このページは、関西倫理学会編『倫理学研究』29号,1999,pp.1-12 に掲載されたものをそのまま公開するものである。



「ヒストリー」を超えて


安彦一恵


はじめに


 例の「自由主義史観」の出現以降、「歴史観」をめぐる論争が(再び)活発になっている。筆者は48回大会発表(「「歴史観」闘争」)で、これがまさしく「闘争」として〈熱く〉展開されていることについて、「歴史観」が人のアイデンティティを構成するものとなっており、それゆえ論争はその人のいわば人格を賭けたものとなっているからだとして、論争が〈闘争〉となる所以を明らかにした。そこでは言ってみれば事実確認的に論を展開したが、本稿は、その論をさらに整理しつつ、一つの規範的主張として、そうしたアイデンティティの在り方の、したがって同時に「歴史」という見方そのものの脱構築を意図するものである。最近、東京大学出版会から『ナショナル・ヒストリーを超えて』というタイトルの論集が出版されたが、本稿の論題は、これを借用して付けた。本稿は、この論集に対しては、そこでの諸議論を「ヒストリー」(「歴史」)そのものをテーマとしてさらに展開させるべきだというメッセージをもつことになる。


一 「歴史」とはなにか


 以下本節は、もっぱらヨーロッパの文脈において議論していくが、ヨーロッパにおいて今日の意味で、すなわち〈出来事の記述〉と〈出来事の過程〉との二義をもつものとして「歴史(history)」という語が使われるのは、ようやく十八世紀になってである。しかし、そうした近代的意味での「歴史」は、この二義性によってのみ特徴づけられるのではない。十八世紀に生じたより重要なことは、出来事が〈自然の出来事〉と〈人間の出来事〉−−ヘルダーはこれを「文化」と呼んでいる−−とに区別され、その人間の出来事、神ではなく人間自身の出来事の過程が「歴史」として取り出されるようになったということである。それ以前においては、世界の全ての出来事が神の手によるものと捉えられていたのであるが、十八世紀において人間が自ら引き起こす出来事として「歴史」が取り出されたのである。
 他方(やがて「歴史」が分離していく)「自然」は、中世では神の摂理に支配されるものと見られていたが、いわば〈聖なる自然学〉という在り方を中間形態として、やがて神から切り離されて、それ自身自立した過程として、(かつての摂理に代わって)その法則が探求されていくことになる。そしてそこでは、「自然」は未完結のオープンな過程として措定されている。これに対して「歴史」の場合は完結性が大きな特徴を成す。かつて中世においては世界の一切が神の下にあり、その意味で世界は完結していた。近代において世界はこの神の支配から切り離されたのであるが、「自然」と違って「歴史」の場合は、そこに新たな完結性−−神から切り離されているので、それは自己完結性である−−が想定されるのである。それは換言すれば、「歴史」が一つの目的論的構造体として見られているということである。出来事の記述としての「歴史」=「歴史学」も、出来事としての「歴史」をそういうものとして記述することを本質とする。記述のそうした在り方を広義で「物語」と呼ぶなら、歴史記述(「歴史」というディスクール)の本質的特徴として「物語性」を挙げることができる。
 しかし、人間の出来事も、自然の出来事と同じように非-目的論的に未完結な過程として記述することが可能である。歴史学に対して「社会科学」を峻別するなら、これがその本質的特徴である。それは、自然をそのように記述する自然科学と同じであるとして、「自然主義」だと見ることも可能である。社会科学も、対象としては(自然ではなく)まさしく歴史を記述するものだと言ってもいいが、それは「歴史学」が記述するものとは別である。いわば自然としての歴史である。歴史学と社会科学とのこの区別は、新カント派的な個性記述学と法則定立学との区別には重ならない。我々のこの区別は、対象を完結体と見るか否かを基準とするものである。その意味では社会科学は自然主義として適切に特徴づけうるのであって、歴史学の在り方はこれとの対比で(最広義で)「歴史主義」と呼びうる。(したがって、ポパーが言う「歴史主義(Historizismus)」を、多くそうされるように「歴史法則主義」と訳出する場合、我々の言う歴史主義・自然主義の区別はほとんど反映されないことになる。両者とも「法則」は語りうるのであって、違いは自然主義ではその「法則」が−−自然法則のように−−非-目的論的法則であるのに対して、歴史主義ではそれが目的論的であるところにあるからである。)
 自然主義・歴史主義のこの対比は、例えばウェーバー的な説明科学と理解科学との区別にそのままは一致しない。人間の出来事はまさしく人間の出来事であって、そこに−−自然とは異なって−−〈心〉もまた対象となりうる。人間であっても〈心〉を捨象して〈行動〉のみを対象とすることは可能であり、そこに「行動科学」という在り方も出てくるのであるが、我々がここで言う自然主義は社会科学を行動科学に還元するものではない。社会科学そのものは−−自然主義であっても−−(個人の)〈心〉を対象としえる。歴史学と社会科学との区別はあくまで、複数の人間の出来事の集合的過程を完結的と見るかそうでないかを基準とするのである。
 近代以前における見方も目的論的であった。それは、いわば神を目的措定の主体として世界の過程を把握するものであった。十八世紀的な歴史哲学−−私見では、その頂点はヘーゲルである−−は、この神を世界内在化的に人間化したものであって、これを形而上学だとして十九世紀以降「歴史学」は批判するのであるが、その目的論的性格のゆえに「歴史学」はなお一種形而上学的であると言うことも可能である。十九世紀において「歴史学」は「哲学」への対抗において「(史料)実証主義」を標榜するのではあるが、社会科学あるいはさらに自然科学と対比してみた場合、それは通常の意味で実証主義に自足するものでは本質的にありえない。極論するなら、近代以前においても神の摂理(支配)を実証するといったことがあったとして、それと同じ意味で歴史の過程の目的論的構造を「実証する」といったものであったとも言いうる。(但し今日では、この在り方を継承するのはいわゆる「通史」のみであって、個別実証はこの限りでない。しかし後者は、いわば実証一般としてもはや固有の在り方として「歴史学」とは言い難い。因みに、近年の「物語派歴史学」は、逆に実証主義を放棄するかたちで一種芸術作品として「歴史」を描出しようとするものである。)
 「歴史学」のこの在り方は、それが純粋な科学と異なって一定の「価値」を前提としているとして換言できるかもしれない。例えばドレイ(『歴史の哲学』培風館 1968 参照)が、(因果的な)歴史記述にとって価値が構成的であることを証示している。しかしこのことは、自体的に存在する歴史の過程に対して「歴史観」をもってそれを記述するところに価値が混入してくるというふうに理解されてはならない。そうではなくて(過程としての)「歴史」そのものがすでに一定の価値の前提のもとに措定されるのである。ここでもし、あくまで自体的な価値以前的過程を想定するなら、それはもはや(通常の意味では)「歴史」と呼べぬものとなる。価値は「歴史」そのものに対して構成的なのである。
 しかしながらここで、そうであるとしておよそすべての学が同様であると言われるかもしれない。例えば「立場」−−ハーバマスの「認識関心」でも構わない−−が学を規定しているとするなら、およそすべての学が価値を前提としているとも言いうる。日本でも野家啓一(『科学の解釈学』新曜社 1993 等参照)などが、その意味で科学は(あるいは:といえども)すべて「物語」であるとも述べている。そしてさらに、実際、野家的学問観の先駆であるクーンのパラダイム論は、そのパラダイムの構成要素として「価値」をも挙げている。だが、「物語」として問題とするとして、野家の言う場合の「物語」と先に我々が言った場合の「物語」とでは意味が異なる。我々は(あくまで)完結性−−目的概念が始めて可能にする完結性−−をもった(全体的)記述を「物語」と呼んでいるのだが、科学も「物語」であると言われる場合、−−たとえそこに価値が前提となっている場合であっても−−その意味は含まれていない。
 そうすると我々はここでドレイの議論、あるいはウェーバーの議論の枠をも超えることになるのだが、「歴史」と「価値」との関係について一層厳密に分析しなければならない。ドレイの考え方では、(そういうものがあるとして)自体的な過程が、観察者のいわば価値のサーチライトのもとでそれ自身価値の相を有しつつ一つの連関として現われたものが「歴史」である。これに対して我々は、(さらに)その連関の内に価値が想定されて−−その価値実現として目的論的に経過するものとして−−始めて「歴史」となると考えている。我々は個々の人間を見るとき、−−行動主義者でないならば−−通常、その人の行為をその人自身の価値の実現の、あるいはその挫折の経過として直観する。その意味で「歴史」とは、複数の人々の諸行為からなり、その限りで個々人に対してはそれを超えた経過を、一個の主体として一種擬人的に見るところに措定されるものだと言ってもいい。或る民族の歴史について、その経過がその民族に対して超越的な要因から説明されるときでも、例えば民族の「運命」が語られるときは−−自然物については端的には運命を語ることができず、そしてそれは当の自然物に(価値実現の)意図が存在しないからであるというところからみても−−厳密には「民族」の意図を超えた経過として、したがって民族の意図を、つまり主体としての民族を前提として語られているのである。
 このようなものとして「歴史」は、しかしながら、一定の(学問的)方法論的構えのもとで措定されるのではなく、個人にとってまさしくそのようなものとして直観されている。マイネッケは、こうした直観を「歴史的感覚」と呼んでいる。『歴史的感覚と歴史の意味』初版序言冒頭でこう語られている。「歴史的感覚と歴史の意味とは、あい対応し・たがいに指向しあうふたつの概念である。人間としてまぬがれがたい偏狭さのゆるすかぎり、広く歴史の意味をとらえることを期待しうるのは、ただ正しい歴史的感覚だけである。個々の歴史的形成物の意味は、歴史的感覚をもってじゅうぶんにとらえられる−−もっとも、全体としての歴史の意味は、なお超感覚的な世界秘密のままにとどまる。......けれども、歴史的感覚の助けによってわれわれはいわばひとつの輪郭を見いだすことができ、そして全体としての歴史の意味はその輪郭のなかにあるにちがいないのである。」(中山治一訳、創文社、1972)
 このマイネッケのタームで言うなら、「歴史」とは「歴史的感覚」において「意味」をもって直観される現実のことである。しかも、その際「意味」は(自体的に)「歴史」自身のうちにある(ものとして直観される)のである。「意味」は一般に何らかの志向的存在者の相関物である。したがって、観察者(という志向的存在者)、あるいは歴史家にとって「歴史」が有意味的であるのは当然なのだが、その「意味」が歴史内在的とされることによって歴史そのものが−−厳密にさらに言うなら、歴史の中にあるではなく、歴史そのものが−−志向的存在者とみなされるのである。これは換言すれば、歴史が目的論的構造をもっているということである。あるいは、そのような目的論的構造体にして始めて(現実は)「歴史」なのである。


二 二つの歴史観−−「自由主義史観」と「科学的歴史観」−−


 冒頭に挙げた「自由主義史観」は、この言い方で言うと、歴史をまさしく目的論的構造をもつものとして叙述せよと説いている。この自由主義史観派の理論的支柱である坂本多加雄は「物語」というキーワードで主張を展開している。最近著『歴史教育を考える』(PHP新書 1998)第二章は「国の歴史とは国民の物語」(61)と名づけられている。ここで言う「国民の物語」とは、各国民に共有された、共通の物語という意味をももつが、同時に「国民」を主体とする物語という意味をももっている。「物語」は「来歴」とも換言されているが、これについては端的に「日本の来歴」(70)という言い回しもされている。ここでは、「日本」の歴史が「日本」を主体(主語)とする歴史であることが端的に示されている。
 坂本はこの「物語」を、リクールに依拠して「筋」から構成されるものとして説明している(70ff.)。坂本によれば、「筋」は「いわゆる因果関係」とは別であって、「因果関係より大きな概念であり、かつ因果関係の分析に先行するもの」(71)である。形式的にみるならこれは、クーンの「パラダイム」、厳密には、そのうちの「形而上学的パラダイム」に相当すると言うこともできる。これであれば、我々も、およそこれなしには因果的なものも含めて一切記述は不可能であるということを認めることができる。そして、クーンからすれば「形而上学的パラダイム」はおよそ非-経験的なものであり、そうしたものが理論を規定するのであるから、上の野家に従って理論は全体として(も)「フィクション」であると言ってもいい。坂本も実際「来歴」(「物語」)を「フィクション」だとも語っている(cf.62)。しかし、坂本が言う「筋」は「形而上学的パラダイム」に尽きない。
 坂本は、個人における「物語」とのアナロジーで「国民」の物語を考える。『象徴天皇制と日本の来歴』(都市出版 1995)第一章においては、リベラリズムあるいは個人主義の「選択する自己」に対して、「物語る自己」が対置されている。前者は、その時々においてそのときどきに何が自己に最適かを考えて行為する人間−−浅田彰に従って「スギゾ型人間」とも呼ばれる−−である。後者は、自らの過去から現在にかけての経験について一定の「筋」を想定し、その「筋」にしたがって自己を理解し行為する人間である。「筋」によって−−「物語的同一性」(リクール)をもつものとして−−その人はまさにその人でありうるのである。この「筋」は或る人において始めから一貫してその行為を規定するというものではない。筋はあくまで現在においてその時点から遡及的に過去に対して想定されるものである。したがって、それが実際の過去と乖離することは十分ありえる。その意味で、それもまたフィクションだと言いうる。
 坂本によれば、そうした「筋」=「物語」の仮構は、各人がまったく自前で行なうというものではない。そうではなくて、すでにある物語を援用して、それを自分に当てはめることによって仮構されるものである。したがって、各個人のそれぞれの物語が「類型的な」(18)ものとして相互に似たものともなる。しかしながら坂本によれば、そうした類型的な物語的自己理解なしには自己は−−例えば青年期のアイデンティティの危機というかたちで−−自己を維持できない。こう説かれる限りでは、坂本の主張はいわゆる共同体主義と同じである。坂本が言う「筋」とは、こうした共同体主義的自我観からする自我像がいわば現実へと投影されたものでもある。
 自由主義史観に反対する立場の最も代表的なものは、歴史=フィクションという発想に対して、それを戦前の−−まさしくフィクション=神話を含む−−皇国史観と重ね合わせて、事実としての「科学的」歴史を対置するものである。日本の戦後の、特に日本史学はこれが主流であった。ここから、自由主義史観に対して「歴史の偽造だ」という批判がなされている。(これに対して自由主義史観からは、そうした「科学的」歴史観こそが−−例えばコミンテルン史観として−−「歴史の偽造だ」という反批判がなされている。)しかしながら、なぜそうした「偽造だ」という情動性の強い言葉が使われるのか。なぜそうした価値評価的概念が使われることになるのか。通常の科学上の理論対立の場合、相手側に対しては「偽である」とか「反証されている」と批判が行なわれる。もちろん歴史観の争いにおいても例えば「誤りである」という表現が使われるのだが、その場合でも強く道徳的な意味が含められている。「(歴史の)真」という表現が使われるときもそうである。なぜ、そうなるのか。
 坂本的歴史観との対比で言うと、「科学的」歴史観は、まず「筋」を排除して「因果連関」で出来事の客観的真理を叙述しようと意図するものだと言えるであろう。しかしながら、クーン以後の科学論的地平でいうなら、「客観的真理」を「自体的真理」の意味で考えているのなら、それは端的に偽である。「自体的真理」といったものはありえない。したがって「客観的真理」は「間主観的真理」としても語られることになる。そして同時に、その「間主観的真理」を規制するものとして、(「因果連関」以前的な、レヴェルとしては「筋」に相当する)「立場」の正しさといったことが強調される。戦後期でいうなら「プロレタリアートの立場」の主張もそれに当たる。これを一般化して何らかの「価値基準」の叙述構成性が語られることにもなる。であるから、−−「価値」を前提とするとしても、事実上同一の「価値」の上でなされている(パラダイム内部的な)科学理論間の対立の場合と異なって−−歴史観の対立は「事実」によっては解決されないのである。(「事実」によって解決可能とみなされているときは、実は、自らが前提としている「価値」が−−多く「常識」として−−無意識に留まっているからである(H.ホワイト「現実の出来事の物語化」(W.J.T.ミッチェル編『物語について』平凡社 1987 所収)参照)。それゆえまた、対立は価値の対立として(純)理論的対立を超えることになるのである。したがって、−−倫理学会メンバーとして言えば?−−であるなら歴史観の問題は端的に価値観の問題として「倫理学」として論究すればいいことになる。それはそうとしてしかし、本稿はここをさらに問うものでもある。


三 「ヒストリー」を超えて


 前段落の確認を踏まえるなら、自由主義史観も、それに対立する歴史観も一定の「価値観」を前提しているという点で実は同じだと(まず)言える。この共通の前提の上で、対立する側では、自由主義史観の歴史が「国民」「国家」を枠組みとする、その意味で「ナショナル・ヒストリー」であることが攻撃されることになる。「ナショナル」という枠組みが(近代国家形成のための)権力的な枠組みであることを考え合わせるなら、これはこれで意味のあるものであるのだが、しかし、問題の本質はここにはない。
 問題は、枠組みがどの範囲で考えられる場合であっても、「歴史」が主体化されているという点にある。換言するなら、歴史が(あるいは:として)目的論的構造体として把握されているという点である。坂本の論において、(各)個人の「物語」の必要性、あるいはさらにその下敷となる、国民共通の(平均的ないしは典型的)国民の「物語」という意味での「国民の物語」の必要性を超えて−−各人のアイデンティティ形成に必要だと言うなら、ここまでは認めても構わないが、それを超えて−−、「国民というもの」つまり「国家」の「物語」の必要性が説かれている。上で「日本の来歴」が語られているのを指摘したが、これが「日本人」、各日本人の平均値ないし典型として「日本」であるなら話はまた別になるのであるが、坂本は端的に「日本の来歴」を語っている。これは、日本における出来事の歴史を、「日本」を(主語として)主体化しているからである。なぜ、各人、あるいはその一般化である日本人について言えることをアナロジーとして直ちに「日本」にも適用することになるのか。ここには純論理的には飛躍がある。
 なぜ飛躍が行われるのか。我々は歴史が「信仰」の対象であるところにその原因があると考えている。レーヴィットは「歴史主義」をこの「歴史への信仰」として規定している。これは我々からしても「歴史主義」の基底的規定であるが、この「歴史主義」が歴史を信仰の対象として措定するのである。マンハイムも「歴史主義」を、「宗教的に規定された中世の世界像が崩落してのち、その世俗化された啓蒙期の世界像、つまり超時代的理性という根本思想をもった世界像が自己自身を止揚してはじめて定立された世界観そのもの」(稲上毅訳「歴史主義」『全集1』潮出版社 1975,268)と基底的に規定している。ここ(だけ)からも言えるように、(本来の)宗教、十八世紀を通じて崩壊していった宗教の代用物として「歴史」が措定されてくるのである。(例えばハーバマスは端的に「代用宗教としての歴史意識」と語っている。)そして、およそ信仰の対象は「主体」として始めて可能であって、そうである以上「歴史」もまた一個の「主体」として措定されるのである。
 (近代)歴史学はその成立において近代国家=国民国家と密接な関連をもって登場してくる。この近代国家の枠組み(「民族」)に適合的に「歴史」は民族=国民単位に分節化され、ドイツの歴史、日本の歴史......といったかたちでも措定されてくる。したがって、国民国家創設者たちが政策的に「歴史」「歴史教育」を重視しもしたのであり、政治的にみるなら近年の自由主義史観派の登場にもこうした支配者の意図を読み込むことはなるほど間違いでない。しかしながら、逆に、こうした歴史を共通に信仰する(という新しいタイプの)人たちとして「国民」が形成され、そうした「国民」を基盤として「国民国家」が形成されてきたと見ることもできる。
 自由主義史観に反対する立場から、この歴史の在り方について、そうした信仰の対象としての歴史を説くことを批判することも可能である。しかしながら、基本的には、その批判は「ナショナル」な歴史の批判に留まっていて、(信仰の対象としての)歴史そのものの批判にまでは至っていない。だから、「ナショナル」な枠組みは否定し、各国民共通の歴史が語られたりすることにもなるのであるが、「信仰」の対象であるという性格はそのまま保持されていると言っていい。
 「科学」的歴史観を説く系列の歴史家たちも、むしろ逆にそうした信仰の対象を保持しようとさえしているとみれなくもない。そこまで言えぬとしても、「歴史」そのものは等しく目的論的構造体として把握されている。例えば色川大吉『近代国家の出発』(『日本の歴史』21、中公文庫 1974)冒頭部分の叙述について西川長夫は「この冒頭の文体のリズムによって暗示されているのは......そうした国家権力と人民との闘争をこえたところにあるいわばナショナルなものの存在とその運命ではないだろうか。あるいはそのナショナルなものとその運命にたいするヒロイックな共感ではなかろうか」と述べている(「歴史叙述と文学叙述」『歴史学研究』no.463,1978,2)。西川はこれを、「イデオロギー的であるのは、単にその叙述の示す意味内容によってだけでなく、その叙述がえらんだ文体と形式によって.....で[も]あるということ」と述べつつ(14)、叙述の−−「内容」から独立した−−「文体」として問題として、その文体に、今の時点に置き直して敷衍して言うなら自由主義史観同様の「正史」の臭いを指摘している。
 西川は同時にこれを、「それは実は文章や書き方の問題ではなくそのような文章を書いてしまった歴史認識や歴史理論に欠陥があるのではないか」(14)としても批判している。だが、この線での議論は未展開に留まっている。我々はこれを、歴史への信仰という側面から問題としているわけである。『近代国家の出発』を読んでみると我々としても同じ印象をもつ。我々はこれを目的論的構造体として歴史が把握されているからだとするのだが、厳密に言うなら色川においても確かに、さすがに有機体論的に端的に近代国家・日本が主体とされているわけではない。目的論的存在として直接に描かれているのはあくまで個人である。しかし、その個人はステレオタイプ的であって−−西川は「民衆史」について色川の描出する「民衆」が、実際に描かれているのは特定の個人であるとしても「何らかの役割の「担い手」」(3)としていわば「抽象」者として描かれているとする。因みに西川は、「歴史」の場合それは不可避であって、そこに、個人をその具体性において描く「文学」との原理的相違があると説いている−−、いわばダミーとして描かれており、そこに非明示的に主体として「国民」全体あるいは「日本」が指示されている。であるから、上のような「ナショナルなものの存在とその運命」が描かれているという印象も惹起されてくるのである。
 我々はここで、ステレオタイプ的な叙述自身が問題だとしているのではない。実際ウェーバーの「理念型」論などを踏まえて言うなら、およそ科学においては−−個人を記述するとしても−−何らかの類型化は不可避である。問題はむしろ(逆に)個人を−−これは、いわゆる「昭和史論争」における亀井勝一郎の〈対象に対する共感的理解がない〉という批判を受けてのことかもしれぬが−−「文学」がするようにいわばリアルに描こうとすることによって、しかし「文学」あるいは個人史(伝記)であるのではなく何らかの集合的関係体を対象とするところから、その集合的関係体(「日本」)をも人格化してしまうところにある。この点で言うなら社会科学とは、逆に(意図的に)非リアル化を図るものである。したがって、「科学」的歴史はむしろ「文学」から遠ざかるべきなのである。その先にあるのは社会科学への解体であるかもしれぬが、−−「歴史学」という学問領域が制度的に確立されているのでこうならざるをえないのだが−−実際、「社会科学としての歴史」が主張されてもいる。
 ここで、「物語派」として(自己限定して)「歴史」を描こうとするのなら、話は別である。そこでは「歴史(叙述)」は一つの「作品」であり、むしろ「文学」に限りなく接近していく。しかしその場合、「真理」の主張は放棄されなければならない。しかるに「科学的」歴史観は−−「真」という曖昧なカテゴリーを導入することによって−−なお「真理」性を主張しようとする。この点はまた、「自由主義史観」の方も−−「歴史はフィクションだ」と言いつつも−−放棄しないところである。ちょうど神がフィクションであっては本当には神でありえないのと同様に、歴史は真理でなければならないのである。
 しかしながら、歴史の目的論的構造体としての把握は、例えば歴史家の方法的選択によるものではない。歴史は学以前的に(受動的に)目的論的構造体として直観されるのである。近代におけるその形成期においては「歴史」とはそもそも目的論的構造体としての現実そのものであった。そういうものとして「歴史」が直観されていたのである。上でみたマンハイムの認識に基づいて言うなら、人に信仰心というものがあるとして、十八世紀においてその対象が次第に崩壊していった後、その喪失を埋めるものとして「歴史」が現出したのである。だが、そうであるとして、それは人において何があるからか。それは端的に言って、人が自らのアイデンティティの確立を求め、かつそれを〈現実〉のうちに支えをもつことによって行なおうとするからであり、そして、〈支え〉として〈現実〉は「歴史」としてこそ機能するからである。(例えば長山靖生は『人はなぜ歴史を偽造するのか』(新潮社 1998,229)で、この事態を次のような批判のコンテクストのなかで確認している。「結局、多くの人間は現実社会では満たされない自分の欲求を、空想のなかで発散する......。勿論、それが空想にとどまっていれば別に問題はない。困るのは、いつの間にか自分の夢想を本気で信じてしまうケースだ。しかもその夢想は、当人にとっては自分のアイデンティティーを支えてくれる物語だから......大切であり......。/さらに困るのが、こうした個人的なアイデンティティーの物語が、国家だの民族だの教団だのといった共同体で共有され、増幅される場合である。そこには安易な「真実の」「正しい」「歴史」が立ち上がることになる。」)これは、個人のアイデンティティは「物語的自己同一性」として確立されるというリクールの認識からしても、それと適合的に〈現実〉もまた物語的構造をもつ、すなわち「歴史」であることの方が有効であるからだ、というふうにも説明することができる。
 歴史観をめぐる対立が理論的次元を超えるのは、より根底的には、このようにアイデンティティの問題が絡んでくるからなのである。しかしながら私見では、アイデンティティの確立を求めるという事態は近代固有のものである。(宗教の強いリアリティの下では人は自らが何であるかという探求の意識などそもそももたなかった。)我々もまた(なお)近代にあるとしてこの在り方(そのもの)は認めるとして、アイデンティティ確立の支えを、「歴史」として外部の、しかも自らの直接的(環境)世界とは遠い(観念的-共同的)現実に求めることは、一つの弱さではなかろうか。あるいはニーチェ的に言って、さらに「病い」(「歴史病」)ではなかろうか。であるとするなら、そうした弱さ=病いの故に求められるものとしての「歴史」は超えられなければならないのではなかろうか。
 しかしながら、実は「病い」などではなく、その方が「健康」なのかもしれない。リベラリズムの自我を「空虚な自我」として批判する共同体主義的観点からは、現実から切り離された自我こそ「病的」であって、自我の正しい在り方は現実を、かつ物語として自己の構成分としていることである。換言するなら「歴史」に依拠していることである。自由主義史観も基底的には、この〈人間論〉を展開しているのである。しかし再び、仮にその方が「健康」であるとして、それはいかなる意味で「健康」なのか。かつて人類は長い期間、宗教の名のもとに抗争をくりかえしてきたとするなら、近代は、(「宗教」とは換言すれば〈現実が或る(特定の)神の下にある〉という世界観のことであるが、)それと同じレヴェルで世界観(イデオロギー)の下で、つまり〈現実が......である〉という「歴史」の下で戦争を遂行してきた。戦争はなるほど「国益」(あるいは国家を自己利益貫徹装置とする「資本」)の争いであるというのも間違いでない。しかし、その「国益」の争いを−−例えば「ホロコースト」というレヴェルで−−徹底して遂行させたのは、まさに「世界観」である。
 自由主義史観に反対する人々は、あるいはこの事態を、各国民が共通の「歴史」をもつことによって克服しようとしているのかもしれない。しかし、〈抗争〉の物理的主体が例えば国家といった政治組織であるとしても、そのいわば精神的エネルギー源がこのように「歴史」にあるとするなら、単に「ナショナル・ヒストリーを超えよ」と主張する−−それは「ヒストリー」そのものは許容するものであって、人々の「健康」への志向に適合的ではあるのだが−−だけでなく、基底的なところからさらに徹底して「(そもそも)ヒストリーを超えよ」と説かれる必要があるのではなかろうか。*

* 紙幅の制限で十分な註を付けられなかった。『Dialogica』(滋賀大学教育学部倫理学・哲学研究室)(electronic journal = http://www.sue.shiga-u.ac.jp/WWW/dept/e_ph/dia/)各号掲載の関連拙稿等を参照頂きたい。


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2001.08.12.作成