初等教育コース 初等教科専攻 図画工作専修・中等教育コース 美術専攻

初等教育コース 初等教科専攻 図画工作専修では、小学校教員として特に図画工作を得意とする教員を養成します。そのために、「図画工作科教育法」を中心に児童の発達や特性を踏まえ、「造形遊び」にみられるような子どもの主体的な造形活動を保障する授業の在り方や、広く子どもの学習活動を支える図画工作科の重要さとその意義を学びます。また、「絵画、彫刻、デザイン、工芸、美術理論・美術史」の各専門的な領域から、小学校教員として必要な表現及び鑑賞の教材開発能力及び実践方法を身につけることをめざします。

中等教育コース 美術専攻では、中学校・高等学校の美術科教員を主に養成します。そのために「絵画、彫刻、デザイン、工芸、美術理論・美術史」などの制作と理論をより専門的に学ぶと共に、「美術科教育」関連科目によって美術教育の理念及び題材開発や実践方法を身につけ、美術に対する深い力量と専門性を持った教員の養成をめざします。

美術教育からのメッセージ

人間の社会には実にさまざまな「芸術」が存在します。
そもそもなぜ「芸術」が存在するのでしょうか。
伝統的に営まれている「芸術」もあれば、常に新しさを追求する現代的な「芸術」もあります。「伝統的」と「現代的」とはどのような関係にあるのでしょうか。
その中にあって、子どもの「芸術」の意義や位置づけをどのように考えればよいのでしょうか。そして「教育」にとって「芸術」はなぜ必要なのでしょうか。単に生命の維持や社会を運営するためだけであれば、ほとんど必要とは思われない過剰な表現の存在は、私たち人間に一体どのような意味を与えているのでしょうか。

そして「表現」とは、だれもが社会や他者と関係を持つときに直面する問題です。
しかし考えてみれば、人間は赤ちゃんのときからさまざまな「表現」に取り囲まれて自己を形成してきたという意味で、「表現」によって生かされている存在とも言えます。

滋賀大学の美術教育カリキュラムは、このような「芸術」と「表現」をめぐる本質的な問題に応えるために設定されています。私たちが「生きていること」と「表現すること」との根源的な関係を捉え直すことから出発しているのです。
今「教育」と「アート」の関係を考えてみることこそ、新しい時代の最も重要な課題ではないでしょうか。「教育」は「アート」であるかもしれないのです。

スタッフ紹介

新関 伸也 にいぜき・しんや(教授:美術科教育)

美術教育を通して、「生きること」を考える

図画工作科や美術科の授業は、なぜ必修科目として小・中学校の科目にあるのでしょうか。みなさんは、本気で考えたことがありますか? また、絵を描いたり、モノを作ったり、作品を鑑賞したりすることは、特別な才能や能力、専門知識が必要で、誰でもやれるものではないと思い込んでいないでしょうか? でも、よくよく考えてみてください。子どもの頃、落書きをしたり、様々な材料で何かを作ったり、何かを見立てて遊んでいた経験は誰にでもあったはずです。人間の成育の過程で、ごく自然に行っていた表現の豊かな世界を忘れ去ってはいないでしょうか?美術科教育では、このような思い込みや疑問に答えていく学びをする一方で、教師としてどのように図画工作や美術の授業を作り上げていけばよいのか。また、児童生徒の行為や関係性をどのように読み取って、授業を組み立て行けばよいのかを共に考えたいと思っています。

今、社会はあらゆることで説明責任が求められ、また教育現場でも達成目標や評価の明確化、数値化が叫ばれています。しかし、我々人間は、数値化できない気持ちや言語化できないイメージに翻弄され、喜怒哀楽の日々を生きています。みなさん美術教育を通して、「人間とは何か」「子どもとは何か」を一緒に考えてみませんか?

<卒業論文タイトル>


村田 透 むらた とおる(准教授:美術科教育)

大学で図画工作・美術科教育を学び、教師になるということは?

皆さんが教師を目指す上で、<育てられる者>から<育てる者>へ育つことが求められます。そのために、以下2点のヒントを出します。

【ヒント①】学校の授業を構成する要素を見付けてみよう。 授業は、「人、もの、こと」で構成されています。「人」とは人的環境、「もの」とは物的環境、「こと」とは社会的事象や自然現象などです。図工・美術の授業は、子どもが直接的・具体的に「人、もの、こと」とかかわり、自分を表現する学びの場です。 【ヒント②】子どもも教師も「人間」であることを知ろう。 人間は、「自分の思い通りにしたい」「誰かに認めてもらいたい」という相反する根源的な欲求をもっています。また教師には「養護の働き」と「教育の働き」という両立困難な役割も求められます。 特に図工・美術の授業では、人間の2つの欲求や教師の2つの役割が色鮮やかに出現して、悲喜こもごものドラマが生まれます。

大学での図画工作・美術科教育の学びを通して、【ヒント】からたくさんの「問い(何故?)」を発見してください。そして、「問い」を解決できる知識や技術を身に付け、多様な「物事の見方、考え方」ができる教師(<育てる者>)を目指していきましょう。


藤田 昌宏 ふじた・まさひろ(准教授:彫塑)

図工や美術という科目で、先生は子ども達に何を伝えるのでしょう?上手に描く技術といった目標も大事でしょうが、やはり一番は形や色に表現することの面白さや不思議さなのではないでしょうか?大学での授業も根本は同じ。違いは、ただ「作って楽しかった」ではなく、それを自分でよく考えることです。

私が担当する彫刻の授業では、まず立体表現の入門として目隠しでの造形や多様なクロッキーに取組み、立体に表現することの面白さを体験してもらいます。その後、粘土や石膏・樹脂を主な素材に、塑像をベースとした具象表現の体験を積み、学生の興味に応じて、立体作品の置かれる空間を見据えての表現(インスタレーション)や、作品に時間の要素を取り込んでの映像表現等にもチャレンジします。また、学校教育を飛び出して、子どもだけでなく学生や一般の人々を対象にした、ワークショップと呼ばれる造形を通しての交流の場を企画することにもチャレンジします。

<卒業論文タイトル>


世ノ一 善生 よのいち・よしお(教授:デザイン)

私は、グラフィックデザインに関する制作・研究をしています。グラフィックデザインとは何かと問われると、なかなか答えにくいのですが、「文字・写真・イラストレーション等の視覚的要素を用いて何かしらの情報を伝える」としておくと無難でしょうか。

私はそのグラフィックデザインの領域の中でも、タイポグラフィと言って、紙面のレイアウトや文字の組み方を考える仕事を主にしています。担当授業は実習授業が中心で、シンボルマーク、本のカバー、新聞広告、ポスターなどの制作を行っています。これらの制作において、発想そのものやアイデアを練る工程では当然ながら人間の頭と手が主役となりますが、それ以降の工程では、コンピュータが大いに制作を助けてくれます。

担当する学生の卒業研究は、グラフィック領域に関連する各自の企画を尊重して進めています。それが、他人からどう見えて何が伝わるのかという点を学生と話し合いながら、主観的で自己満足なものに偏らないよう心がけて指導しています。

<卒業論文タイトル>


谷田 博幸 たにた・ひろゆき(教授:美術理論・美術史)

誤解だらけの「美術」?!

よく目にし、耳にする「美術」をめぐる誤解をいくつか挙げてみましょうか。 「美術は個人の自由な表現の手段だ」「美術は人の心を豊かにしてくれる」「人はそれぞれ感じ方も考え方も異なるのだから、美術作品は自分の感性や美意識に従って自由に鑑賞すればよい」 三つくらいでいいでしょう。

さて、美術がとりわけ自己表現の手段と目されるようになったのは、せいぜいここ百年足らずのことですし、美術が自由だったためしなど、これまで一度たりとありません。

美術、とりわけ19世紀までの伝統的な美術は、なにより約束事でなりたっている世界なのです。ですから、そうした約束事を無視して、己の感性や美意識だけに従って鑑賞しようとすれば、往々にして間違った解釈に陥りかねません。それに、価値観の多様化などと云っても、人の感じ方、考え方は、云うほど違うものでもありません。ある一定の刺激に対して、ある程度一定の反応をするように人間はできているのです。それから、美術が人の心を豊かにしてくれるなんてのは、単なる蒙昧な幻想にすぎませんね。何十年と美術とつきあってきたワタシがいい例です。美術で心が豊かになんてなりませんよ。

こうした意外と根深くはびこっている誤解を解き、知的に「美術」と向き会う術を伝えること、それがワタシの仕事だと思っています。

<卒業論文タイトル>

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