかし、このような困難を感じながらも「総括」しようと努力することは、正に人間に感性の限界を超出しようとする能力が備わっているということを示している、とカントは述べる。崇高なものを感じることは人間には理性が存在するという証拠なのである。ここにおいて、苦痛が喜悦に変化するというバークの説明を超越論的に説明することができる。つまり、美的判断においては理性の評価と不適合なために崇高の感情は不快なものであるが、一方、不適合であることが理性法則そのものには合致し、その点において合目的的なので快の感情であると言えるのである。次に「自然の力学的に崇高なもの」について述べられるが、こちらは人間の欲求能力との関連で語られている。自然が人間に対していかなる「暴力」(Gewald)をも行使しない「力」(Macht)として現われるなら、自然は崇高なものになる。このような力は人間に自らの非力さを悟らせる一方、自らが自然から独立していると自覚させるものでもある。前述のように、バークは苦痛が緩和された場合に崇高さを感じると述べたが、カントもこのような「安全保障」を行っている。つまり、自然の力の只中にいるとき、人間は崇高さを感じることはできない。崇高さを感じるのはその力を傍観する立場にいる場合である。自然は人間の内部にある諸理念とは合致しない。しかし、数学的に崇高なものを感じる場合もそうであったように、このような不一致は理性によって決着がつけられる。すなわち、理性の力(道徳力)によって無限なものを感性にも捉えられるように整理するのである。このような点から、カントにおいては実践理性すなわち道徳能力の開化が崇高さを感じるための必要条件とされている(**)。 (*)I.カント(宇都宮芳明訳)、『判断力批判』、以文社、1994、上巻251.
(**)ここで取り上げたカントの崇高論がシラーの崇高論に直接的な影響を与えているとするポピュラーな主張はある面では正しい。特に自然の力学的崇高に関するカントの議論とシラーの議論は非常に似通っている。しかしながら、シラーの崇高論がカントの崇高論をそのまま模写したものであるとは考えにくい。この点に関しては後述することにしたい。 [3105] こうして崇高の概念が定義されてきたのだが、このような概念は無限性の希求というロマン主義のモティーフと重なっている。バークのあげたような「崇高」な感情を引き起こさせる対象は、例えばカスパー・ダヴィード・フリードリヒの絵画に描かれた自然と一致する。一方、自然に対するこのような感情を重視することは、古典主義的な理想的調和に対立するものであった。これはカスパー・ダヴィード・フリードリヒの絵画《山上の十字架》に対して、保守的な古典主義者であったラムドールが良い趣味を危機にさらし風景画をおとしめるものと論難した事件---いわゆるラムドール論争---に現われている。古典主義的精神によって好まれたのは、「良い趣味」の現われであった。つまり「崇高」よりもむしろ「美」(あるいは「優美」)であったのである。また、「崇高」という概念が取り上げられることはあっても、それはヴィンケルマンの芸術論において見られるように「美」の一部分に取り込まれていた。いずれにしろ、古典主義においては「崇高」が「美」から分離した独立した概念として定立されることはなかったのである。しかしながら、ロマン主義者にとって、古典主義的精神の求めたような規範的な「美」は画一的なものでしかなかった。彼らは「美」に代わる美的概念を求めたのである。ロマン主義者は「崇高」を「美」から切り離し、独自の美的概念として捉えるようになったと言えよう。 3.1.2 「尊厳」と「崇高」 [3106] 『優美と尊厳について』において、シラーは「優美」(Anmut)の概念について述べている。シラーによれば、「優美」は道徳の要請と人間の感覚とが合致しているときに発生するものであり、これこそ人間性の属性なのである。このように「優美」を発現させうる人間の心情の状態を、シラーは「美しい魂」(shoene Seele)と定義した。この点にのみ注目すれば、シラーの美学は文字通り古典主義的美学であるという評価をすることができよう。なぜならば、「美しい魂」は、理性と感性という人間の二つの属性が調和した魂であるということが可能だからである。これは、人間を中心として世界を捉え、人間の理想を完全な調和の状態に認める古典主義的視点の産物に他ならない。 [3107] しかしながら、シラーはこのような「美しい魂」について述べるだけでは満足しなかった。我々は、シラーが、「美しい魂」は「理念」(Idee)であっていくら努力しても決して到達できるものではない、と述べていたことに注目すべきである。つまり、「美しい魂」が単なる(実現不可能な)理想的目標でしかないということはシラー自身が認めているのである。現実において「美しい魂」はそのままの形ではなく、別の形に変わらねばならない。では、どう変わらねばならないのか。これに対するシラーの解答が「崇高な魂」であった。『優美と尊厳について』においてシラーが述べているように、現実においては「気質的徳性」ではなく「崇高な魂」のみが「美しい魂」の理想を完全に実現しているのであるから、現実の人間の情緒においては、「美しい魂」は「崇高な魂」に変化させられなければならない。シラーはここで「崇高」という概念を初めて提示するのだが、その意義は積極的に捉えられているのである。なぜならば、単なる「美しい魂」が理念にとどまるのに対し、「崇高な魂」は「美しい魂」を《実現している》ものだからである。このように、『優美と尊厳について』においても、「崇高」は「美」と並ぶキータームになっているのである。ここに、シラー美学が単なる古典主義的な理想的調和のみを追求したものではないという我々の主張の正当性を示す端緒を見出すことができよう。 [3108] ところで、『優美と尊厳について』はあくまでも本章冒頭で想定した仮説を検証するための《端緒》を与えてくれるにとどまるということも強調しておかねばならない。なぜなら、『優美と尊厳について』の段階では、シラーはまだ「美」から分離された「崇高」《そのもの》に積極的意義を見出しているのではないからである。それは、「優美」に対置された「尊厳」(Wuerde)という概念を見ればわかるであろう。「尊厳」とは、シラーによれば、増大した自然衝動に対する精神の側の自由の表現である。このように言う場合、シラーは自然衝動を抑制するものとして、道徳力を想定しているのであるが(*)、結局、「尊厳」の概念は自然的要素である感覚と人間固有の属性である道徳が調和的に実現した「優美」の概念を現実化するために要請されるにすぎない。なぜならば、「尊厳」と「優美」は現実化されたものと理念という差こそあれ、ともに、「完全なる人間性」という古典主義的理想に呪縛されている点では変わりがないからである。 (*)例えば、第2章第1節で取り上げた AW 271の表現などを参照。 [3109] 『優美と尊厳について』においては、「崇高」というロマン主義的な概念が提示されつつも、それが前面に押し出されて議論されるには至らなかった。したがって、『優美と尊厳について』は古典主義的色合いの濃い論考となっている。しかしながら、『崇高について』におけるシラーの考察は、「崇高」を「美」から独立させる方向へ進むのである。 3.1.3 独立した「崇高」の概念 --- 「美」からの分離 [3110] 『優美と尊厳について』において、シラーは単なる理念としての「優美」に満足しはしなかったが、逆に「優美」から積極的に新しい理念を導出したわけでもなかった。しかし、シラー自身が感じていた「美」に傾斜した「優美」への不満は、彼の中に次第に新しい理念を形成していく。その理念の一つが「崇高」である。 [3111] 『崇高について』の冒頭で、シラーは、人間が自然の諸力から真に自由になるためにはいかにすべきなのかということを問うている。ここで我々はカントの崇高論での「自然の力学的に崇高なもの」の議論においても、よく似た議論があったことに気が付くであろう。しかし、カントの解答とシラーの解答では、その方向性において大差はないものの、若干異なっている。カントは、あくまで道徳第一主義的に理性的能力の伸長によって自然諸力から人間の独立性が確保されると答える。これに対して、まず進んで自然の「暴力」を受け入れてみようというのがシラーの解答なのである。カントも「暴力」への屈服という言い方をしているが、シラーの議論においてはこの視点がカントより重視されていると考えられる。シラーはこのような方法を「理想主義的方法」と名付けているが、これは単に規範を定立して済ませるような「理想」主義では決してないことに注意しなければならない(*)。シラーは、このような方法を取ることによって、むしろ問題を現実的に処理しようとする。シラーによれば、人間が真に自由になるためには、もはや「美」のみでは不完全である。なぜならば、「美的仮象に対する欲求がなお存在する限り、我々の対象の存在に対する欲求が残存するのであり、したがって我々の満足はなおすべての存在を支配する力としての自然に依存することになる」(E 217)からである。『優美と尊厳について』の段階では、シラーはまだ「美」の限界について積極的に主張するには至っていない。しかしながら、『崇高について』においては冒頭から「美」の限界が明示される。このような前提に立った上で、シラーは新しい概念として「崇高」を導入するのである。第2章で述べたように、人間を自然の力から解放するものは「道徳的文化」である。このような「道徳的文化」を実現するために、またそのような文化を実現する能力があることを示すために「崇高」が要請されるのである。シラーの言葉を借りれば、単に「美のみによっては、我々が純粋の叡知として自己を表わす使命を受け、かつその能力を与えられているということを永久に学び知ることはなかっただろう」(E 220)ということになる。こうして、「崇高」は「美」より重要な使命を持つに至る。「崇高」の必要性について、シラーは次のように述べている。「崇高なものは美的なものに接近し、それによって美的教育を完全なる全体になし、人間的心情の感受能力を我々の使命の全範囲にわたって、それゆえにまた感覚的世界を超えて拡大しなければならない」(E 229)。このような記述からもわかるが、「崇高」は美を現実化しようとする試みには不可欠なものなのである。したがって、我々は、シラー美学において「崇高」が一つのキータームであると結論して良い。またこのことは、シラーがすでに典型的な古典主義の主張から脱出したことを示している。 (*)シラーの「理想主義」が単なる現実逃避や観念論的思考でないということは、既に主張されている。例えば青木敦子は、「虚構と崇高---シラーにおける方法としての「理想主義」」(日本独文学会編、『ドイツ文学』92所収、1994.)において、シラーの崇高をカントやリオタール、ナンシーといったポスト・モダンの哲学者の崇高と比較して述べているが、シラーの崇高からは「実在の否定」という含意が読み取れると述べる。青木によれば、『崇高について』の冒頭でシラーが述べているような「理想主義的方法」は、「表象不可能なもの」を「実在(=表象可能なもの)」を使わずに表わすような方法として捉えられる。このような「理想主義」によって、シラーの崇高論は「表象」を虚構に、逆に虚構であるとされてきた「仮象」を現実にすることに成功しているのである。したがって、シラーの「理想主義的方法」には、単に観念論的な方法というような意味合いはないとしている。 [3112] ところで、シラーとカントの崇高論における一番の差異は、シラーがカントの立場を一歩進めて、より具体的なものの崇高性を論じている点であろう。『崇高について』の次の部分は、「崇高」な感情を呼び起こす対象をもっとも具体的に書いている。「想像力にとって到達しがたいもの……すなわち混沌もまた、偉大なものとなって自然の作品に現われるや否や……超感性的なものの表現に役立ち、心情に飛躍を与えることができる。一体、誰がフランス風の庭園の活気ない規則正しさよりも、自然の風景の活気に富んだ無秩序により多くの心を惹かれないであろうか。誰が規矩正しいオランダにおける頑固な自然力に対する苦悩に満ちた忍耐の勝利を賛美するよりも、シシリアの平原における想像力と破壊力との間の驚くべき闘争に目をみはり、スコットランドの奔放な急湍や霧深い山々、あるいはオシアンの描いた偉大な自然を楽しむことを望まないだろうか。」(E 224)。この一節において我々が注目すべき術語は「混沌」(Verwirrung)であろう。カントは具体的な対象に崇高性を認めることには最後まで躊躇し、理性と構想力との結合という整合的な視点から崇高性を述べたのにとどまっていた。ともすれば道徳的な秩序を破壊しかねない「混沌」をあえて崇高論に導入したことは、シラーの崇高論が単にカントの崇高論の無条件賛美に終始していないことの証明と言えよう。もっとも、両者の崇高論の方向性が同一線上にあることは事実である。カント的路線をさらに進めたこの一節にあげられた対象は、またロマン主義者との共通点ともなっている。絵画から例をあげるならば、先に取り上げたカスパー・ダヴィード・フリードリヒが好んで描いた対象と一致している。この点が、「崇高」な対象の性質として曖昧なものをあげたバークの見解と相通じる点があることは明らかである。シラーの場合、一方であくまでカント的に道徳性と「崇高」を結び付けて考えるところがバークとは異なっている。しかし、人間を自然法則から独立させ、真に自律的人間たらしめるために要請される「崇高」の対象は、無限的なものでなければならないのである。この点で、シラーの想定していた「崇高」な対象はロマン主義的であると言えるのである。 3.2 「情感文学」構想 [3201] 続いて、『素朴文学と情感文学について』の考察に移ることにしよう。まず、最初に注意しておかねばならないことがある。それは、この論文における「素朴」と「情感的」という術語の使われ方である。シラー自身は、この二つの概念はあくまでも感じ方、作風の差異であって歴史的概念ではない、と断っている。しかし、この論文においては、「古代的」「近代的」というコンテクストで、これらの概念が用いられることが多い。したがって、本稿においては「素朴」「情感的」という対立概念を歴史的側面からも扱うことにする(*)。本節においては、(1)「情感文学」構想とロマン主義との関連をさぐることで、「情感的」という概念がロマン主義と深くかかわっていることを示す。そして、(2)感じ方としての「情感文学」、(3)歴史的概念としての「情感文学」についてそれぞれ論及することによって、シラー美学のロマン主義的側面を示したい。 (*)この点はシラー自身の用語法が曖昧であり問題が多いが、「素朴」と「情感的」を歴史的概念と解釈する見解は多い。例えば、G.ルカーチは「シラーの近代文学論」において、次のように述べている。「シラーは素朴と情感的との対立という場合、「時代の相違というよりは作風の相違と理解されなくてはならない」と強調している。しかしこのように発言したからといって、素朴と情感的のもっとも深い具体的な相違の根底は、やはり歴史的な根底であるということを否定している証拠にはならない。古代を過去として、二度ととり戻せぬ失われたものとして捉えることは、シラーの歴史観における、したがってまたその時代の評価におけるもっとも重要な契機の一つである」(G.ルカーチ(国松孝二他訳)、『ルカーチ著作集(4)』所収、白水社、1986、409.)。 3.2.1 「情感文学」構想とロマン主義 [3202] 「美」と「崇高」の問題を現実的に解決しようとした結果、シラーが最終的にロマン主義的な「崇高」という解答を採用するに至ったことは前節で述べた。本稿で取り上げているシラーの美学論文において、我々が注目すべきもう一つのロマン主義的要素は「情感文学」構想である。では、「情感文学」構想とロマン主義とはどのような関係にあるのか。 [3203] まず、その前に注目しなければならないのが「素朴文学」である。シラーは「素朴詩人」と「古代詩人」を随所で結び付けている。そもそも、「素朴詩人」は近代においては、シェイクスピアなど、ごく一部の例外を除いて存在しえないということはシラー自身が認めている。シラーは「素朴詩人」の例としてホメロスをあげ、具体的な作品を引用しつつ「素朴詩人」の説明を試みているが、その説明の最後の部分で次のように述べる。「こういう素朴な種類に属する詩人達は、人工的な時代にはもはや居場所がない」(NS 454)。シラーによれば、「素朴」が完全な形で認められるのは古代ギリシアである。古代のギリシア人について、シラーは次のように述べる。「彼らの社会生活の全構造は人工の作りものではなく、自然の感覚に基づいていた。彼らの神話そのものも素朴な感情のはたらきによるものであり、喜ばしい想像力の所産であって、近代の諸国民の教会の教義のようにいろいろ思いめぐらせた挙げ句の理性の所産ではなかった。このようにギリシア人は人間性の内の自然を失っていなかったので、自分の外の自然を見ても、それに驚かされることはなく、自然を再発見するための対象を求めるといった切実な必要も感じなかった」(NS 449)。また、古代ギリシア人は「自分自身と一致し、自己の人間性を幸福に感じていたので、自身の最高の状態としてそこに立ち止まり、それ以外のすべてのものをこの人間性に近づけようと努めずにはいられなかったのである」(NS 449f.)。我々はここで、第1章でいくつかの見解をもとにしながら述べた、古典主義の定義付けを思い出すことにしよう。第1章において、我々は古典主義の主要特徴として、完成や調和を重んじ、古代ギリシアにそれらを見出そうとする点があげられることを述べた。シラーが「素朴」の具体例としてあげているものは、まさに古典主義的であると言える。つまり、「素朴」という概念は古典主義的な概念であると考えられるのである。 [3204] 一方、シラーは「素朴」の対立概念として「情感的」という概念を提示する。シラーによれば、これは近代人特有の意識であって、古代人には見られないものである。なぜなら、近代は「人工的な」時代であり、人間はもはやかつてのように「調和的な全体」でありえないからである。このように近代を「分裂の時代」と捉える問題意識は、『素朴文学と情感文学について』に先立つシラーの他の論文においても見ることができる。例えば、『人間の美的教育について』(いわゆる『美的教育書簡』)の第6書簡において、シラーは近代を「人間全体がその素質の一部しか発揮できない」(EM 323)時代と規定し、完全な人間性が実現していた古代と対置している。このように述べると、あたかもシラーが単純な古代賛美者であるかのような印象を受けるかもしれない。しかしながら、シラーは近代的な分裂状態をむしろ肯定的に捉えている。「個体はその本質のこのような分裂によって不幸となるにしても、人類全体としては、これ以外の方法では進歩しえなかった」(EM 327)のである。つまり、分裂は必然的なものであるとシラーは考えるのである。このように、「人間性の経験において不幸である」(NS 450)ような分裂を肯定的に評価しようとする点に、(それが「苦悩」にまでは至らないとしても)我々は「不幸な意識」を明確に自覚していたロマン主義との接点を見出すことができる。 [3205] 「情感文学」構想もこのような肯定的な姿勢を継承している。シラーによれば、「情感詩人」は「理念」を表現しなければならない。ところで、「理念」の表現という近代詩人の目標は、「素朴詩人」が到達する点よりも高いところに設定される。シラーはこのことに関して次のように述べている。「人間が文化によって努力する目標は、彼が自然によって到達する目標よりも限りなく勝っていることがわかる。つまり、一方〔素朴詩人〕は有限の偉大さの絶対的到達によってその価値を保つのであり、他方〔情感詩人〕は無限の偉大さへの接近によってその価値を得るのである」(NS 456;〔 〕内は本稿筆者)。我々は、「情感詩人」の目標が「無限の偉大さへの接近」とされていることに注目したい。さらに、シラーは「情感詩人」がその目標に到達できないことも認めているのである。これは正に無限との調和を目指したロマン主義的精神と同じ方向性を持っている。つまり、「情感的」という概念は不完全性を内部に含みつつ、絶えず目標に向かって努力しなければならないという点においてロマン主義的であると言えるのである。 [3206] このように、『素朴文学と情感文学について』においては、「素朴」=「古典主義的」、「情感的」=「ロマン主義的」という図式が成立する。ただし、我々はこのような図式を示すのみで満足することはできない。なぜならば、これらの二つの概念の位置関係は依然として明らかになっていないからである。我々は、「素朴」と「情感的」との関係は、単に相補的なものであるのか、それともまったく独立した概念であるのか、という点を明らかにしなければならない。この問題を解決するために、我々は「情感文学」構想についてより細かく検討していくことにしたい。 3.2.2 感じ方としての「情感文学」 [3207] ここでは、作風の違いという点から、シラーの「情感文学」構想について考察する。シラーは自然に対する感じ方によって「素朴詩人」と「情感詩人」を区別する。つまり、ありのままの自然を感動的に表現する詩人が「素朴詩人」、調和的自然という理念を表現するのが「情感詩人」である。これらのうち、「情感詩人」の目標に関するシラーの見解に注目しよう。シラーが、「情感詩人」の目標は文明化された状態にある人間、すなわち近代人の目標と同じであると述べているということは前述したとおりである。こうして、無限への進歩というテーマによって「情感詩人」はその価値を見出されるのである。 [3208] ここで思い出されるのは、永遠の生成をうたったFr.シュレーゲルの「ロマン主義文学」の構想である。もっとも、Fr.シュレーゲルの場合は、シラーの「情感的」という理念のように確固たる目標はなく、ただ進歩《のみ》が存在した。それゆえに、多くの文学作品を残したシラーと対照的に、Fr.シュレーゲルは作家として統合力に欠け 、まとまった作品を残すには至らなかった。しかしながら、Fr.シュレーゲルはシラーと同様に単なる古典的範型を打破するような、新しい文学の在り方を模索していた。彼は古代人と近代人を対置して、次のように言うのである。「古代人のなかにわれわれは、あらゆる文学のアルファベットのすべてが揃っているのを見ることができる。近代人のなかには、生成しつつある精神を予感することができる」(*)。この言明は、課題を十分に達成することはできないが、まさにその課題の広がりが無限であるがゆえに「情感詩人」を評価したシラーの態度と合致する。絶対的なものの表現という課題を近代詩人に与え、その課題ゆえに近代詩人を積極的に評価するという点で両者は共通しているのである。このような点でシラーの「情感文学」構想は、Fr.シュレーゲルに近代人の定義を与え、彼の新しい文学---すなわち、「ロマン主義文学」に霊感を与えたと言えよう。 (*)Fr.シュレーゲル、『リュツェーウム断片』(93番) (前掲『ロマン派文学論』所収、30.) [3209] シラーの「情感文学」構想は、彼が「牧歌」概念を提出する際に再び取り上げられている。シラーによれば、「情感的牧歌」は課題を低く設定することによって、安易な妥協などしてはならない。情感詩人は、徹底的に理想を追求しなければならないのである。シラー自身の言葉で言うならば「もはやアルカディアに帰ることのできない人間をエリュシオンにまで導くような牧歌」(NS 488)でなければならない。そして、それは最高の道徳的品位にまで高められなければならないのである。シラーは、ここで「完成のやすらい」が「情感的牧歌」の支配的印象であるとするが、それは力の停止からくるものではなく、無限の能力の感じを伴ったものとされる。こうして、我々は「情感的牧歌」の概念について、ロマン主義の特質である動的な性質をも認めることができるのである。 [3210] 以上で考察したように、シラーの「情感文学」構想は「素朴文学」から独立した新たな文学を模索する積極的な試みと言うことができよう。ここで以下のような反論がなされるかもしれない。それは、シラーの「情感文学」は、実際には「素朴文学」への《回帰》を目指したものであり、「素朴文学」なしでは成立しないのではないか、という反論である。この疑問に答えるために、シラーが、「情感詩人」はもはや「素朴詩人」に戻ることはできないと繰り返していた点をもう一度確認しておく必要がある。確かに、「情感文学」という概念を提示するにあたって、シラーは「素朴文学」をその対極において述べている。しかしながら、「素朴文学」を近代の詩人が完全に取り戻すことは《不可能》なのである。例え、「牧歌」の構想のように「無垢で幸福な人間性の詩的表現」という一見「素朴」なものが「情感詩人」の目標として設定されることがあったとしても、それは「素朴」な「牧歌」《そのもの》の回復ではない。情感詩人は、徹底して理想を追求することによって、《新しい》「牧歌」を目指さねばならないのである。シラーによれば、「情感的」牧歌は「子ども時代へと我々を《後向き》に導くようなことをせずに、戦士の報いとなり、征服者の喜びとなる、より高い調和を感受させるために、我々を成年へと《前向き》に導くべきである」(NS 488; 傍点は本稿筆者)。それゆえに、「情感文学」は単に「素朴文学」の回復を目指したようなものではなく、明らかに「素朴文学」とは異なった独立した文学ジャンルであると解されるべきなのである。 3.2.3 歴史的概念としての「情感文学」 [3211] 「素朴」および「情感的」という概念は、また、シラーの歴史意識を示したものでもある。シラーは「素朴」の概念を古代に、「情感的」という概念を近代に重ね合わせて捉える。しかし、詩人の使命は「素朴詩人」も「情感詩人」もともに「自然」を求めることであるとされている点に注目しなければならない。これは、シラーが最初に「素朴詩人」「情感詩人」という言葉を使う際に述べられている。「詩人はすでにその概念から言って、どんな場合にも自然の擁護者である。……彼らは自然であるか、あるいは失われた自然を求めるかのどちらかである」(NS 450f.)。したがって後者、すなわち「情感詩人」には、当初は既に失われてしまった自然や自然の完全性を理念的に取り戻す使命が課せられていた。しかしながら、シラー自身、そのような課題が決して達成されえないことを自覚していたのである。この点はすでに見たように、シラーが「情感詩人」はその課題を十分に達成することはできないと述べていることから明らかである。ここに、シラーの「情感文学」構想に含まれる矛盾が露呈する。すなわち、「情感詩人」は自然の完全性を回復すべく努力しなければならないにもかかわらず、いつまでたってもそれにはたどり着けないという矛盾である。 [3212] ところが、シラーはこの矛盾こそが「情感詩人」の創作原理であるとしている。シラーは次のように述べている。「情感詩人はいつも二つの相争う観念と感情、つまり、限界を与えるものとしての現実と無限なものとしての彼の理念を相手にしていることになる。彼が引き起こす混合した感情は常にこうした二重の起源を示すであろう」(NS 459)。したがって 、「情感文学」構想はそれ自体の中に、現実と理想との不一致という「不幸な意識」、つまりロマン主義的な「近代的自我の苦悩」を含んでいる。この点で、シラーの「情感文学」構想は、彼の後の時代になってより深刻な問題として現われてくる近代的自己分裂を先駆的に意識したものと言うことができるのである(*)。 (*)G.ルカーチは「シラーの近代文学論」において、この点について以下のように述べている。「シラーは、近代の生のなかにおける本質的なものと現実的なものを芸術的な方法ではっきりと形象化することが、どんなに困難であるかを示している。シラーはこの問題を、かれ以前のどの理論家よりもいちだんと明確に認識している」(前掲『ルカーチ著作集(4)』所収、389.)。 [3213] このような矛盾は、現実と理想との明らかな分裂を含むという点で、Fr.シュレーゲルの「ロマン的イロニー」における矛盾と同種のものと言えよう。ただし、Fr.シュレーゲルは徹頭徹尾、無限の彼方の無意識的なものの中に理想を求めようとした。したがって、彼は近代的な文学の確固たる目標を定めることができず、近代文学の特性を次のように述べるしかなかった。「近代人の多くの作品は、成立と同時に《断片》である」(*)。この言明は、ロマン主義的な自己分裂を象徴的に語っており、また彼らの行く末を暗示しているものでもある。これに対して、シラーの場合は「情感文学」について論じる一方で、失われた「素朴」、つまり古代的なものを回復不可能なものと認めてはいたが、「情感的」に対する一つの在り方として意識していた。したがって、シラーは現実と理想の対立という矛盾を強く感じていたにもかかわらず、決定的な分裂には至らずに済んだのである。 (*)Fr.シュレーゲル、『アテネーウム断片』(24番) (前掲『ロマン派文学論』所収、36.;傍点は本稿筆者) [3214] しかしながら、歴史哲学としての「情感文学」構想は理想と現実の分裂という近代特有の問題を解決することはできなかったと言えよう。G.ルカーチはこの原因について次のように述べている。「〔シラーは〕近代文学における素朴と情感的との弁証法的統一を---その相違点に固執するあまり---思想的に捉えることができなかった。かれは本質的なものの芸術的把握を直接の感覚的現象界から固定的に、一途に分離して、それを現象界に一途に対置したものだから、右の相違点を思想的に捉えることができなかったのである」(*)。ルカーチは、「素朴」と「情感的」という対立には歴史的な意味が含まれるのにもかかわらず、シラーがあくまで感じ方にこだわって問題を主観化したため、明確な解決に至らなかったことを指摘するのである。したがって、歴史哲学としての「情感文学」構想は近代的分裂を意識的に取り上げたが、その解決には失敗したという点で、後の世代に課題を残すものとなった。ルカーチの述べるように、この点にシラーの歴史哲学としての「情感文学」構想の限界があるかもしれない。しかし、同時に近代的自己分裂をはっきりと意識しているという点において、「情感文学」構想はロマン主義的であると言えるのである。 (*)G.ルカーチ、「シラーの近代文学論」(前掲『ルカーチ著作集(4)』所収、402.;〔 〕は本稿筆者) おわりに [4001] 最後に、本稿の課題であったシラー美学の位置付けについて述べることにする。 [4002] 以上の考察から、我々はシラーの美学を単なる古典主義の美学とすることには大いに疑問が残ると結論せざるをえない。なぜならば、第3章で述べたように、シラー美学にはロマン主義的要素が明確に認められるからである。そこで、本稿での考察を締めくくるにあたって、シラー美学に認められる古典主義的要素とロマン主義的要素について、両者の関係をもう一度総合的に整理することとしたい。そうすることによって、シラー美学の位置付けがより明確になると、我々は期待できるのである。 [4003] ところで、古典主義的要素とは具体的に(狭義の)「美」や「素朴」を、ロマン主義的要素とは「崇高」や「情感的」を意味している。第3章において、我々はこれらの諸概念について考察した。その結果、「美」と「崇高」の問題に関しては、シラー美学が単に「美」を重視する立場から、「崇高」を「美」より高いものと位置付け、結果的に「崇高」を重視する立場へ移行したことが明らかになった。しかも、このような移行は、偶発的なものではなく《必然的なもの》なのである。つまり、シラーの目指した「道徳的文化」という理想の実現のためには「崇高」が必要不可欠なものとして要請されるのである。また、「素朴」と「情感的」をめぐる問題---すなわち、「古代」と「近代」をめぐる問題---についても、我々はシラーがヴィンケルマンのように単純に「古代」を賛美したのではない、ということを示すことができた。また、シラーは、単に「古代」を《範型》として、「情感詩人」に要請される到達点を明示したわけでもない。なぜならば、「情感詩人」の目標は無限の彼方にあり、しかもその無限の彼方とは、もはやアルカディアではありえずエリュシオンでなければならないからである。このように考えると、シラーの美学を「古典主義」という枠組みに組み入れることは不可能になる。もし、シラーの美学が純粋に「古典主義」的であるならば、なぜ、「崇高」が要請されなければならなかったのか、あるいは、なぜ、「情感詩人」の目標として「素朴」やそれに《類似した》概念ではなく、まったく新しい目標を定めたのかがわからなくなってしまう。また、これらのことがシラー美学の《必然的》な結論であったということも説明がつかない。したがって、シラー美学を「古典主義」の美学であると結論する従来の見解は、疑問視せざるをえないのである。 [4004] では、シラー美学の位置付けについて、我々はどのような説明を与えるべきなのか。今までの考察から、我々はシラー美学は「古典主義」の美学ではなく、むしろ「古典主義」から《離れようとする》美学的な試みであると理解するべきである。シラーが「崇高」に「美」から独立した地位を与え、かくも熱心に「情感的」という在り方を追求した(あるいは、せざるをえなかった)という事実が示しているのは、彼が新しい時代の美学の定立を志向していたということなのである。この姿勢はシラーの次の世代、具体的にはFr.シュレーゲルやA.W.シュレーゲル、シェリングの世代になると顕在化する。特にFr.シュレーゲルは、本稿で取り上げた部分からも明らかであるが、シラーの『素朴文学と情感文学について』から大きな影響を受けたと考えられる(*)。このように、シラー美学は、全体としては、「近代」を肯定的に捉え「近代」が向かうべき方向を模索した点で、後のロマン主義者達の問題意識を先駆的に取り上げた美学であると言える。また、シラーは、それぞれの論文において古典主義的な概念について述べてはいるが、それは次第に回復不可能なものなものとして意識されるようになる。つまり、古典主義的概念は徐々にシラーの理想主義から切り離されていったのである。この点を、我々はシラー自身の次の言葉によって確認することができる。「古代詩人と近代詩人---素朴詩人と情感詩人---とはまったく比較すべきでなかったか、あるいはある共通なより高い概念……のもとに比較すべきであったろう。というのも、詩の類概念をあらかじめ一方的に古代詩人から引き出してしまえば、近代詩人を彼らより貶めるのは、これ以上簡単でまたつまらないこともないからである」(NS 457)。 (*)このような言い方は、シラーとFr.シュレーゲルとの確執、特にシラーがFr.シュレーゲルを極度に嫌ったということを考慮した場合、疑問視されるかもしれない。両者の確執という点に着目してシラーとFr.シュレーゲルの間の思想的差異を示している論考としては、例えば、酒田健一「芸術哲学への途上で---シラー、シェリング、そしてフリードリヒ・シュレーゲル---」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』(文学芸術学編38)所収、1992.)がある。酒田は、Fr.シュレーゲルの『ギリシア文学研究論』とシラーの『美的教育書簡』が、同様の発想を根に持っている点を指摘した上で、それにもかかわらず、シラーがカントを中心におく思想圏にとどまっていたのに対し、Fr.シュレーゲルがフィヒテを中心におく思想圏に組したという点で両者は異なっている、とする。しかし、この相違が古典主義とロマン主義をめぐる対立から来る相違と同値であると受け取るのは早計かと思われる。カントの思想圏がロマン主義と無縁であったかと言えば、決してそう言い切ることはできない。特に『判断力批判』に限定した場合、カントは美とは別に崇高の概念を論じ、新たな美的概念としてこれを提示する。なるほど、酒田の述べるように、一般的にロマン主義者はフィヒテを拠り所としたと言われるし、それは事実であろう。しかしながら、カントがロマン主義的土壌の醸成にまったく参与しなかったとは言えないのである。このような見方をするならば、シラーがカントの思想圏にあったとしても、それが即ロマン主義と無関係であるということにはならない。それゆえ、シラーとFr.シュレーゲルの確執は古典主義的精神とロマン主義的精神との対立とは別のものと考えられる。したがって、本稿では表面的対立に囚われず、シラーとFr.シュレーゲルとの精神的類似性に注目することにしたい。また、そのように考えることは決して不可能ではないのである。 [4005] 以上から、我々は結論を示すことにする。確かに、シラー美学においては、古典主義的概念が取り上げられているが、結果的にこれはあくまでも回復不可能なもの、単なる理想としてしか意識されえなかった。シラーの示そうとした理想は、そのような単なる理想ではなく「近代」という現実に対処するための《現実的》理想であったと言えよう。そのとき、要請されたのが「崇高」という概念であり、「情感的」という概念なのである。既に検討してきたように、このような概念によって論を構成していこうとする姿勢は、もはや「古典主義」の範疇を超出している。それはシラーの後の世代に本格化した精神態度を準備したものであったのである。したがって、我々はシラー美学がロマン主義的美学であると結論できるのである。