滋賀の平和教育 安井惣二郎 [1] 八年前、県下の全ての小・中・高・養護学校、計403校を対象に、現在行なっている平和教育の実状をアンケート調査した(回収率44.2%)。学校全体で取り組んでいるもの25.6%、一部で取り組んでいるもの47.2%、特に取り組んでいないもの27.3%。分野別では、学校行事(修学旅行、映画回・講演会、学芸会・文化祭など)50.0%(以下複数回答)、学級活動29.8%、道徳教育32.0%、教科教育(社会、国語など)79.8%、課外活動6.2%であった。特に社会科では、憲法学習との関連で60.5%、あるいは歴史における重要な観点として59.9%、国際社会の視点から42.7%、歴史的事実として22.9%、郷土学習の一環として10.2%など多様な取り組みがなされている。(滋賀大学『平和教育の課題と方法に関する学際的研究』(U),1989年) 十分な調査とは言えないが、滋賀の平和教育は長い歴史と着実な広がりを持っていることが分かる。 [2] そこで先ず、平和教育の中心となるべき社会科、それも「高校社会」の抱えている問題に限って私見を述べたい。 [3] 数年前から高校社会は、地歴分野(日本史、世界史、地理)と公民分野(現代社会、政治経済、倫理)とに分けられ、殆どの高校が、主として大学受験対策上、前者に圧倒的な比重をかけたカリキュラムを採用している。その結果(と言うべきか)、受験生の九割が地歴を選択し、そのまた八割が「日本史」に集中する。しかも夙に指摘されているように、近・現代史は過密カリキュラムの中で素通り、ないしは時間切れで終る。これでは、ヴァイツゼッカーの「道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたい」という、歴史教育の目的は達成され難いであろう。 [4] 他方、学校現場で殆ど無視されている公民分野、とりわけ「現代社会」は、実は、地球時代の普遍的価値とも言うべき平和、人権、民主主義、社会的公正、環境について考えさせる科目である。教科書の目次を見れば、「自分らしさとはなにか?どうつくるか?」から始まって「かけがえのない地球を守るには」「ゆたかさとはなにか」「地域の変化と住民自治」「政治参加と世論の役割」「日本国憲法と恒久平和主義」「諸民族の独立と南北問題」「地球市民の倫理」まで、市民教育の(ひいては平和教育の)基礎と応用問題が網羅されている。高校教育の現場で公民教育が軽視され続けるならば、日本の若者は、地球民主主義の時代からますます取り残されていくのではないか。 [5] 子どもたちは、明日のみならず今日の市民である。悩み苦しみ考える時間と場所を保証しなければならない。そうすれば、自分の意志で決め責任をとる市民に成長するに違いない。そのためには大人自身が人間らしさを回復しなければならない。 (『しがの住民と自治』58号から転載)