ランドスケープの倫理学* (一)

                    安彦一恵


本稿を読まれるにあたって(2009/07/09付記)

5章3節中のMarquardに関する記述には誤りが含まれている。この点を修正し、 かつ大幅に補完を加えたものとして拙稿「「補償理論[埋め合わせ理論]」とは何か --- コメント、および自己訂正・補完 --- 」(DIALOGICA No6.,1998)を併せて読んで頂くことをお願いします。


....琵琶湖畔で、ヤシの木の植樹をめぐって景観論争が起きている。
 「ちょっと不自然」学者ら
 「南国風でステキ」若者
        『朝日新聞』1992年6月27日(夕刊)

京都の景観保存について
 片方は、そんなことをしたら京都は経済的に死んでしまう、だから開発は当然やないか と言う。片方は、いや世界の歴史的遺産を守るのは当然だと言う。(堀場雅夫)
        野田浩資「京都という病」『都市研究・京都』no.5.1992 から引用

飲料水不足に悩むサンフランシスコのために、ヘッチヘッチー渓谷にダムを造るか否かをめぐって
 Muir,J. (保存主義):反対 「人間にはパンと同じように美が必要だ」
 Pinchot,G.(保全主義):賛成 「サンフランシスコの子どもたちを救う方が先だ」
        岡島成行『アメリカの環境保護運動』岩波新書1990 から引用

 本稿は、このような紛争−−景観をめぐる紛争−−に合理的**解決を与えるための手続きを提示することを最終目標として想定しつつ、そのための準備作業として、「景観」(意識)と、その景観に関する人々の問題意識とについて考察するものである。しかし、単なる準備作業ではなく、同時に、その当事者の景観意識を検討しつつ、我々としていわば〈あるべき態度〉を規範倫理学的に提案するものでもある。


一 景観と風景

 本稿で言う「景観」は欧語のlandscape、Landschaft、paysage、paesaggio等の訳語である。これにはさまざまな定義がなされていて、それはそれとして一つのテーマとなりうるが、本稿は景観の「定義」を検討するものではない。しかしながら、それらのものを参考にしつつ、まず我々なりの用語法を必要な限りで簡単に提示しておく。
 「環境」:一定の地域(ないしは空間)の物理的事態
 「景観」:一定の地域(ないしは空間)の現象的事態(主観に現象するものとしての相)
 「風景」:現象がより主観的である場合の景観(相)。主観性には程度の差が在るが、文学で描かれるものなど(〈詩的風景〉)は、その程度がかなり高い。また、精神病者の風景は、それが極端なケースであると言える。
 「美的景観」:「景観」の一つの下位概念。美的態度の相関項としてaesthetisch−−なおこの語は文脈に応じて「美的」「審美的」と訳出する。厳密にはKantに即して「直感的」とでもした方がいいのかもしれぬが−−に現出する場合の景観。(普通「風景」と言われるときは大体これに当る*。)本稿もこの「美的景観」を主対象とするものであるが、しかしKantを意識して言うなら、理論的態度の相関項としての景観、実践的態度の相関項としての景観が、その他の下位概念として設定されることになる。(以下「美的景観」は、文脈上明らかであるときは単に「景観」とのみ記す場合もある。)なお、「美学的」という表現も使用するが、これは「美的」と同義ではない。(人々にとっての)景観への考察の仕方の一つを意味する。したがって、(美的)景観への別の考察の仕方も在る。六章までは−−これが基本であるということもあって−−もっぱら〈美学的〉に考察を進める。それ以降、他の考察をも加えていく。

 また、例えばTuanはlandscapeとsceneryとを区別しており、訳しわける場合は、前者=「景観」、後者=「風景」と邦訳されているようだが、本稿では、このことは特に意識していない。日常の用法ではsceneryは、「情緒的」という、美的景観のさらに下位概念的な事態を意味する。


二 近代的景観

1 「景観」そのものについては、我々の関心は、その近代的特質の分析にある。近代の景観はそれ以前とは決定的に異なると我々は考えており、この〈近代的景観〉の分析は我々にとっては重要な作業である。
 M.Weberは真・善・美の分化を近代の特徴の一つとしたが、これを受けて我々も、美的景観(景観の美的相)が(景観の他の相から分化して)自立的なものとなったことを「近代的景観」の特徴として挙げることができる。景観が純粋に美的なものとしても立ち現れるに至ったことが近代的景観の特徴なのである。景観の美はたしかに近代以前にも在ったが、それはしかし、自立的なものではなかった。また、近代以前においても例えば庭園の美は自立的であったが、それは(可能的)景観全体(人工物を含まぬ場合でいえば、自然全体)の一部分としてでしかなっかた。これに対して近代においては−−しかも西洋(起源)の近代においてのみ−−、全体が自立的に美でありえるのである。これについてSieferle,R.P.は次のように述べている。

自然的環境に対して知的-審美的に、したがって単に実践的-生産的にではなく対接するということZuwendungも、すでにかなりの過去に見出される。庭園構造、風景画、自然抒情詩は....すでに古代にも、また非ヨーロッパの高度文化にも見出される。近代の[美的]景観経験の特殊に新しいところは、自然的環境がそもそも審美的注意の対象として現れたということではなく、自然の全体Gesamtheitが[美的]景観とみなされうるということである。(・Entstehung und Zerstroemung der Landschaft",in:Smuda,M.Hrsg.,Landschaft,Suhrkamp 1986, 238)

 Simmelも、ほぼ同じものを念頭に置いて「古代や中世は景観に対する感情をもたなかった」(前掲書167=131)、つまり景観とは近代の事柄であると説いている。*  では、なにゆえに近代においてそうした美的景観が成立したのか。Kantは「没関心性*」をもって美的態度を規定したが、我々は、近代において初めて、景観へのこの没(実践的)関心性が可能になったと考える。生産労働からの解放において(美的)景観が成立するとはよく語られるところだが**、少しく経験的に、近代において初めてそうした労働−−つまり、対象に対する「関心」をもった営み−−から解放されて純粋に観照の対象として景観を見ることができるようになった、と言ってもいい***。

 しかしながら、より原理的に考えるなら「没関心性」は、〈労働からの解放〉といういわば〈没関心的時間〉だけの関数ではない。それは同時に、言ってみれば近代という〈時代そのもの〉の関数でもある。では、近代とはいかなる時代であるがゆえに「没関心性」を、したがって美的景観を措定しえたのか。この問題に関しては、ドイツ語圏に限って言えばRitter,J.の論稿・Landschaft",in:Subjektivitaet,Suhrkamp1974 が議論の軸を成している。Ritterによるなら、近代とはなりよりも「自由」をもって特徴づけられる時代であり、そしてその自由は人間の自然との「分裂」を前提とし、更に「分裂」は、景観的に言って「都市」、および「科学」と「労働」とによって実現される(161)。敷衍して言うなら、生産労働から解放される場としての「都市」、(宗教的世界観から解放されて)自然を客観的に考察する近代「科学[むしろ:学一般]」、(自然という対象に制約されたものではなく、むしろ)人間が自然に働きかけるものとしての「労働」によって、人間は自然から「解放」され、そしてその「自由」において「[美的]景観としての自然の美的取り返し(Einholung)と現在化(Vergegenwaertigung)」(161)がなされるのである。
 本稿では「美」を広義に、簡単に言って狭義の美=「優美」に加えて「崇高」をも含むものとして使用している。「崇高」とは、巨大なものに対する美であるが、近代においてはそういうものも純粋に審美的に見ることができるようになったということである。例えば(アルプスのような巨大な)山は、近代以前には恐れや、何らかの宗教的感情なしには見ることのできぬものであったが、近代人はそういうものに対しても優位に立ち、したがってまた没(実践的)関心的に観照することができるようになったのである。Tuanも『トポフィリア』(せりか書房1992)で次のように述べている。「18世紀になるまで、山に対する一般的な見方は好意的なものではなかった」(128)が、これが次第に「畏怖と嫌悪感とが結びついた宗教的な態度から、審美的な態度に変化している」(127)。この山の「崇高」美に即して近代的景観の成立について説いたものとして、邦訳で読めるものとしてはNicolson,M.H.『暗い山と栄光の山』国書刊行会1989 とThomas,K.『人間と自然界』法政大学出版会1989 が最も重要である。邦語文献としては野島秀勝『自然と自我の原風景』南雲堂1980を挙げておきたい。Nicolsonは、上に挙げた三要件のうちの「科学」(科学的精神)を、Thomasは(「科学」に加えて)「労働」(農業等における生産条件の高度化)を強調している。
 まとめて言うなら、近代において人間は自然の支配から脱して逆に自然を支配することによって「[主観性の]自由」を獲得し、そのことによって自然を、したがって景観を美的対象として現出せしめたのである。

2 Ritterの議論は、「補償テーゼKompensationsthesis」と呼ばれる部分を含んでいる。Ritterによれば、「自然との関係における、科学的客体化と審美的現在化の同時性は偶然ではない。」近代においては自然は、美的かつ物化された景観なのである。「解放」は同時に「分裂」でもあるのである。近代以前においては世界(または自然)は「理論」において、我々のタームで言って一つの「コスモス」として把握されていたが、近代ではそれが解体し(「物化」された世界の成立)、したがって美的景観は、それを条件としつつそのいわば「補償物」として成立したものである。 
 補償物であるので、美的景観はそれ自身も一つのコスモス(「全体」(「神的なもの」))であるわけであるが、Seel,M.,Eine Aesthetik der Natur,Suhrkamp1991,220ff.によるなら、そこには失われたものへの「ノスタルジー」が在る。近代の美的景観は本来「全体なしの統一」である。Ritterの言う「全体Ganzes」は、単なる「総体Gesammtheit」を超えたものであるのだが、「総体」なら、というか、その「総体」から任意に切り取られたものがそれぞれ一つの統一体として美的景観でありうる(Simmel前掲書166=131参照)。しかるにRitterはこの「総体」を一つの「全体」として仮構しているのである。このSeelの線で解釈するならRitterは、したがって彼が言う景観はロマン主義的である*。実際Ritterは主に18世紀末以降のロマン主義を念頭に置いて論を展開している(Vgl.Groh,R./Groh,D.,Weltbild und Naturaneignung,Suhrkamp1991,97)そしてロマン主義は一般に、このようなコスモスという仮構体として景観を直観する、と言って構わない。

 しかしながら、そうした風景は仮構体であって、したがって特殊な芸術的直観の対象ではあっても決して一般的な直観の対象ではない。我々は、このようなロマン主義的景観に近代的景観の範型を置くことはできないと考える。範型はあくまで一般的なものでなければならない。「全体なしの統一」も一般的レヴェルのものである。Bramwell,A.『エコロジー』河出書房1992 は、環境思想論として、(強くロマン主義的な)ドイツの自然観と(「保守主義」的な)イギリスの自然観とを比較している。我々の議論に関連づけて紹介するなら、彼女はこう述べている。ドイツの自然観は日常的自然の「ヴェール」の背後に「真実」の自然を求めるという傾向が強い。その自然は観念的であり、「情緒的要素が欠けて」おり、「感覚的優美さが欠如」している(284ff.)。例えばFriedrich,C.D.とConstable,J.とを比べてみればよく分かるが、我々は後者の風景画のような世界が近代的景観の範型であると考える。
 しかし、「失われた全体の仮象における統一」という補償ではないとしても、一般的レヴェルの景観も何がしかの補償を含むとは言えなくもない。人々が自然に美しい景観を求めたのも、特に産業革命に伴って都会の景観が醜悪なものとなるに従って自然に逃避するようになったものだとも言えなくはない。そしてその自然は、例えば、田園の場合、その当の田園で働く者がいわばリアルに経験するところとは異なって、同じものであっても都会人の見る景観としては何がしかの観念的要素を含んでいたとも言える。したがって、一般的レヴェルの景観ではあっても、ロマン主義的な景観と連続するところがあったのである。18世紀末に流行した「ピクチャレスクな風景」はこうしたケースの一例であろう。本稿執筆中に眼に止ったものを参照するなら、相澤照明は「表象としての風景美」(斎藤稔編『芸術文化のエコロジー』勁草書房1995所収)で、

「ピクチャレスク美学」(および「観念連合美学」)においては、[−−我々はそう見ているのだが−−ロマン主義美学に繋がっていく]「崇高美学」に対して、「風景美は、視覚であれ想像力であれ人間の認識能力を通して現出するものとして語られている。こうした表象としての風景美こそ....18世紀の多くの人々を自然探索に駆り立てて、自然を神的な輝きの反映としてではなく人間的風景....として眺めさせ」(122f.)た

と説いているが、しかしながら我々はこのような景観−−そこにはBramwellが言う「情緒的要素」が十二分に在るのではあるが−−にも近代の美的景観の範型を置かない*。

Ritterの場合もそうなのであるが、景観を自然景観に限るなら、あるいはそうしたものに範型を置くことができるかもしれぬが、それではまだ十分に一般的でない。都市の住民について言うなら、そうした旅の景観は日常的なものではないからである。しかるに、日常的景観としては景観はまた、醜悪になったと見られる都市景観をも含むものである。そして近代は、この都市景観についても我々の意味での近代的美的景観を出現させたのである。「醜悪」というなら、近代は都市の醜悪さをも美的対象として出現させたのであるし、更には、工場景観などにも(狭い意味での)美を発見させてもいった。cf.,Moir,E.,・The industrial revolution:A romantic view",in:History Today 9,1959。

 勝原文夫は、我々が言う美的景観を「風景」と呼びつつ次のように述べている。

 景観が環境(風土の一部)の単なる「ながめ」であるとすれば、「風景」はそれに審美的態度を加えるというか、重ねていくという関係にある。/ところで、同じく人間が審美的態度を持つとして、旅行者の態度に立つ場合と定住者の態度に立つ場合とが考えられ、また、景観の方でも、そのタイプとして、名勝等の非凡な探勝的景観と平凡な都市、農村景観から構成される生活的景観とが考えられ、一般的には、旅行者的審美の態度が探勝的景観に加わって探勝的風景を、定住者的審美の態度が生活的景観に加わって生活的風景を成立させるといえる。(『農の美学』論創社1979,19)

この図式で言うと、我々は近代的景観の範型を「生活的風景」に置く。近代の美的景観が時間的には、都市居住者のアルプス旅行等の自然経験としてまず「探勝的風景」として現出したことは事実であるが、そこにまず出現した美的態度が全面化し、都市居住者自らの景観や、さらには農村居住者にとっての自らの景観までもが美的に経験されるようになったところに、我々は範型を置くのである。
 この美的経験の一般化−−山で言うなら、14世紀にPetrarcaがまず先駆的に、中世的道徳観との葛藤を含みつつも美的観照・享受の対象としてヴァントウ山に登ったが、19世紀以降の近代アルピニズムのもとでは大量の人々が登山するに至っている−−が近代を通して進行していったわけであるが、それは人間の自然支配力の一層の展開を前提としている。我々は産業革命を経て19世紀、もっと言うと19世紀後半において近代の美的景観の範型が形成されると見る。それは、美的景観の一般化という観点だけでなく、いわば完全化という観点から見ても言えることである。同様、山について大衆的レヴェルで言うなら、山が完全に美として現出するのは19世紀後半である。例えば、「19世紀半ばですら、土地のひとにとっては、アルプスは、ふつう言われる不毛、閉鎖、貧困などのネガティヴな象徴だけでなく、積極的に恐怖の対象ですらあった。このことは、外から来る旅人にも認識されていた」(加太宏邦「そして観光のまなざしだけが残った」『大航海』v.4.,114)のである。ようやく19世紀後半になって、山も完全に美として現象するのである。Nicolsonは「18世紀の初め、「山の栄光」はまだ十分に輝いていなかったとは言え、「山の暗さ」はすでになくなっていた」と述べているが、そうではなく、ようやく19世紀後半になって「山の暗さ」が消えるのである。そして厳密に言うなら、「暗い山」が「栄光の山」に変化したというよりは、「暗い山Mountain Gloom」は−−ロマン主義的ヴァージョンにおいては同時に「栄光の山Mountain Glory」へと変化しているのではあるが、範型的なものとしては−−端的に〈明るいbright山〉に変化したのである。因みに言うなら、観光旅行として自然観照が大衆化するのはやはり19世紀後半である。また、アメリカ合衆国で世界最初の国立公園が誕生したのは1872年、それに先立ってヨセミテ渓谷が州立公園に指定されたのも1864年のことである*。

 景観はまた、いわば主観の態度の関数であるだけでなく、同時に物理的景観自体(環境)の関数でもある。後者の側面から見た場合どうなるか。ヨーロッパの美しい大都市の代表はパリとウィーンであるとは、よく言われるところであるし、我々としても容易に実感できるところである。これらの都市は、中世の街並みをも部分的に含むが、現在のかたちの基本は19世紀後半に形成されたものである。我々は都市の物理的景観の点から見ても、近代の範型は19世紀後半−−我々はこれを、いわゆるベル・エポックの時代を含むかたちで第一次大戦前まで広げて考える−−にあると考える。第二帝制様式(スゴンタンピール)、パサージュ、アール・ヌーボー、といった言葉で連想できる時期である。この時期はまた、道路や交通機関や下水道の整備がなされていった時期であり、自然に関わるものについて挙げるなら、さらには都市公園が作られていった時期でもある。そして何よりも、都市計画において、例えば建物の高さ(=スカイライン)やバルコニー、ファサードの統一、建物高と街路幅の比率の設定といった観点で−−その動機には政治的なものが大きいが−−美観が重視された時期でもある(Berque,A.『都市のコスモロジー』講談社現代新書1993,102ff.)。このまさしく統一によって、都市は「ひとつの形態」(Berque,98)として美的景観でありえたのである。

3 こうした範型的景観がそもそも美的景観であるのは、そこに「統一」(Simmel)があるからである。Simmel自身は、「この統一の最重要の担い手は恐らく、人が[美的]景観の〈気分〉と呼ぶところのものであろう」(前掲書174=136)と述べているが、「景観の気分と景観の直観的統一とは、実際には一つの同じものではなかろうか、それを二つの側面から見ただけのものではなかろうか」(175=137)として、それ以上の分析を放棄している。では、この「統一」とはいかなるものであるのか。これが説明できなければ近代的景観の範型の措定も恣意的に留らざるをえない。Nicolsonは、上に言及した科学的精神が、例えば「自然(学的)神学physicotheology」として現れているように、比較的短期間−−Sieferle の記述では17世紀後半から18世紀初頭と理解できる(241ff.)−−まだ宗教と調和していた時期に、近代的景観の一つの原点を設定しているように思われる。いわば〈コスモスをもった美的景観〉である。この考え方では、時代設定の点からも我々の考え方とは矛盾してくる。我々は、そういう時期が在ったことは認めていいと思うが、近代的景観の範型はやはりコスモス解体後に置くべきであると考える。そしてそれは、コスモスに代わる一つの「統一」がそこに存在するからである。しかしながら、その「コスモス」に代わる「統一」とはいかなるものであるのか。
 Carlson,A.(・Natur and positive aesthetics",in:Environmental Ethics v.6.,1984,24ff.)はWalton,K.L.,・Categories of Art",in:Philosophical Review 79,1970 の芸術美論に依拠して「[美的]景観」の成立を次のように説明している。「パターン・調和」が直観されることによって自然(我々の言葉では景観)は「景観」(我々の言葉では美しい景観)となるのであるが、−−例えばゴッホのThe Starry Nightがドイツ表現主義のものと見られるとしたらいささか「退屈」であるであろうのに対して、後期印象派のものと見られると「力動的・生動的」であるのと同じように−−それまで単なる自然であったものも新たに適切な「カテゴリー」を導入・適用することによって「パターン・調和」をもったもの、すなわち「景観」として立ち現れてくる。新「カテゴリー」の導入が(自然)科学によって行われるとするなら、科学こそが「景観」を拡大しているのである。我々は、自然に対する人間の優位が自然美を現象させるという基本的観点に基づいて−−但し、彼の科学主義は修正しつつ−−この考え方に強調点を与えて、〈主観のカテゴリーがあてはまること〉として「統一」を説明したい。ルネサンス期に近代的遠近法が導入されて自然の描出の仕方が一変したが、この遠近法はデカルト的な(客観から自らを独立させた)主観を前提としている、とはよく語られるところである。「遠近法」をも広義にカテゴリー(適用)とみなすなら、こうした語り方も我々の説明の一つの系であることになる。因みにコスモスも文字通り「秩序」であってCarlsonの用語で言えば「パターン・調和」そのものであるのだが、しかしそれは主観に対しては〈与えられた〉ものであり、そこに秩序の措定者として神が想定されてくることになる。これに対して近代の「統一」はあくまで主観優位のものである。
 Carlson自身は、そのような主体側の条件の変化による新たな美観現出の具体的事例として、それまで嫌悪をもたらすだけのものであった山やジャングルの審美化を挙げている(33)。同じことは文化景観についても言うことができる。Tuanは例えば

ヨーロッパ中世の景観は大きなスケールでの視覚的秩序を欠いていた。....きちんとした畑に囲まれた絵のような村や城壁の中の町という描写は、現代人の心の産物なのだ。....当時の人々自身は、彼らの世界を違ったように見ていただろう。・・・・われわれは現在ゴシック大聖堂を支えている飛び梁の美しさを鑑賞できるけれども、そのもともとの目的は審美的なものではなかったのだ。中世の建築家は、教会が外からどのように見えるかということに関心をもたなかったのである。(『個人空間の誕生』せりか書房1993,182f.)

と説いている。我々はヨーロッパの、例えばトスカーナの町を訪れて、中世の美しい街並みに感動したりするが、それは近代人としてそうしているのである*。

 我々は−−技術力を軸とする自然支配の拡大、および特に都市景観については都市計画による「形態」の創出とともに−−この、いわば人間(主義)的「統一」の力が一つの頂点に達したのが19世紀後半だと考えるのである。しかし他方、例えばBerque,A.は「風景」(我々の言う近代的(美的)景観)はすでに19世紀に崩壊を始める(そして20世紀においては消滅する)、と述べている(『風土としての地球』筑摩書房1994,17etc.参照)。我々は、我々の理解図式から言っても、美的景観そのものはなお存続していると見るが、そこに一つの〈危うさ〉があることは認める。そして、このことに(も)原因して、近代、とくに19世紀(以降)は、各個人に対応してさまざまな景観をも現出させる。上に問題としたロマン主義的景観も、時代としては先駆的に少し先行して現出するが、(「ロマン主義」の規定にもよるが、慎重を期すなら19世紀の或る時点以降は)その一つである。これらは、より強く各個人に規定された、その意味で主観的なものである。我々は「風景」という語を、この主観的景観を表現するために用いたいと思う。


三 近代的景観の崩壊

1 近代的景観は19世紀後半に確立したのだが、20世紀−−厳密には第一次大戦以降。これ以降を我々は(「近代」の一時期としての)「現代」と呼ぶことにする−−に入ると明確に崩壊を示す。この現代について否定的に、原理的次元で空間の「画一化」「均質化」や「場所性の喪失」、あるいは少しく文学的に「ゲニウス・ロキの消失」といったことが多くの論者によって語られている。
 Relph,E.はこのことを景観そのものの次元で確認しつつ(前掲書222)、現代の景観を「よそよそしい没感情的な景観」(204)、「自分から離れた無関係なところにあるもののように経験する景観」(「不条理な景観」)(208)、「そこには奥深い意義はなく、明確に定義できるものへの転換と、異なる機能をもつ別々の単位への分割があるだけ」の「単純な景観」(223)等と表現し、総括的に「没場所性[の景観]」と概念化している。
 これらは主として都市景観を念頭に置いて語られたものである。現代において景観はまず都市において崩壊していったと言うこともできる。であるから、自然が救済の場となり、自然のなかに美しい景観が求められていった。中産階級の人々は都市を離れて郊外に住むことにもなった。しかし次には、自然景観もまた崩壊していった。景観は総体として崩壊していったのである。
 この崩壊の原因は一つには物理的環境自体の変化である。都市について言うなら、それは基本的には上の意味での「形態」の崩壊である。もはや本来的な意味での(例えばパリを改造したオスマンのコンセプトのような)都市計画は放棄され、個々の建築物が全体との関連を無視してそれ自身で完結したものとして作られていった。かつては全体として美観を備えていた都市は、そのようにして虫喰的に徐々に美を失っていった。郊外に新たに建設されていったニュー・タウンは、そもそも初めから「形態」を創り上げることなど無視したものでしかなかった。思想的にそれを支えたのは建築上のモダニズム=機能主義である。建築家の中には「脱都市主義」を宣言する者さえあった。自然景観も同様である。自然もまた、効率性を原理として切り刻まれていった。
 しかしながら、特に自然に即して言うなら、このことは事の一面でしかない。自然は広大なものであって、美的景観を、さらには「原生wilderness」景観さえ残していた。しかるに、そうした部分でさえもはや美しくはなくなっていったのである。極論するなら物理的環境としては同一のままであっても、景観としてその環境に対する人間の側の条件が変化していったのである。「昔ながらのアルプスへの旅に出て、山頂の雪と透明な背景の碧空を恍惚として見つめている人の多くは、それが義務であるような気持ちからそうするのだ。....彼らは、実際には感じない感情を感じるまねをしているのだ」というvan den Berg,J.H.の言(Relph前掲書208より引用。ただし、これは「かなり恣意的な省略」を含む英訳のものである。日本語訳『メタブレティカ』春秋社 1986,342ff.をも参照せよ)はその傍証である。原生の自然ももはや美しいとは感じられないのだ。近代以前においても原生自然は決して美しくはなかったが、現代における美の喪失はそれとは異なる。Dardel,E.に言わせると「岩と氷河の世界が始まる地帯では、山は、人にその人間性を呼びさまさせるようなものを跡形もなく失っている....。それは超人的なのではなく非人間的である。人間を拒絶するのではなく無視するのだ。」(同209より引用)山は近代以前においては人間を支配する「超人的」なものであった。そして近代においてその支配関係が逆転するに従って「人間性を呼びさまさせるようなもの」=美となったのだが、今や人間の支配力のさらなる増大に従って単なる物体となったのである。美的景観は人間の適度の支配状態によって成立するものであって、支配力がこの適正水準を超えることによって自然は美を失うのである。

 地上の一部分を....景観として直観するということは、自然から切り取られた一部分をそれ自体統一体として眺めるということである。..../それ自身のうちで閉じた直観は自己充足的な統一体として感受されるのである。しかしながら、この直観は無限に更に広がるもの....に組み込まれている。....その時々の景観が自ら設定する制限は、自然全体によって絶えず取り囲まれ、絶えず解消させられるのであって、自然全体から切り離され自立的となった景観も、この無限なる連関についての暗い知によって生気を与えられているのである。(前掲書166f.=131)

Simmelはこう説いているが、人間が自然を支配しつつも、自然全体についての「暗い知」というかたちで同時になお自然の支配力が感受されるところに景観の美が存立するのであって、今やこの微妙なバランスが崩れているのである。
 このバランスの崩壊として景観の美の喪失が在るのであるが、このことをRelphは,TillichとBarthesに依拠して、景観(要素)の「象徴」から単なる「記号」(Barthesの意味での神話的意味作用における記号)への転落としても説明している(前掲書225ff.)。「象徴とはそれ自身以上の何かをさすもの」、「景観のなかの奥深い意味....を表現」(Tillich)するものであるのに対して、「神話は....直接見ることができる事象の裏側への探求を奪いとる」(Barthes)。この、人間の支配を超えた「奥深い意味」「裏側」が景観の美を保証しているのである。別言するなら、「象徴」においてはコノテーションに〈含み〉が在るのに対して、「神話」ではコノテーションがはっきりしているのである。先に、「カテゴリー」の適用によって美の発見を説明するCarlsonの議論を紹介したが、ここからするなら、この〈適用〉は科学的認識におけるのと同種のいわば明示的な適用であってはならぬことになる。(このことは「美とは、概念なくして、必然的満足の対象として認識せらるる所のものである」(『判断力批判』岩波文庫(大西訳)124)というKantの考え方とも整合的である。)しかるに今や世界は、まさに(科学におけるように)人間的統一が明示的になることによって自明であり、その自明性が美を奪っているのである。

2 加藤典洋が「風景」と呼んでいるものは、ひとまず言えば、この〈自明性〉の景観のことである。彼は次のように言う。

「意味や情緒抜きでわたし達の前に現れる「現実」をわたしは「風景」と呼」ぶ(183)。レルフの言い方を転用して言うなら「没場所化がわたしのいう「風景化」にあたる」(184)。「わたしのこのような「風景観」は....ジンメル、またリルケなどの風景論の延長上にあ」る(185)。小説作品では、このような風景観は国木田独歩(ないしは、国木田そのものより、作中作「忘れ得ぬ人々」の書き手・大津)や村上春樹で表現されている(190)。(「「風景」以後」『現代思想』1992年9月号)
「村上[但し、比較的初期の作品は除く(48f.)]に「眼前の現実」が[ジンメルの意味での(44f.)]「風景」として見えている」(47)。「ここで吉本ばななと大島弓子の小説と漫画をつないでいるのは、おそらく世界の「風景化」....、少なくともそういうことを許す、ある事態といってよいのである」(272)。(『日本風景論』講談社1989)

 加藤の論は、超歴史的なものとしては一つの見識であろう。しかし、−−彼の論はそもそも歴史的なものではないのであるが−−歴史的には問題を含むと我々は考える。Simmelが言うところの「景観」を彼が言う「風景」と等置するのも解釈上明らかに誤りであろう(もっとも、これは彼の論にとって重要なことでないのだが)。総じて彼の論は、あえて−−念のために言うと、これは普通の意味である−−歴史的に言うと、村上春樹や吉本ばなな、大島弓子について妥当するものであって、それを明治期にまで遡らせるのは無理であると思われる。ヨーロッパについても同様であって、彼の意味での「風景」は、少なくとも大衆現象としてはごく最近のことである。
 加藤の「風景」論に言及したのは、このような「風景」意識に対応するかたちでいわば真の意味で美的景観の喪失が意識されてくるのはごく最近、いま少し厳密に言うなら、一般的には1970ないし80年代のことであって、そこに残されることになる、第一次大戦期から始まってそこまでに至る現代のかなり長い期間を一つの別個の時期として問題にすべきことを明らかにするため−−ここでは、それだけのため−−である。この時期はどういう時期であったのか。70−80年代以降のいわゆるポストモダン期の問題構制でもってこの時期を規定してはならないのである。
「ポストモダン」という言葉は建築の領域でまず導入されたものである。先程と同様、建築に即して言うなら、現代のモダニズムが美的景観を解体していった、そしてそれが70−80年代に強く意識されるに至り、そこにモダニズムが終焉を迎えポスト・モダニズム*が流行することになる、というのはなるほどその通りである。しかしながら、事後的にはこう総括できるとしても、当の70−80年代以前の時期において問題とするなら、美的景観の崩壊の意識は今日とは異なったものであった。

3 では、それはどういうものであったのか。19世紀(後半)に完成した近代的美意識の(現在との対比では)いわば古典とも言えるものを軸にして言うなら、それは、そういう古典的美意識をなお保持していたものである。機能主義の建築にしても、単に機能を求めただけでなく、機械文明という時代の変化に積極的に応じつつ、かつ同時に美をも志向していた。いうところの機能美はやはり美であったのだし、Le Corbusierにしても、Berqueのように単に計画主義者としてネガティヴに見る(cf.『都市の』145)だけでは不十分であって、そうしたデカルト的構築主義には独自の美学もあったのである。機械文明というなら、その機械(例えば自動車)に新しい美を見出していったイタリア未来派美学も在ったことを忘れてはならない。また、例えばニュー・ヨークの高層ビルは、新たな(大衆)消費文化に対応するものとしてヨーロッパ起源のアール・デコ様式を自前のものとしていったが、これなどは19世紀のほとんど直接的な延長線上に在ると言っていいだろう。
 しかし他方、この時期は基本的底流としては、やはり古典的美の崩壊の意識を伴っていた。その崩壊の意識とともになお古典的なものを求めたのである。したがって、アール・デコ様式が典型的にそうであるように、創り出され・見出された美は、キッチュ(まがいもの)であるという意識を伴っていた。例えばBenjaminを念頭に置いて言うなら、かつてのものが「アウラ」−−因みにBenjamin解釈においてこの「アウラ」の理解には大きな幅がある。我々も以下で、この〈幅〉をいわばメタ理解するというかたちで景観の近代的意識を再検討する−−に包まれていたとするなら、ここに在るのはいわば〈疑似アウラ〉でしかなかった。しかしながら、この時期の基本的傾向は、もはや〈疑似〉としてしか可能でないにもかかわらずなお真正のアウラを求めたのである。例えばナチズム等の、この時期を大きく規定する諸傾向は、そうした傾向が政治的場面で大規模に現れたものだとも言いうる。

4 そうであるとして次に、70−80年代以降の現在はどういうものであるのか。それまでが景観の〈自明性〉をなお(無意識的に)覆い隠そうとしていた時代であったとするなら、そうしたことがもはやできなくなり、またもはやそうしようとしなくなった時代、景観がもう自明なものでしかなくなった時代であるとまず言いうる。柄谷・加藤が言う意味での「風景」の成立である。もちろん(物理的)環境の側の一層の変化という客観的条件もまた存在するのだが、我々はむしろ、例えば「均質な空間」というなら、それがもはや端的にそういうものとしてしか体験できなくなってしまったという主観の側の条件の方が大きいと考える。都市(建築)環境で言うなら、機能主義的な構築物はかつてはまだ美しかったのに対して、今日ではもはやそういうこともなくなったのである*。

Relphの「象徴」と「記号」ということで言うなら、かつては「記号」は「象徴」の代替物であったのに対して、それが今や一個のそれ自身となったのである。いわば、かつては「神が不在となった」という意識であったのに対して、現在においては、世界はそれ自体で完結的に世界であるのである。
 しかしながら、古典的な美は完全に消失したが、美そのものがなくなったというのではない。いわば新たな(但し、形式的に新たな)美が成立したのである。美そのものはおそらく人類に普遍的な現象であろう。というか条件であって、美なしでは人は生きることができないとさえ言えるかもしれぬ。さてそうであるとして、都市景観で言うなら、70−80年代を境として傾向は大きく変化した。近代建築−−それはかつてはカタカナで「モダニズム」と表記した場合の美意識を伴っていたのが、次第にその美を失っていって、それ−−に代わってポストモダン建築が主流をなしている。しかしそれは、我々の主張を再確認することになるのだが、近代主義という機能主義一点張りの傾向に対して、それへの反動として美が復権したということではない。たしかにデザインの復権とか装飾性の復権とかいう点だけで見ればそう言えなくもないし、我々が現在そうしたものの方に美を感じるということは在るのだが、それは基本的なことではない。というか、そういうものにしても、かつては例えば、それまでの装飾過剰に対して機能性重視の建築がシンプルだとして美しいと感じられていたのであって、現在のポストモダニズ建築に皮相な次元で人々が感じる美はいわば飽きと目新しさの事柄である。基本的なことはそうしたものではなく、むしろ、いまや(人間の創作物も含めて)世界が完全に自明のものとなったので、いわば人はそれに自由に美を付加することができるようになったということである。ポストモダン建築の「引用」という技法は、この〈自由〉を端的に示している。あるいは赤瀬川原平達が言う「トマソン」を挙げてもいいだろう。Baudrillard流に言うなら、人々は「もの」を、実体がもはやないことを知りつつ、というか〈もはやない〉ということにもはや拘ることなく、まさに記号として自由に−−いわばそれ自身も記号でしかないコノテーションを付しつつ−−消費しているのである。
 同じことは自然景観についても言える。自然もまた、美を失って単に物体空間となっただけではなく、人々が自由に、その場その場、その時その時で、身軽に美を見出しうるものにもなったのである。たまたま手許にある『現代農業・1995年増刊号:暮らしが景色をつくる』に「どうやら日本人のかなりの多くの人々、とくに若い人たちにとっての原風景は、いまや日本のなかにあるのではなく、西欧のなかにある。しかもそれは少しも不思議ではないのだ。」(高畑勲「日本人の原風景は日本にあるのか」53)という発言を見出せるが、そういうことなのである。勝原の図式を補完して「「生活者的風景」と見なされてきた「ただの風景」の「探勝」化」という第三の風景範疇(例えば「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンに見られる)を設定するとき(『日本』185f.)加藤も同じことを見ている。加藤によるなら、川端康成の「美しい日本の私」をもじって、このキャンペーン・ポスターには「美しい日本と私」というサブ・タイトルが付けられているということであるが、この「と」というところに我々のタームで言えば〈自由〉が表現されているのである。そして再び都市景観に話を戻すとして、加藤によるなら都市(東京)の住民は80年代以降、ディスカバー・ジャパンにおいて(自然を含む)田舎に見出したのと同じ風景を自分が住むところ(Tokio)にも見出していった。例えば田中康夫が『なんとなく、クリスタル』(河出書房新社1981 orig.:『文藝』1980年12月号)で描いたのはそうした世界である。本書は膨大な註でも話題になったが、それがキッチュのカタログであることは言うまでもない。疑似アウラということで言うなら現在はしかし、人々の意識において、疑似アウラがもはや疑似アウラとしてではなく、それ自身一個の独立した範疇になったということでもあるのだ。*

5 しかしながら、そうしたキッチュの美は、SolgerやO.Beckerではないが「はかない」ものである。新しい美は、古典的美に対して安定性の欠如を特徴としている。近代は、それ以前の美が空間的に美ならざるものに取り囲まれていたのに対して全体的な美を現出させたことをもって始まったとすれば、美がもはや時間的に全体化できなくなったということをもって終焉を迎えたと言ってもいいであろう。20世紀のそれまでと比べて現在には「まがいもの」感覚はなくなったが、それでもなお「はかない」。それまでのように「ほんもの」でないがゆえに「はかない」のであるのではないが、それとはまた違ったかたちで「はかない」。なぜかということを言うのは難しい。ここでは暫定的に、〈規範性の欠如〉−−厳密に言うなら、この〈規範性〉はいわば〈超越論的規範性〉、美を絶対的に美として現出させる規範性のことではない。そういう〈規範性〉はすでに崩壊している。現在において崩壊するのは、いわば〈経験的規範性〉(これは〈規範〉として人々に容易に意識されてしまうものである。先のvan den Bergからの引用中の「義務」とはそういうものであり、そういうものであるから「[皆が=ガイドブックが言うように]美しいものだと見ておこう」という意識を隨伴させるのである)である。この〈規範性〉が、そうしたものでしかないにもかかわらず、20世紀の美を支えていたのであるが、更にそれもまた崩壊するのである−−としてネガティヴに表現しておく。我々は美を主観的現象と、つまり美しいものとは主観がそれを美しいものと見る出来事と理解する。しかるに今や、規範性の欠如によって主観のその直観作用がいわばさまようのである。
 したがって、このさまよいのいわば狭間において、美が消失することもありえる。人はまた景観を〈美しくはないもの〉としても意識せざるをえない。しかしそれは醜としてではない。もちろん醜が意識されることもあるが、ここで言う〈美しくはないもの〉は、そういう美でも醜でもないもの、言うとするなら〈美的に無記〉なものである。そういう〈美的無記〉がいまや意識されざるをえないのである。二章冒頭で近代は真・善・美の分化をもって特徴とすると述べた。したがって近代においても、というか近代においてこそ景観は〈美とは無関係なもの〉としても当然意識可能である。しかし、ここでいう〈美的無記〉はそれとは異なる。それは、一つの美的様態としての美的無記である。美的態度が、−−フッサール的に言って−−その地平的指向において、美も醜も直観していない状態とでも言えようか。完全に自明なものとしての景観は、他方ではこうした〈美的無記〉としても現出するのである。しかしもう一度確認しておくが、例えば均質な空間ということで言うなら、それは均質なものそのものではない。そういうものなら、すでに現代に汎通的な事態である。70−80年以降に特徴的であるのは、均質なものが美的に無記なるものとしても現出しているということである。
 ここで急いで注意しておかなければならないが、〈自明な景観〉とはあくまで美的態度の相関項である。というか、より厳密には、美的態度において(も)それまで現出していた「意味」が消え去ったというまさしくその事態であって、それが同時に美の喪失態なのであるが、いわば空間は美的空間のまま存立している。(そして、論の文脈上、ないしは歴史的プロセスの説明においてはそのように端的に〈美の喪失〉と表現したが、厳密にはそれは、いわば(〈意味を伴った〉−−より厳密には〈「奥深い意味」を伴った〉−−)古典的な美の喪失であって、諸個人にとっては同一の美的空間内に1970−80年代以前の現代においては疑似古典的美が、それ以降には一つの新しい美が現出して(も)いるのである。また〈完全に自明〉とは、〈疑似古典性もなくなった〉という意味であって、この〈新しい美〉も現出しないということそのものではない。)したがって、それが〈美的無記〉の相で現出するとしても、理論的(科学的)態度の相関項としての〈科学的景観〉と同じものではない。〈単なる物体〉というミスリーディングな言い方をしたが、それも、いわば〈美的な単なる物体〉であって、自然科学的な物体では決してない。
 因みに柄谷行人(前掲書)は、加藤に先立って「風景」を彼もまた、我々の言う〈自明な世界〉の意味で問題とする。その際彼は、「言文一致」という「制度」(および、そこに確立する「内面」)によって「風景」の成立を説くが、その自身の論を、「理念化」によって成立する世界が客観的世界として日常的世界にすり替えられてしまっているというHusserlの近代科学批判を測量術の[解析]幾何学への転換に即して「形象の抑圧」として本質把握しつつ、そして、そういうふうに見る現象学そのものが「音声中心主義」であるというDerridaの批判を援用しつつ、「風景」とはそうした「形象」つまり「文」の「抑圧」、「音声」つまり「言」の「優位」だと展開する(79f.)。そして更に、「記述」学をもそうした「理念的」学問に加えて(81f.)、学(一般)の(言の)(「事実」的)世界と、(江戸までの「文」を背負った)(日常的)(「概念」)美の世界とを対置する。さて、この図式においては当然そうなるが、彼が言う「風景」の世界と科学の世界とは同一視されることになる。例えば芸術上の「リアリズム」あるいはさらに正岡子規の「写生」(が見る世界)とデカルト的「延長」(の世界。もっともこれは柄谷からすれば比喩であって、その世界には第二性質が存在していても構わない。しかし第三性質(Lockeのではなく例えばBosanquet,B.の)は存在してはならない)とが同一のレヴェルに置かれることになる。これは、上に見た我々の理解と矛盾する。我々としては柄谷の方が間違いであって、そこにはなお分節化が不足していると考える。カテゴリーとして、同じく「制度」とされる−−これ自身は卓見であるが−−「事実」と「概念」との二つしかないのだ。*

 田中房太郎『風景の変容』近代文芸社1989 は、我々の図式に関連づけるなら〈美的無記〉の方に比重を置いて〈完全に自明な景観〉の意識の事例を多数挙げている。但し、〈完全に自明な景観〉と〈美的に無記なものとして現出している景観〉とを区別していないように思われる。というか田中自身のポイントは、やや古典的な地点からなされる、〈自明な景観〉の問題性の指摘と、そこになお可能な〈救済〉の可能性の追求(例えばドストエフスキー)に在る。また、先駆的事例が存在しえることは我々も認めるが、田中は広く19世紀後半以降から事例を拾っている。我々としてもほとんど直観的印象に留っているということもあって断定的には言えぬのだが*、挙げられているもののうちリルケやドストエフスキーは、ましてやプルーストは完全に違うであろう。(例えばリルケは「神の不在」を語っており、それは、〈そもそも神という範疇が関わってこない〉意識とは異なるのである。)カミュ、ロブ・グリエ、サルトルはほぼそうだと言っていいだろう。これはよく引き合いにだされるが、日本の作家では日野啓三もそうであろう。

 具体的な都市イメージで言うなら、これもよく言及される映画『ブレード・ランナー』で描かれた世界、あるいは、この近未来フィクション映画は香港でロケーションされたそうであるが、実在の都市でいうならその香港や、あるいは千葉の幕張地区といったところ(で現出する景観空間)を挙げることができよう(松葉一清『失楽園都市』講談社1995 参照)。日野のように東京の高層ビル群を挙げてもかまわない。


四 景観への対処(1)−−プレ・モダン−−

1 現在の景観の事態に我々はどう対すべきか。我々としてまず主張したいのは、事実について精確な認識を欠いたままで発言してはならぬということである。それはもちろん、古い言い方で済ますと〈知識人〉としてそうであるということであって、人が自由に見解を述べていけないということではない。しかしまた、たとえ〈知識人〉(として)のものであっても、そうした〈認識〉を欠いたものは、人間の景観意識の事例としていわばデータとみなさなければならないであろう。世間に対して「こうあるべきだ」と発言するのであるなら〈認識〉は不可欠である。しかるに、そうした〈知識人〉としての発言でありながら〈認識〉に欠けた言説があまりにも多すぎるのである。
 言うまでもなく、〈認識〉をもった〈知識人〉であることを最も要請されるのは、景観論争を〈裁く〉べき立場にある人々である。我々の最終目標も景観論争を或る意味で〈裁く〉ことにある。しかしながら、そのためにはなお〈認識〉を重ねなければならない。次に、よき〈裁き〉のための〈データ〉収集として、景観問題をめぐる諸言説を分析したい。景観論争は、そういうものが在るとして景観そのものの〈よし・あし〉だけでなく、事柄の本性からして、同時に景観に関する人々の〈好み〉をも考慮に入れて〈裁か〉れなければならないからである。それは、程度の差であるとは言えるのだが、例えば、或る病気に対してどういう薬を使用するかが主としてどれがより有効かという観点から決められるのであって、そこでは患者の好みはあまり考慮されないのに対して、夕食に何を食べるかの選択が人の好みに大いに依存するのと同じである。こう言うなら景観問題は(死活に関わる)重大な問題ではないとの印象を与えるかもしれぬ。たしかに、そういう側面は在る。少しく別様に表現するなら、景観問題は〈損得〉の問題ではないのである。しかしまた、紛争ということで言うなら、紛争は〈損得〉をめぐってだけ生じるわけではない。〈好き・嫌い〉をめぐっても生じるのであり、場合によっては〈好き・嫌い〉をめぐっての方がより深刻な紛争を結果するというケースもある。(景観問題をめぐる〈知識人〉達の発言が、多く〈言い合い〉に終始しているのも、実はそこに自分の〈好き・嫌い〉が関与しているからでもある。さらに、一層悪い場合には、当人達は〈認識〉を披露しているつもりであって、したがってその〈認識〉をもって〈裁く〉というスタンスが採られていながら、無意識のうちに己れの〈好み〉が反映されて、そこに〈裁く〉というメタ・レヴェルで紛糾を結果してもいる。)また、景観は「保全」にしても「保存」にしても、あるいは大幅に手を加えて「開発」する場合であっても、多大のコストを要する。そしてその負担は、人々の〈損得〉に多いに関わってくるところである。
 そもそも我々の作業は〈紛争〉の解決を最終目標としてもつ。そしてそれは、一方では規範倫理学的にいわば直接的に〈在るべき景観像〉の提示である−−これ自身〈認識〉を欠いた言説であるという可能性はもちろん在る。我々は、〈提示〉の場合は規範的言説であることをできるだけ明示したい。「規範的」と「事実的」との未分化も一種の〈認識の欠如〉であるからである−−とともに、他方で、より大きな比重においてメタ倫理学的に、〈紛争〉解決のルールの模索である。本章および五、六章は、そのために、メタ・レヴェルでの〈紛争〉解決−−景観問題をめぐる〈紛争〉のややこしいところは、言ってみれば子供のケンカに親が介入してくるように、一次的当事者間の〈紛争〉に〈知識人〉達が介入してきているということである−−を念頭に置いて、論者達が互いに相違する−−相違するから紛争がひどくなるのであるが−−かたちで景観問題についてどのようなスタンスをもつのかを探ろうとするものである。
 いささか安易であって、前言に反することになるのではあるが、〈言説〉の分析の枠組みとして我々は、プレ・モダン、モダン、ポスト・モダンという三つの立場を設定したい。しかしながら、この場合も、そうした立場についてより多くの分節化を目指したいと思う。言説の数として最も目立つのは、現在の景観を否定的に問題とみて、その克服を例えば「場所性」の回復、「コスモロジーの復権」として、あるいは都市景観の「形態」性の回復、自然景観の修復・維持、等々として端的に、非-歴史的に主張するものであろう。しかし我々は、そういうものも、実質的に何を主張していることになるのかを分析することによって、あえて強引にできるだけこの三つに分類したいと思う。
 なお、この三分類は、「近代」(という時代)を軸にした時代的分類というよりは、むしろ現在における〈志向〉の三種類と考えた方が適切である。しかし、プレ・モダンの場合は或る程度、〈志向〉される時代を限定しておく必要がある。我々は「中世」ないしはそれ以前の時代を志向するものでなくても、それを含めて(西洋の場合は)19世紀以前の在り方を志向するものまでをプレ・モダンとして規定したい。(したがって、以下「近代以前」を「19世紀以前」の意味で使用する場合もある。)

2 そうするとして、まずプレ・モダン的立場を採り上げる。この立場はいわば「理念型的」には、場合によっては現在を近代の後に来る新たな時代の始まりとも把握しつつ、景観問題について近代の問題性を近代以前的な景観の回復によって克服しようというものである。しかし都市景観については、例えば残存する中世の街並みの美しさを語る者は多いが、現実に都市を中世的なものに変えよという主張はまず見られない。部分的に中世的なものを導入しようという主張は見られるが、六章で説明するように、それが「引用」である場合はポスト・モダンの立場に、そうでない場合はモダンの立場に属することになる。プレ・モダンであるためには景観全体を前近代的なものにすることを説くのでなければならない。これに対して自然景観の場合は、(「保全conservation」に対して)「保存preservation」を説く者が多数いる。ここでは景観がひとつの全体として問題とされている。彼らは多くプレ・モダン的立場に分類可能である。しかし、全てではない。一種の文化景観としての自然景観の「保存」を説く場合は、その対象がすでに近代のものであることが結構あるからである。日本人についてよく言われることだが、森林等について、より強く「自然」を感じるのは実は近代の手が加わったものの方であるケースが多い。そうした近代的なもの−−高橋康夫「京都の景観と自然」『建築文化』前掲号 131 によるなら(保存が叫ばれている*)京都・東山の現在の森林景観も20世紀以前とは大きく異なる。また、神社の森は古くからの形態を残しているとよく言われるが、例えば明治神宮などの場合はきわめて人工的、したがって明治期以降のものである−−を手つかずのまま残そうと説いてもプレ・モダン的にはならない。端的にプレ・モダンに分類できるのは、超歴史的であるのであるが、いわゆる「原生[自然]wilderness」保存の主張であろう。
 しかしその場合でも、その原生自然を、近代以前の人々が見るように見るのでなければならない。もはや近似的にしか可能ではないだろうが、それでもそのために生活そのものをも脱近代化せねばならない。Thoreauのように森に住むのでなければならない。(上の京都・東山の森林景観で言うなら、現在のシイ主体の林をかつて美しいとされたアカマツ林に戻すだけでは駄目なのであって、この場合は明治以前の〈生活〉においてその林を観照するのでなければならない。)そうするならば、単に原生自然を(近代人として)見ている場合とは異なった何かが知覚的にも体験されるであろう。たまたま記憶している箇所にすぎぬがThoreauは例えばこう述べている。「今この、より実質的な住みかを身のまわりに獲てわたしは....幾分の進歩をした。身にまとうこのささやかな構造物は....わたしに逆に作用をおよぼした。....わたしはたちまち小鳥たちの隣人になったことを知ったのである。」(『森の生活』岩波文庫(神吉三郎訳)1979,118f.)「彼が生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え....[るようにな]るであろう。」(398)プレ・モダンの立場とは本当には−−単に近代以前的な景観を志向するだけでなく−−この〈何か〉を志向するものである。我々はこれを、端的に言えば「聖」であると考える。先に近代を真・善・美の分化をもって特徴とすると述べたが、近代以前においてこの三者を統一していたものが「聖」であって、この「聖」の消失によって分化も生じたと考えられる。(村上陽一郎『近代科学と聖俗革命』新曜社1976 に従ってここで「聖俗革命」を語ってもいいだろう。)プレ・モダンの立場は、まさしくこの「聖」を志向するものなのである。

3 具体的場面での発言は現実性の制約もあってプレ・モダン的立場のものはそう多くないのであるが、原理的な思想としてはかなりの論者がこれに分類できる。いま指摘したばかりの「原生」の主張は、アメリカの文脈ではすでに19世紀に超越主義者たちによってなされてきたが、現在ではその系統に立つ思想的発言は無数にみられる。(例えば『環境思想の系譜』1−3 東海大学出版会 等を見られたい*。)ヨーロッパ、特にドイツの文脈では、先に論述したロマン主義−−これも、現在のエコロジズムに大きな影響を与えている−−系統の発言も同様の分類が可能である。そうしたもののなかで我々はHeidegger派のもの(Heidegger、Bollnow.O.F、Schmitz,H.、建築思想家のNorberg-Schulz,C. 等)に注目したい。この傾向のなかでも特殊エコロジー思想が説かれている。例えばSchoenherr,H.M.の「解釈学的エコロジー」。

 Heideggerはまさしく存在論的に「人間であるということは、死すべきものとして大地の上に存在すること、すなわち住むことである」(・Bauen Wohnen Denken",in:Vortraege und Aufsaetze,Neske1954,141)と規定し、それを次のように敷衍する。

住むことの基本的特徴は....いたわることSchonenである。....「大地の上に」ということはすでに「天の下に」ということを意味する。両者は「神的なるものの前に居ること」をも意味し、そして、「人間の共同存在Miteinanderのうちに属する」ということを内含する。根源的な統一に基づいて四者、つまり大地、天、神的なるもの、そして死せるものは一つのものに属するのである。(143)

同じくBollnowも、「真に住むこと」として「包括的な全面的信頼のうちに、あのより大いなる空間によって担いささえられるということ」(『人間と空間』せりか書房1988,292)を求める。しかし問題は、この「[真に]住むこと」とは何かということである。Schimitzは少しく具体的にこうも語っている。「住むということは、囲いこまれた空間内での感情の文化であり、キリスト教の教会もそうした感情の文化としての住まいの役割をはたす。つまりその住まいのなかでは、ヌミノーゼ的で神的な雰囲気を濾過したり濃縮したりするという特殊な課題が、高度な芸術と非常な技倆を用いて、果たされるのである。」(「住むということは情緒の安定に対して如何なる役割を果たすのか」『理想』571号 62)また、これらの思想家と同時に言及されることの多いBachelardは−−「家のイメージによって、心理的統合の真の原理が手にいれられる」(『空間の詩学』思潮社1969,33)というかたちで−−「現実にひとがすんでいる空間にはみな家の概念の本質がある」(40)として、その「家」に即して人間存在における「幸福」の根源性を語る(42)。このBachelardには、Tuanに先行してすでに「トポフィリアtopophilie」の表現が見られる(32)。*

 これらは、基本的には非-歴史的な議論となっているが、一応、近代以前の在り方を志向していると言っていいだろう。別系統ではあるが、Buber,M.は明確に、近代以前・近代を「住み家あるbehaust」時代・「住み家なきhauslos」時代として規定している(『人間とは何か』理想社1961)。「世界を、人間もその中に確固たる地位を占める、一つの閉じた世界と見なすギリシャ人....」(25)、「このキリスト教的宇宙は再び一つの閉じた世界であり、人間の住みうる家である」(30)、「....頃には、すでに、この家の壁という壁はコペルニクスの与えた打撃によって事実上崩壊しており、四方から無限定的なものが侵入しつつあった。人間は、具体的にはもはや家とは感じられない世界の中に、不安定に....生きている」(34)、「アインシュタインの有限的宇宙の概念は、その「有限性」が世界住居の感情を生み出した有限性とは本質的に異なったものであるから、決して世界を人間の住家へ建てなおす力をもっていない」(38)。我々はこのような「住む」という在り方を、これもまたそう明瞭ではないのであるが〈「コスモス」(聖性の在る秩序世界)のなかに生きること〉と換言し−−例えばVycinas,V.のHeidegger論でも「住むこととは....存在ないしは聖性の光のもとに立つこと」と解説されている(Earth and Gods,M.Nijhoff1961,20)−−、コスモロジー系統の思想をプレ・モダンの典型としておく。

4 日本の代表的な論者を挙げるなら例えば岩田慶治『コスモスの思想』岩波書店1993 などは、「この世界はどうしても〈コスモス〉であってほしい。〈コスモス〉でなければならない」(iii)と語って、それこそ切実にコスモロジーを説いている。しかしながら、岩田の場合はその人類学的知見の確かさから言ってもほぼ間違いなくプレ・モダンだと見ていいと思うが、表面的言説としてはプレ・モダン的であっても、その中身は必ずしもそうではないというケースがかなりあると我々は考えている。Norberg-Schulzも実はそうだと我々は見ている。彼の諸論稿は確かに、一つの解説ともみなしうる位にHeideggerから多くを引用している。大著『ゲニウス・ロキ』(住まいの図書館1994)の結論部分においても、「物をつくるとは、真理(まこと)を「つくること・に・おく」こと[Das Ins-Werk-Setzen der Wahrheit]を意味するのである。場所とはそうした物であり、そうしたものとして場所は詩的事柄なのである。/場所をつくることが、建築することだと言える」と語っている(296)。しかしながら、訳者解説で田島祐生が言うように「ボルノウやハイデッガーなどの実存哲学が参照されるが、引用される哲学の専門用語はもとの文脈を離れて、独自の用法で用いられることも多く、その意味するところがもとの文脈とは異なることもある」(358)のであって、我々は実質的には基本的にモダンだと見ている。モダンが悪いと言うわけではないが、こうした〈モダン的プレ・モダン〉−−〈ポスト・モダン的プレ・モダン〉というのも在りうる−−をいわば〈疑似プレ・モダン〉として、それを〈真正プレ・モダン〉から区別することが重要である。本稿でも、その心理の解剖をも含めて、両者を区別する試金石が提示されているはずである。また、仮に原理的な思想の次元ではプレ・モダン的であるとしてもNorberg-Schulzは、個々の建築物に関する批評からみて現実的な志向としては−−同様田島が指摘する(363)ようにポスト・モダン建築を好意的に取り扱ってはいるのであるがポスト・モダンでもなくて−−六章でみるモダン的立場のうちの樋口忠彦などと似た傾向に属すると我々は見ている。

5 この思想と現実的志向との落差は、あるいはHeidegger当人についても言えるかもしれない。Heideggerにしても、実際のところは都市に対して現実(ということは:=近代)の(シュヴァルツヴァルトの)農村を対置しているに過ぎぬのかもしれぬ。(これは時局的な発言で割り引いて受け取らねばならないかもしれぬが「なぜわれらは田舎に留まるか?」(『現代思想』1989年7月号)においてHeideggerは、「都市世界は、破壊的な謬見に満ちている」と批判しつつ、「自己の仕事がシュヴァルツヴァルトとそこの人々に内的に帰属する」と述べている*。彼を「永遠の田舎の眼」と呼んだSloterdijkや、Adorno等をも参照せよ。またBachelardも「パリには家がない」「大都会の家には、鉛直性の内密な価値がないうえに、さらに宇宙性が欠けている」と述べている(62)。)もちろん、それ自身は不当なことでない。思想の原理的次元との間にギャップが在るというのである。さらに、ギャップが在るだけであって現実にいわば妥協している場合はまだましであって、原理的次元とのギャップが現実離れした発言を結果する場合もある。悪名高い箇所であるがHeideggerは、近代を技術(的世界観)ということで一元的に規定しつつ、「農業は現在、機械化された食品工業である。その本質にかんしては、ガス室や殲滅キャンプにおける死骸の製造と同じである」(Lacoue-Labarthe,Ph.『政治という虚構』68 から引用)と発言したと伝わっている。これは、反ユダヤ主義の言などではなく、単純に現実音痴を露呈しただけのものである。原理的な思想としては容易だとしても、現実との対抗において具体的にプレ・モダンを説くことはかなり困難なのではなかろうか。

 しかし、逆に原理的なものが貫徹されているものもある。エコロジー系統、特に「スピリチュアル・エコロジー」系統の思想がその代表だと言えよう。もう簡単に述べるが、その場合は、現実の制約との衝突から多くは極端に急進的となっている。但し、〈急進的であること〉そのものが問題だと言うのではない。〈現実〉の方が急進的に破滅に向かっているのであって、その〈現実〉を直視するならあたりまえのことが〈急進的〉として現象するということも在りえるからだ。しかしながら、そこにはナチズム−−ここに今日の自然保護政策の先駆的形態があったことは周知の事実である−−の一源泉ともなったもの(例えばHaeckel,E.)と源泉を共通にするものも在るということは特記しておかなければならない。


五 景観への対処(2)−−ポスト・モダン−−

1 現在、最も活発に論を張っているのはポスト・モダンの立場の論者たちである。時代そのものがポストモダンであるので当然のことであるが、ポスト・モダンの立場は、この現在という時代の在り様を、かつ、それまでの近代とは異なるものとして肯定するものである。景観論ということで言うなら、その基本は、自然にせよ都市にせよ景観を自由に享受するところにある。「純粋に遊戯的な快楽主義」(Berque『都市の』226)だと言って差し支えない。その原理はまさしく「遊戯的な快楽」であり、〈主義〉として何等の拘りももたない。近代以前のものに「快楽」が感じられるなら自由にそれを「引用」する。建築のジャンルにおける「新地方様式」は、この行き方がかなりポピュラーになったものである。「江戸」に注目する(cf.陣内秀信)のも、そこに「快楽」を見出しているからであって、決して江戸の在り様全体を肯定してのことではない。近代主義に対立するのも結果としてであって、もし「快楽」が感じられるなら近代をも「引用」することになるはずである。実際、基礎的なところでは、人間の「快楽」を生理的・物質的な層で支えるために、近代の在り方をそのまま引き継いでいる。例えば、マイ・カーをやめてバス・電車にしたり、クーラーの使用をやめたりはしない。とするならそれは、近代の或る原理の徹底化だとも言えなくはない。
 しかしながら、ひとくちにポスト・モダンと言っても、そこにはさまざまな潮流が含まれている。そのラディカルなヴァージョンはこの「快楽主義」を徹底する。すでに言い古されたところであるが、ディズニー・ランドから始まったテーマ・パークや、さらにはリゾートとしての自然公園の乱造はその現われである。これらは居住地から離れたところに造られているが、そこに行くための道路建設であるなら、途中の景観を切り刻むことも許容される。ましてや自動車については、排気ガス−環境汚染のネガティヴよりは移動の快適のポジティヴの方が優先される。さらには、走行中の眺めの快楽までもが主張される*。こうした行き方はしかし、特に都市景観に関わる場面で大きな反発を産んでいる。所有者や、あるいは建築家が個人的快楽を追求して自由に造る建築物が、景観全体に対しては否定的な影響を結果しているからである。都市景観を破壊しているのであって、その点では「都市の解体」を宣言した近代主義となんら変わるところがない。

2 この事態について、〈そうしたカオスこそが美しい〉という正当化(Berque『日本の』168 参照)や、カオスから自生的に秩序が生れる(cf.高松伸、前掲『建築文化』091)という反論もあるが、ポスト・モダニストたちの多数派はもう少し保守的である。「快楽」というなら彼らは、都市景観の調和・秩序(「形態」をもつ都市)の中に生きるという快楽をも重視する。しかしポスト・モダンは自前の秩序原理をもたない。そこに、まさか中世的原理を持ち込むことはできぬので近代の(古典的)秩序原理が導入されることにもなる。この点で明確なのは松葉一清である。彼は、(現在の)パリの秩序は(ナポレオンI,III世の)19世紀的原理が現在(例えばミッテランのパリ改造)もなお保持されていることに拠るとして、その原理が内包する「都市軸」という観点から「これこそ手に入れるべき「未来」なのだ」と説く(『パリの奇跡』講談社新書1990,23)。
 因みに彼は、そこで同時に「ここでは近代は、鮮やかに乗り越えられている」と述べるが、それは近代の機能主義的側面についてであって、近代的景観の秩序原理が否定されているわけでは当然ない。しかし厳密に理解するなら、ポスト・モダンの地平から見てそうした原理が「快楽」原理として有効であるから導入されたのであって、決して歴史主義からそうしているのではない。したがって、この点でも「引用」の基本軸が貫かれているのであって、ポスト・モダニストたちが場面によっては(例えば歴史的景観の保護など)過去の評価の点で現象的には歴史主義者と一致することが在ったとしても、両者は本来別物であるのだ。これについては、同じくパリを評価するこの松葉と、歴史主義に若干傾斜するところのある例えば福井憲彦(「環境としての都市空間」『季刊IICHIKO』34号)の、ポンピドゥー・センターやピカソ・アリーナをめぐる対照的な評価が面白い。
 ここでこの歴史的景観に関する我々の規範倫理学的な意見を述べさせてもらうなら、我々はまず松葉の方に賛成する。歴史的景観の保護は、基本的には、それが歴史的景観であるがゆえにではなく、人々(それには次世代の人々も含まれる)がそこから享受できる(心的)価値−−そこには歴史主義者=歴史愛好家達の(歴史的景観に対する)〈好み〉も含めて構わない−−のゆえになされるべきだと考える。したがって、景観保護が他の価値と衝突するときは比較衡量の必要が出てくる。こうした見解に対しては、歴史的景観はそれ自体で価値をもつという意見が当然予想される。これについては、いわゆる「内在的価値intrinsic value」(Moore)の問題をメタ倫理学的にも検討しなければならないが、以下の章で対象を自然景観の「内在的価値」の問題に置き換えて論じる。

3 ポスト・モダニズムのなかには、この歴史主義に見掛け上は近いかたちで一種の伝統主義的な潮流もある。これは、着目される過去が古くなるに従って通常の意味で「伝統主義」だとも見られがちなのだが、我々はそれもまたこれらとは決定的に異なった潮流であると考える。そこでもポスト・モダニズムとして伝統が「引用」されるに留るからである。しかし他方それは、上に見た松葉的立場とも異なる。松葉の場合、過去の或る原理が端的に現在にも有効であるから採用されるのに対して、このポスト・モダン的伝統主義は、一定のものが〈伝えられている〉というところに有効性を見出すからである。伝えられている(という伝統の本義の)ゆえに原理にしても有効性をもつというわけである*。間宮陽介(「「都市の思想」『岩波講座 転換期における人間 4』1989)は、先の高松と同じく、但し(Hayekの)本流から伝統を重視する、自生主義的秩序を説いているが、そうした伝統=自生主義は、それをポスト・モダニズムに分類することができる場合、ポスト・モダン的立場の一つの傾向となる。但し、伝統主義・自生主義はそれ自身別個の範疇であって、論理的には、現代の事態はそれ自身伝統的・自生的に生じたものであって、その流れに逆らってはならぬと説く極端なものも含めて、さまざまなヴァージョンをもちうる。これは例えば竹市明弘も、「人為」も一つの「自然」とは考えられぬかというかたちで指摘するところであるが(Vgl.,Takeichi,A.,Hrsg.,Das Bild von Menschen und Natur im 21.Jahrhundert,Univ.Kyoto 1995)、この「伝統」「自生」や「自然」を説く者はその外延を明示する義務を負っているだろう。

 Marquard,O.がこの〈極端〉な伝統主義だとみなすこともできる。彼は、二章で言及したRitterと或る意味では近代の同じ事態を見つめながら、しかし「補償」という考え方を批判して次のように述べている。

「近代における現実の脱魔術化は、美的なもののもつ代償としての魅惑の特殊近代的な形成によって補償される。あるいはこうも言えようが、近代における世界の人工化は、人の手が加わっていない景観というものの特殊近代的な発見と神格化や、エコロジカルな意識を含む自然感覚の発達によって補償される。またこうも言えようが、近代における物質化と現実変化のテンポの増加とによる伝統喪失は、歴史感覚の特殊近代的な成立によって、したがって例えば博物館と精神諸科学の誕生によって補償される。....哲学的人間学は[このような]新-終末論的に反近代へ逃亡する歴史哲学に反対する。」[近代が問題をもつというのはその通りである。しかし、]「問題に回答を与えない」こと同様、「問題に一つの回答を与え、問題を解決したと思う」ことも誤りであって、正しいのは「多くの[暫定的]回答を与え....問題を未決のままにする」ことである。(Apologie des Zufaelligen,Reclam1986,27ff.)

これは、形式的には〈極端〉の位置を占める。(イギリス的な、Bramwellの言う意味での、というより、すでにMannheim,K.の古典的規定からしても)「保守主義」は、本来この〈極端〉に近い位置を占めるものであって、その意味で彼もまた保守主義者である。これに対して通常の意味での「伝統主義」は、この形式軸で言うなら、〈極端〉からかなり離れたところで、過去の一定のものを規範とする考え方である。因みに、本書は村上淳一が肯定的に引用しているが(『仮想の近代』東京大学出版会1992)、氏の理解ではMarquardはポスト・モダンに分類されることになる。我々も脱-原理的(Vgl.Abschied vom Prinzipiellen)というところから見ても、氏の理解は妥当だと思う*。この脱-原理性という点でポスト・モダンの「快楽主義」も厳密には「主義」ではないと(再度)限定しておかなければならない。それが厳密な意味で一つの「主義」になるときは、極端な場合は例えばSadeのように極めてモダン的となる。なお、Vattimoの「弱い思想」もMarquardに近いと言える。**

4 すでに言及した地理学者のなかで最もポスト・モダンなのはBerqueであろう。彼は確かに、ポスト・モダニズムの「遊戯」の在り方を、モダニズムに対しては評価ししつつも、「指示対象の喪失」(前掲『都市の』226)であって、それだけでは彼が言う「都市性」の回復はできぬとして批判することを議論の出発点にする。例えば松葉のように近代の都市性原理を導入したりはしない。オスマン以来の伝統が残るパリについても、見方は辛辣である。「パリにおいて伝統的な都市風景が存続しているのは....一般にそのような風景が歴史記念物に分類されたからにほかならない。これは一種の保存のための防腐装置のようなものであり....結局のところは風景の死なのである。」(前掲『日本の』157)* Berqueはあくまで「新たな形態の創造」(157)を志向する。そこで彼が着目するのは、客観の対象化を引き起こした西欧近代の主観性が、その主観性を徹底させることによって20世紀以降現出させた−−「第二の距離設定」と呼ばれる−−「自身の主観性に対する主体の距離設定」(171)である。これは、近代的「二元論」の徹底化の帰結でありながら逆に二元論を超えるものである。Berqueによれば、これが(近代的)「風景」の死を帰結させたのであるが、しかし同時に、そこに東洋の「山水画」の世界にも通じる新たな風景−−これを彼は「実景outre-pays」と術語化している(前掲『風土としての』147)。これもまた彼の新造語である「造景paysagement」は厳密には、そういう「実景」を造っていくことを意味する(但し、『風土の日本』ちくま学芸文庫1992 では、一般的に風景を造っていくことを意味する)−−を現出させる可能性が開かれる(『日本の』171)。しかし厳密に見るなら、(東洋への言及は、穿って見れば親日家としてのリップ・サーヴィスであって、)東洋の「非二元論」的世界では主観と客観とが未分離のままに風景に共存し、主観(画家)は美的に、しかも部分的にのみ風景を見るのに対して、「ポスト二元論」の世界では、主観と客観は明確に分離しており、ただ主観が己れをも対象化的に見ることによって客観と同一の風景内に共存しているにすぎない。そして主観はそういう風景を単に美的にだけではなく全態度において、かつ全面的に見ることができる**。(Berqueは、そうした「ポスト二元論」と「非二元論」との「総合」をさらに語っているが(171)、論理構制上その言は浮いている。)

 では、そうした〈ポスト風景〉はどのようにして「指示対象」をもちえるのか。ポスト(・)モダン的「遊戯」においては美的態度の対象=「風景」は「表象」となる。しかし他方人間は、いかなる時代にあっても物理的存在として(物理的)「環境」と関係せざるをえない。(古典的意味で)「生態学」が説かれるのも、この関係の問題性のゆえである。ポスト・モダンにおいてはこの両関係が分離され、そのために風景への関係が「表象」となっているのである。ここでBerqueはこの両関係を、いまやそれが可能になったのだとして、そういう[遊戯というポスト・モダン・ヴァージョンの]「現象学的パラダイム」と「生態学的パラダイム」とを「結合」することによって(『都市の』228)統一させることを主張する。すなわち、「環境」そのものを「風景」とするのである。「ランド・アート」等として実験的に試みられていることの全面化=「芸術作品としての環境」(『日本の』182)の形成である。「実景」とはそのようにして現出する風景である。
 Berqueの議論は、構制の形式としてはいわばポスト・ポスト・モダニズムという格好になっている。しかしながら我々は、彼の論は、(そうではないという弁明がなされてはいるが(186ff.))「指示対象」として導入される「環境」をもいわば記号化しつつ、地球(という生態系)全体にまで「遊戯」の対象を拡大するものであって、そういうものとしてポスト・モダンの一つの徹底版であると理解する。(実際『日本の』168ff.では、「ポスト・モダンの風景」の潜在的可能性を探るというかたちで同じ結論=「造景」を導いている。)

5 先に我々はポストモダンの景観とは、加藤の言う「風景」だと述べた。その「風景」への対し方として加藤は三つを挙げている。「現実からそれまで自分がそれに与えていた“意味”が抜け落ちる。現実が一個の「風景」のように見える。その時、この事実にたいして人の取りうる態度は三つある。一つは、“意味”をたたえたかつての現実に固執するというあり方、一つは、この“意味”を脱落させた現実つまり「風景」としての現実といわば戯れるというあり方、そして最後が、この「風景」としての現実に身をおくことのうちに唯一可能な「現実」へのアンガージュマンの方途を見出すというあり方。」(前掲「風景以後」187) ここで我々がポスト・モダンの次の在り方として分類したいのは、加藤の二番目のものがいままで見てきたものだとするなら、三番目に対応するものである。但し、加藤はいわば〈倫理学〉的にも語っており(因みに柄谷は〈社会学〉的にも語っており、その側面を加藤は〈政治学〉的に敷衍している)、(〈社会学〉〈政治学〉〈倫理学〉的次元については以下で問題とするとして、いままでまずは)〈美学〉的に考察してきている我々にとって、ストレートに対応するものではない*。我々自身の言葉でいうならそれは、ポストモダンの景観が示す〈美的無記〉の相に定位して〈あるべき景観〉を語ろうとする立場である。(なお、この立場は次章(−4)でみるモダン的立場(のうちの一つ)と近いところが在る。しかし、或る種の〈軽さ〉(〈生活〉の希薄さ)という点でそれから区別できると考えている。)

これは、Berqueのようになお「コスモロジー」(『都市のコスモロジー』)を語る者には見えていないもの、なお「コスモロジー」を念頭に置くならまさに「コスモロジーなき」時代の試みとして意識されるものである。こうした意識は例えば論稿集『現代芸術の地平』岩波書店1985 の「あとがき」中の市川浩の次の発言によく示されている。「本書におさめた諸篇は、十数年前に書いたものから最近のものにいたるまで、基本的な考え方はあまり変わっていない。そこに微妙なちがいがあるとすれば、それはコスモロジーが人間を支えていた時代に魅力を感じながらも、コスモロジー解体の時代の芸術の在り方に共感を深めていった点にあるだろう。」(341) 我々が次に取り上げるのは、この「コスモロジー解体の時代の芸術」に当るものである。市川は具体的事例として荒川修作を挙げているが、美術の素養のない我々としては再び言葉に頼りたいと思う。
 松葉一清は、『パリの奇跡』とはかなり異なった都市景観論を新著『失楽園都市』講談社 1995では提示している。彼は、かつてそこに「未来」を見たパリや、さらにはテーマ・パークが一つの都市となった(新しい)ラスベガスなどを財政的にバブル経済が支えたものと認識しつつ、そのバブルの崩壊後に定位して、未来に残された唯一の可能性を「アジア」に見る。そして本文末尾をこう締めくくっている。「香港の、台北の、そして日本の「電脳中心」が林立する地区に、電子環境時代の二十一世紀の都市像の芽吹きを見いだすことができる。わたしは、時間があれば、そこを歩いていたいと思う。死に絶えた二十世紀都市ではない、これから生きる都市の姿が身近に見いだせるからである。」極論するなら「ブレード・ランナー」の世界にのみ可能性があるというのだ。松葉はここで、ニュアンスとしてはわずかにポジティヴを示しているが、しかしながら議論の構成上は「失楽園」の確認で終わっている。そしてそれは同時に景観の造り手の側の方向喪失の確認ともなっている。「コスモロジー解体の時代」には、「芸術」は−−しかし、例えばコンセプチュアル・アートのように美との分離において−−在りえても、もはや(美的)景観は不可能だというのであろうか。
 これに対して日野啓三は景観の受け手の立場から、「コスモロジー解体の時代」の景観に一つの新しい美を見出している。彼は東京の高層ビル群の、しかも人のいない空間について、それが砂漠にも通じるものをもつとして、両者に共通するシンボル語を用いて「風、砂、スファルト、それにコンクリートに囲まれた空っぽの都市空間からも、美しいものを作れるんだ」と語る(対談:「都市という鉱物」 (『川本三郎『都市の風景学』駸々堂出版1985 所収))。この「美しいもの」は、ポストモダンの時代にあって、決してキッチュの美などではなく、我々が人々にとって〈美的無記〉として現出すると分析したまさにその景観になお見出されるものである。先に我々はポストモダンの美が一つの新しい美であると述べたが、それが〈形式的〉に新しい美であったのに対して、日野の美は、さらに〈内容的〉にも新しい美である。前者が〈内容〉的にはなお古典的であったとすれば、後者は完全に脱-古典的であると言えようか。但し、これは暫定的な言い方にすぎぬ。そうした〈美〉はもはやそもそも美ではないかもしれぬからである。
 日野啓三の世界を川本三郎は、「一種終末論的な崩壊のイメージにひたされている」と述べている(『感覚の変容』文藝春秋 1987,193)。一つの形而上学的世界観であり、川本が指摘するように「日本の伝統的な美意識のひとつである「あきらめ」というペシミズムとも通じ合っている」(196)のかもしれぬが、一般的レヴェルに定位する我々としてはここから積極的なものを引き出すことはできない。但し、あくまで〈一般的レヴェルにおいては〉である。また、この世界感覚は一つの宇宙論的感覚でさえあって、都市だけでなく自然においても感じられるものである。さらに、ここには一つのコスモロジーさえ感じられる。たしか彼自身「廃墟のコスモロジー」を語っていた。しかしそれは昔からの「廃墟の美学」のようなものではなく、まさしくポスト・モダンのものである*。しかしながら、このように形而上学的となるなら、そこに現出するものはもはや(我々の意味での)「風景」であろう。それはさて措き、我々の(以下での)議論に無理に引き摺り込むなら日野の論は、例えばwildernessの主張に対して、それはたかだか地球中心主義、さらには生物中心主義にすぎぬという相対化の論拠としても機能する。この世界感覚においてなんらかのシステムが許容されるとしても、そこには必ずしも生物は、さらには地球すらも存在しなくて構わないからである。


六 景観への対処(3)−−モダンの立場−−

1 モダンの基本的傾向は、現在において近代が露呈している問題性にもかかわらず、近代の原理=機能主義を保持しようというものである。そしてその場合、近代固有の秩序原理であっても、機能的でないならばそれもまた否定されることになる。機能性、つまり利便性や効率性が損われるのであるなら調和は不必要だとされるのである。
 機能主義の現実の発現形態は、資本主義体制の下で多くは経済的な機能性(例えば収益性)のかたちをとる。しかしこれは、そういうケースが大部分だとしても、一つの発現形態にすぎない。機能性は、原理としてはそうした発現形態とは異なる。原理としてはさらに基本的な原理を前提とする。それは、各個人の快−−ポスト・モダンの〈快楽〉主義と区別するためにとりあえずこう呼んでおく−−、および快の追求の自由の保証である。Bentham型の功利主義=hedonistic utilitarianismがその原理として主張するところのものである。こうした基本原理を前提とするものを、我々は仮に人間的機能主義とでも呼んでおく。
 この人間的機能主義と経済的機能主義とを、ましてや、その企業活動における発現形態(〈資本の論理〉)とを混同してはならない。残念ながら、この混同はほとんど一般的でさえある。たまたま手許にある松本章男『美しき内なる京都』有學書林1994 などにも混同が見られる。仮に氏のように〈開発〉反対の立場に立った場合、この混同は相手側を利するだけである。反対の整合的な論理を構築できないだけでなく、相手側が巧妙である場合、その自己正当化を容易にしてしまうからである。ここで一般論として〈開発〉反対運動にコメントしておくなら、こうした混同のゆえに守勢に立つものが多い。そこには、本当には成功を目指したものではない〈反対のための反対〉=カタルシスとしての反対行動も見られなくはない。
 人間的機能主義として純化して見た場合、機能主義が果たしてきた、および、それが現在なお果たしている役割は、そうネガティヴなものばかりではない。もう簡単に言うが、近代において快の増加=苦の減少の圧倒的な実現がなされた。しかも、その享受者を一部の者から理想としては全ての者へ拡大するかたちで。それが景観を大幅に変更してきたのは事実である。森林は切り開かれ、畑に、さらには牧草地に、そしてさらには郊外住宅団地に。渓谷は人工的なダム貯水湖に。古くからの街並みは例えば駅前商店街に。これらは、美と美の享受の快楽にダメージを与えた。しかし、それは人々の快の実現の代償でもあったのである。そして例えばRelph−−彼は本稿で言及する三人の地理学者のなかでは一番親モダン的である−−が「日常の景観は平凡で....ある。それは....偽物である。....[しかし、]日常の景観は十分うまく機能している。」(前掲『場所の』217f.)と述べているように、基本的には人々になお受け入れられているのである。
 こうした快の追求が同時に問題をも結果しているのは事実である。しかしそれは、この機能主義からするなら、副産物としての苦、ないしは(将来の)可能的苦の増大としてである。景観問題に直接関わるところで言うと、「環境問題」はここでも深刻に捉えられている。エコロジーで言うと(deep ecologyに対する蔑称だが)shallow ecology系統のものは大体、この機能主義的発想を基本としている。しかしながら機能主義では、「環境問題」は「環境」の問題として(美的)景観の問題からは切り放して対処される。我々は、必ずしも全面的に機能主義に加担するわけではないが、環境問題と(美的)景観問題は方法的には分離して論ずべきであると考えている。このことは「環境」を最広義で考えるべしという前言と矛盾しない。レヴェルの混同がよくないと言っているだけだからである。美しいもの(=よいもの)=快(適)なものという等置図式はよく見られるところである。しかしながら前言との関係で、それに限定を加えて、諸レヴェル間においては快・苦というより基底的なレヴェルに優先性がある、ということはここで規範倫理学的に主張しておきたい。Berqueは「美は贅沢ではない」と説くが(前掲『風土としての』154)、そういう審美主義=美的快楽主義に対しては「美は剰余である」*というテーゼを対置しておきたい。

2 しかしながら他方、現代の機能主義的景観は、単なる美観の崩壊や環境の悪化という次元とは少しく異なった次元で深刻な問題を露呈してもいる。Berqueはこう述べている。

たとえばフランスでは、つい一世代前ぐらいまで、モダニズムの流れをくむ機能主義的な都市工学が都市問題を解決する理想的な手段と考えられていた。それが今や逆に、数年前から郊外の青年層の間で発生する爆発的な暴力事件の原因のひとつとして糾弾されるようになった。彼らのような若者たちは都市から排除されていると感じている。郊外において、彼らはいわば都市性を欠いた状態に置かれているのだ。モダニズムによって立つ建築家や技術者は都市を建設することができた。しかし彼らは都市性を生み出すことができなかったのである。(前掲『都市の』25)

この、空間の機能化による心理学=社会学的条件の悪化ということは、多くの人々が語るところである。事例的にも、高層住宅団地の建設中止や、さらには取り壊しさえ行われている。Le Corbusierがマルセイユに作ったアパート「ユニテ・ダビタシオン」にも「住みにくい」ということで手が加えられたりしている。Berqueはこうした事態を前にして「都市は風景であることを終えたのである」と語る(67)。
 こうした〈悪化〉については、本当に機能主義に原因が在るのかなお見極めが必要と考えられるが、しかしながらこの機能主義への反省として、ポストモダンの現在が快楽主義であるということと一部歩調を一つにしつつ、美を単なる美としてではなく生活の一つの要件と捉え直して近年モダン的立場においても、〈快から美的快(楽)へ〉という傾向が強くなっている。しかしこれは、厳密には〈美的快楽を含むかたちでの快概念の拡張〉という傾向であって、基本的には、〈快〉の或る程度の実現を前提にして、さらにその上に〈美的快楽〉をも求めようというものである。具体的に言うなら例えば「アメニティ」への志向がそれに当る。「アメニティ」の用語法は一義的でないが、ここでは、その歴史的経過から見て「安全」「衛生的」「利便」といったより物質的なものを核として、それに「美」「アイデンティティ」といった精神的なものが付け加えられていったものとして理解する(AMR編『アメニティを考える』未来社1989 参照)。
 我々はそういうものとして、「アメニティ」の主張をモダンなものと分類する。近代主義を機能主義だけで規定するのは一面的であって、それは同時に「美」への志向をも、そして−−これはまさしく(一つの問題性として)近代的であると我々は解しているが−−「アイデンティティ」への志向をも内含するのである。この主張はかなりの部分においてポスト・モダンの美的快楽主義と重なるが、〈美に比重を置く〉〈遊戯的である〉という二点で後者は区別されると考える。
 さてそうであるとして、景観問題においてこの主張は現在どういうかたちで現れているか。都市景観については例えばヨーロッパの都市をモデルとして、広場、路地、街路、ファサード、パサージュ、ランドマーク、歴史的建造物、etc.といったことが論じられている。また自然景観についてはとりわけ森林の価値が説かれている。しかしここでも、具体的問題は各専門家に委ねるとして、立場の分節化として、「アメニティ」の主張を二つに大別しておきたい。一つはいわば心理的(生理的)に考える立場であり、一つは文化的に考える立場である。これは我々の規範的主張であるが、モダンの正統派は(機能主義の延長線上に位置する)前者である。そこでは、言ってみればアメニティの心理的基礎が(少なくとも無意識的には)求められている。必ずしもアメニティ論と局限できないのだが(景観)工学系の樋口忠彦『日本の景観』ちくま学芸文庫1993、中村良夫『風景学入門』中公新書1982 などがその代表例である。例示的に一部だけ紹介するなら、中村は「道路の風景設計の最大のポイントは、道路をその場所の地形の起伏にうまくおさめることである」(103)として、どのような構造が「うまくおさま」って「心理的満足感」をもたらすかを追求している。樋口には、日本の(よい)景観の構造的類型化(53ff.)や、さらに抽象的な「凸型景観と凹型景観」への大別的類型化(195ff.)が在る。また、デザイン系の小林重順『景観の色とイメージ』ダヴィッド社1994 や、精神病理学的景観論をも一部として含む医学的=衛生学的景観論なども重要である。建築家では、ポスト・モダニズムの批判を受け止めながらもなおモダニズムの行き方を主張する槙文彦の諸論稿(『記憶の形象』筑摩書房1992)は特に傾聴に値する。彼が言う例えば「情景」の構想(460ff.)は、堅実に機能論的基礎を確保した上で更に(彼にとっては少し軽すぎる表現になるかもしれぬが)アメニティを実現しようとするものである。
 この立場でも歴史的景観がアメニティ景観として論じられるが、それはその時代にあってないしは普遍的にアプリオリを満たすものとして言及されている。これに対して後者では、現在の景観のうちに歴史的景観が構成要素となっていることを問題とする。確かに歴史的景観が(現在において)アメニティを産み出すことがあるのは事実だが、後者はさらに、前者のようにそれがそのものとして、あるいはそれが景観の構成要素となっていることによって形態的にアメニティを産み出すという側面ではなく、それが(知覚を超えた、いわば記憶を呼び起こす)文化物としてアメニティを産み出すという側面を重視する*。そのメカニズムは「アイデンティティ」という媒介項を持ち込んでこなければ説明できないのであるが、これについては以下の章でテーマ的に問題とする。しかし、次のことだけはここで述べておく。1)〈心理的立場〉と〈文化的立場〉とは、あくまで理念型的なものであり、実際には連続している。2)これも理念型的に分析しうるものであるが、記憶の側面から言って、その記憶がいわば〈実在的〉であるものと、いわば〈観念的〉であるものとを区別できる。呼び起こされる記憶は、前者では実際の知覚体験であるのに対して、後者ではいわば想像的なものである。我々が〈文化的立場〉として取り出しているのは、このうちの後者である。3)前者は〈個人的〉なものであるのに対して、後者は〈集合的〉なものである。そして、特殊近代においては、その中核に〈国民的〉なものを含む。そういう〈国民的〉な文化景観を志向する立場は、機能主義とはまた別の傾向として、まさしくモダン的である。** 4)この二つは共にアイデンティティが関わってくるが、景観をめぐる最大の(ということは:〈紛争〉が最も深刻である)問題は、実は、このアイデンティティの問題だと我々は見ている。

 この両者は、場合によっては一つの景観に対して相互に異なる評価を下すことも在りえる。例えば搭の町として有名なサン・ジミニャーノは、−−その(美しい)色彩等を捨象して−−純粋に形として見た場合、不規則に並んだ搭が知覚的に違和感を与えるかもしれぬ。もしそうであるなら、前者の立場からは否定的に評価されることになる。これに対して後者では、その景観の歴史性が想起させるイメージの点で肯定的に評価されることになる。景観論争においてこの相違の占める比重はかなり大きいと我々は見ている。

3 歴史的景観に対するスタンスの相違として、ここで上のモダン的な二つの立場をも含めて諸立場を(再)分節化しておく。例えばヴェネツィアのリアルト橋(歴史的建造物)の下をバポレット(水上バス)が通って行くという景観は一つの絵になっているが−−実際観光客も、出費を抑えたいときは、ゴンドラに乗るのを控えて住民と一緒にこれを利用する−−、上の前者の立場は例えばこのようなかたちで、実際の〈生活〉の営みを基本としつつも、知覚的に快適な景観を作り出すのであるなら歴史的建造物を景観に取り込もうというものである。これに対して後者は、〈生活〉を(アイデンティティ維持の点で)支えている景観イメージを尺度にして、実際の景観がそれに適合していること−−適合している場合、景観イメージが想起され、それがアメニティを生み出すことになる−−を求める。その際、バポレットはそのまま許容されるであろうが、同じ船でも例えば水中翼船なら拒否されであろう。これに対して前者では理念型的には、形態的に異和がなければ許容されることになる。同じくアメニティを求めているのだが、前者があくまで知覚レヴェルで考えるのに対して、後者はいわば文化=記憶のレヴェルで考えるのである。(しかしながら、〈生活〉を基本にする限りではアメニティの追求には限界が在る。そこで一定の地区に限定して、それを「歴史的景観保存地区」として原形保存することを図るものも在る。いわゆる「博物館化」である。その場合さらに、例えば歴史学者が純学術的に保存を主張する場合も在るが、その場合景観はそもそも美的景観であることをやめて、科学的景観となる*。それに対して多くは、そこにおいて景観イメージを想起するための場として保存を求めている。)これに対してポスト・モダンは、〈生活〉と整合的に景観を維持することはもはや不可能だとしてヴェネツィア全体をいわばカッコにいれて、それを〈生活から解放された空間〉−−「祝祭空間」的都市論はこの具体例とみなしうる−−として維持しようとする。その場合、快楽がもたらされるなら景観イメージが−−その場(限り)において、そのイメージを所有する過去の人になったつもりになって−−「引用」されても構わない。そしてその際、或る者は、もはや人々の(例えば通勤の)大量移動は考えなくていいのだから、「船はゴンドラの方がいい」とする。また別の者は、「いや、いろいろ在った方が面白いので、水中翼船は不愉快だが、例えば和船(ジャパニーズ・ボウト(?))などは悪くない[異化!?]」とする。(しかしポスト・モダニストも〈生活〉せねばならないのであって、そこで同様、一定の地区に限ってこのような〈解放空間〉を享受しようとすることにもなる。「テーマ・パーク」とはそのような空間である。)プレ・モダンは、単純化して言うなら、〈調和〉を全体的に享受するために〈生活〉そのものをかつてのものに戻そうというものである。因みに、(後述するSieferleが示唆する)超モダンは、「〈調和〉といってもつまるところは「習慣性」の問題だ。〈生活〉を基本とするなら、そのスピード化に合せて水中翼船を導入すべきだ。それでも不十分ならカナルの上に高速道路を設置すべきである。やがてはそれも〈慣れて〉きて〈調和〉を感じられるようになるはずだ」と説く。** ***

4 しかしながら、三章で確認した景観の現在にあって、モダン派のこうした「アメニティ」論はいささか楽天的にも見える。同じくアメニティを説くとしても、ポスト・モダン派がもはや「遊戯」しかないとするのに対して、モダン派はもう少し実質をもったものをそれが可能だと考えているからである。あるいは、ポスト・モダン派の現状認識の方が悲観的すぎるのであって、例えば「場所性」の実現は現在にあってもそう難題ではないのではなかろうか。しかしモダン派には、ポストモダン派と現状認識を同じくしつつ、そのなかでなおかつ新たな景観構築を試みる人々もいる。伊東豊雄(「サラン・ラップ・シティの建築風景」『現代思想』1992年9月号所収)はその一人である。彼は現代の均質な景観をもった都市を、コンビニエンス・ストアに並べられた食品がすべて一様にサランラップに覆われていることとのアナロジーで「サラン・ラップ・シティ」と表現しつつ、ポスト・モダン派のようにそこで「遊ぶ」のではなく、「サラン・ラップの実体化、つまりあの透明な被膜にひとつの構造を与えること」を語る。しかしそこで求められる建築は、もはや旧モダニズムが求めたような(機械とのアナロジーにおける)「形態」そのものではなく、「「バーコード」のように、自らは全く形態的表現を持たず、きわめて単純な実体でありながら、多様な意味を発生し得るシステムとしての建築」である。彼はそうした建築術をまさしく「バーコード・アーキテクチュア」と呼んでいる(126)。
 彼はこの論考の初めの部分で、挑発的な言い方で「....全く新しい都市空間であろう。乾き切った均質な土地に建つ建築群。それらはすべてゲニウス・ロキを歌っているだろう」と語っている(116)。論者達は他方ではあまりに古いモデルで「場所性」とその喪失を考えているのではなかろうか。断定的にではないが、同じく挑発的にSieferleも、少しく分析的にこう述べている。

シュヴァルツヴァルトの谷間に1750年頃作られた農場は景観として美しいとされ、他方、現代の養豚設備は醜いとされている。しかし、そこに在るのは両方とも農業生産の設備である。単に習慣の問題があるだけなら、こう言えるのではなかろうか。古色蒼然とした景観のステレオタイプがなお流通している。それによると、美しい景観なるものには木組み家屋や牧馬場、水車小屋の製粉機、さらには中世の軍事施設も入っていて構わない。とするなら[同じ人工物である]送電線やアウトバーンもまたそうであるのではなかろうか。(260)/[人工のものではなく自然が美しいと言うのなら]鳥たちの多くはテレビ・アンテナを樹の枝に代わるものとみなすことを学習している。とするなら人間は、例えば原子力発電所から消費者へ電流を運ぶ高圧線柱を、鳥たちと同様に森として体験することになにゆえに成功していないのか。(前掲書259f.)

 「単に習慣の問題があるだけ」なのか。そうではなくて、「習慣」性も多少はあるとして*、やはり環境そのものの問題なのであろうか。しかしそうであるとするなら、同じ〈自然〉である鳥たちが可能的には全てのものを〈自然〉とみなしうるとして、なにゆえに人間はそうでないのか。〈自然〉と〈人工〉の区別は、人間だけのものとして(逆説的に)その方が、したがって(〈人工〉との区別における)〈自然〉(という観念)の方が〈人工〉物なのではなかろうか。それとも、鳥たちは端的に疎外されているのか。−−これらは、一つの存在論的問題でもある。本稿では、論じるにあまりに根本的な問題なのでテーマとはしない。役割分担的には、「シュヴァルツヴァルト」ということで挑発のターゲットにされてもいるのであるから、是非Heidegger派の論者達に論じて欲しい。

5 モダンの立場には、これまで見てきたものが−−そして、その前提となる現状認識も−−いわば〈大文字〉のものであるとするなら、〈小文字〉で現在の景観を見る人達もいる。もう言及だけにするが、例えば荒木経維の団地写真等(いま手許には『都市の幸福』マガジンハウス1993 が在る)にはそういう見方が読み取れる。彼との対談で吉増剛造も「モルタル[建築]はいい」といった趣旨のことを語っていたのを思い出す。ここでは「コンビニエンス・ストア」も(若者にとっては)「コンビニ」−−こう言うなら語感がかなり変わる−−としてそれなりのアメニティ空間となっているのではなかろうか。ここからは、極論するなら景観はいまのままで十分amenousだという立場を想定できる。しかしその場合、景観はもはや「景観」ではなく一つの「風景」であろう。(というか、我々はそれをとりあえずは(一つの)「風景」として処理しておきたい。ここから本来ならば、−−〈日常性〉を語ってきたことでもあるので、(部分的には)そういうものの核を取り出すというかたちで−−「ヴァナキュラー」(「その土地固有の」という意味のではなく、要するに〈ハイ〉に対する「庶民の」「無名の」という意味での)な景観(意識)論を展開しなければならいのだが、以下で、多少無理を伴うかもしれぬが(方法的に)〈政治学〉的考察の一部としてテーマ化することを予告だけしておく。)但し、かなりの一般性をもった「風景」であって、そうしたものへの〈好み〉にもまた権利を与えるべきであろう。

 −−しかしながら総体としては、人々の景観意識のなかで「景観の死」が、そしてその「死」の認識の相違と、「死ではない」という認識も含めて様々な認識に基づく景観への様々な対処が在るのも事実である。(〈望ましい〉景観を求める者とそうではない者との対立ではなく)この相違の事実が在るから景観論争も生じるのである。我々はまだ景観論争を〈裁く〉ことのできる地点に到達していない。論ずべきことはまだたくさん在る。しかしながら掲載量の制限もあまり無視できない。ここまでを(一)として一旦筆を擱くことにする*。


参考文献リスト


1995年09月12日受理


研究業績ページへ戻る。

安彦ホーム・ページへ戻る。


( E-mail:abiko@sue.shiga-u.ac.jp)

1996/04/04 作成