講義「文化とは何か」関連文献資料4

 ver.1.1




・[番号]
・[筆者]
・[順番]
・[タイトル]
・[出版社/掲載誌]
・[キーパーソン]
・[キーターム]
・[メモ]


●4c1
・レイ・チョウ
・3
・ディアスポラの知識人
・青土社 1998.2800Y.
・REI.CHOW,
・ディアスポラ知識人、オリエンタリズム、毛沢東主義、ポストコロニアル、カルチュラル・スタディーズ、エスニシティ、
・31. 「オリエンタリズムと土着主義とのあいだ、メランコリーにかかった文化的好事家と戦略的毛沢東主義者とのあいだ−−この両極の中間に、西洋の多くのディアスポラ知識人が現在、ポストコロニアル状況と32して見いだす風景がある。」 帯:「カルチュラル・スタディーズへの批判的介入」 46. 「「ディアスポラの修辞学」が目指すべきは、中国であろうと香港であろうと世界のどこであろうと、民主主義や人権運動を支持し続けながらも、その一方で、「中国人」といった究極的支持記号を、自分のエスニシティとして採用することに抵抗し続けることである。」

●4c2
・ブライソン.N.
・1
・フランスのオリエンタリズム絵画における「他者」
・美術史と他者,2000
・ブライソン.N.,ジェローム,オスマン・ハムディ,
・近代国民国家、「土着化したオリエンタリズム」、
・81. 「たしかに、公式には、イスラームの性的慣習や専制政治は、観者に激しい拒絶を喚起する対象として提示されているのではあるが、しかし、その裏では、....が魅惑的な快楽世界を構成することになっている。」  /83. 「このような表裏構造は....オリエンタリズム絵画の重要な特質を暗示している。....表向きには、オリエントは....野蛮化され、否認され続けるのであるが、しかし、同時に、その裏では、オリエントは、妖しげな魅力をもつ磁場と化し、羨望され、欲望される場を構成していもいるのだ。.... 84.オスマン・ハムディ....。ジェロームが創造のオリエントの特権として与えた魅惑と輝きが、ここでは換骨脱胎され、新たなタイプの美術、つまりオスマンの国民的絵画に変貌しているのである。じっさい、この絵画は、オスマン国家が....近代国民国家..として自国の再建を図った時代に生れたものであった。それは「土着化したオリエンタリズム」とでも形容すべき絵画であり....。」

●4c3
・小林敏明
・4
・西田幾多郎 他性の文体
・太田出版 1997.2800Y.
・KOBAYASHI.T.,NISHIDA.K.,YOSHIDA.S.VS.YAMAGATA.T.,ITOU.H.,MARUYAMA.M.,SAID,
・セルフ・オリエンタリズム、「国体」をめぐる吉田松陰VS山県大華論争(163)、象徴天皇制、種、ナショナリズム、近代、
・155.「西洋においてオリエンタリズムが進行するのと平行して当のオリエントにもそれに対応した「オクシデンタリズム」および自賛型の156.「セルフ・オリエンタリズム」とでも言うべきものができたのである。」 162.「N.が求めたのは社会有機体ではない。一言で言えば、N.は「種」概念によって「ネイション」を求めたのである。」 164.N M:「日本のナショナリズムにはアジア型ナショナリズムに共通する要素があると同時に「ヨーロッパ・ナショナリズムの一変種形態とも見られる面」[『現代政治の思想と行動』-152]がある」 165.「N.にとって「国体」「皇室」はあくまで近代型のナショナル・アイデンティティの象徴であった。その意味で彼は伊藤博文の路線に乗っている。....私にはN.は大戦下における天皇制擁護論者というより、むしろ戦後の象徴天皇制のイデオローグにさえ見えてくる。」

●4c4
・三島健一

・「日本的なもの」などとエスノ・オリエンタリズム(ジェームズ・キャリアー)を振り回しているから駄目なんだ
・日本倫理学会大会報告集 1999
・MISIMA.K.,CARRIER.J.G.,
・エスノ・オリエンタリズム、
・28. 「エスノ・オリエンタリズムとも呼ばれるオリエンタリズム第二種は、そうした西洋によるエスノロジックな研究の対象である西洋以外の人々、つまり、いわゆる「現地人」が、自分たちの伝統文化を自分たちなりに再構築して、西洋に対する自己主張をするために作り上げる自己象を意味する。「我々の文化はこんなにすばらしいのだ。西洋人に簡単に分かるわけがない」というニュアンスが伴う場合もあれば、西洋人のオリエント象に合わせている場合もある。」

●4c5
・柄谷行人
・1
・美学の効用 『オリエンタリズム』以後
・批評空間 II-14,
・KARATANI.K,SAID,
・オリエンタリズム、知的・道徳的・美的、近代科学、美学、
・43. 「サイードがこの本で強調した一つの点は、オリエンタリズムが非西欧社会の人間を、その人間の知的道徳的実存を無視して、社会科学的に分析される対象として見る姿勢にあるということである。それは非西欧人を、いかにも知的且つ道徳的に劣った者として見なしている。[/]だが、それに劣らず重要なのは、オリエンタリズムが、知的・道徳的に劣ったその当の他者を美的に崇拝するという態度に存するということである。そして、そのことがオリエンタリストあるいはオリエンタリズム的態度をもつ者に抜きがたい自己欺瞞をもたらす。彼らは、ほかの人はいざ知らず、自分は非西洋人を対等以上の存在として扱っている、と思い込むのである。/私がここで明らかにしたいのは、第一に、このような44態度が伝統的なものではなく、近代の科学と美学そのもの淵源をもつということであり、それらが相互に連関しあっているということである。第二に、そうである以上、それは非西欧圏にも及ぶということである。*

●4c6
・柄谷行人
・2
・美学の効用 『オリエンタリズム』以後
・批評空間 II-14,
・KARATANI.K,
・オリエンタリズム、他者、科学、美的、社会科学、啓蒙主義、ロマン主義、近代の自然主義、
・* 他者をたんに科学的対象として見下すことと、美的対象として見上げることは、互いに背馳するものではなく、むしろ相互に補完しあうものである。他者をたんに対象として扱う社会科学の姿勢は、基本的に近代の自然科学の姿勢にもとづいている。そうした姿勢は対象からそれまで付着していたあらゆる意味−−宗教的・呪術的−−をはぎとって見るというものであり、われわれは18世紀ヨーロッパにおける啓蒙主義をそのような態度の具現として見ることができる。ところが、それ以後、つまり18世紀後半のロマン主義において、それとは違った態度があらわれる。それは他者に対する美的な態度....としてあらわれるのである。....そもそも美的な態度は、科学的な態度が先行することなしにありえないのである。」

●4c7
・柄谷行人
・3
・美学の効用 『オリエンタリズム』以後
・批評空間 II-14,
・KARATANI.K,KANT,
・オリエンタリズム、趣味判断、無関心=括弧入れ、近代科学、意味、宗教、美、主観の能動性が快として自覚される、崇高、
・44. 「カントが趣味判断のための条件としたのは、ある物を「無関心」において見ることである。....こうした括弧入れは近代的なものである。45それはまず近代の科学認識が、自然に対する宗教的な意味づけや呪術的動機を括弧に入れることによって成立したことから来ている。..../....カント以後の美学の特徴もまた、このような意識的な括弧入れにあるといってよい。カントの考えでは、美はたんに感覚的快適にあるのではない。といっても、それはたんに無関心的態度にあるのでもない。それはむしろ「関心」を積極的に放棄する能動性から生じるのである。その場合、関心の括弧入れが困難である場合ほど、そうすることの主観の能動性が快として、自覚される。..../カントが自身の考えをもっと明瞭に示しているのは、崇高論においてである。....カントによれば、崇高は対象にあるのではなく、感性的な有限性を乗り越える理性の無限性にある。」

●4c8
・柄谷行人
・4
・美学の効用 『オリエンタリズム』以後
・批評空間 II-14,
・KARATANI.K,KANT,HIRSCHMAN.A.O.,
・オリエンタリズム、無関心=括弧入れ、貨幣経済、利益(関心)、ロマン主義、芸術のための芸術、資本主義、商品経済、差異の無化、
・45. 「だが、ここでカントが考察しなかった領域....を考える必要がある。それは貨幣経済である。....46商品経済の世界では、諸物の差異(使用価値)に対してまったく「無関心」であるような態度が生じる。だが、それは「利益」にのみ関心を持つことである。/アルバート・O・ハーシュマンは、18世紀の思想において、諸情念に対抗する一つの情念として「利益(関心)」が持ち出されたことを指摘している。....[/]すると、カントがいう「無関心」は、関心(利益)を括弧に入れて、諸物の差異を新たに見いだすことを意味する。ロマン主義者において、カントの無関心は、まさに経済的関心を括弧に入れることとなり、それは「芸術のための芸術」という形態をとるだろう。[/]だふぁ、さしあたっていうべきなのは、カント的な括弧入れ、あるいは諸領域の純粋化が、諸領域の差異を無化してしまう資本主義経済と切り離せないということだ。....彼が三つの領域に優劣の順位を与えなかったのは、まさに、商品経済がそれらすべてを「利益」に還元するからである。」

●4c9
・柄谷行人
・5
・美学の効用 『オリエンタリズム』以後
・批評空間 II-14,
・KARATANI.K,RYUU.S.,SAID,
・オリエンタリズム、括弧入れ、審美主義、括弧をはずすこと、他者、
・54. 「確かに、柳宗悦は日本人としては例外的に朝鮮人を愛し、その民族の立場に同情し、日本の支配に抗議し続けた。しかし、彼が現在韓国人から批判されるほかないのは、彼の発想がついに審美的なものだったからである。柳宗悦の本を呼んだ韓国人には、それはたぶん、このようなメッセージとして受け取られるだろう。韓国人よ、われわれが君たちに期待する日本を脅かす経済的発展ではなく、あの高麗の青磁器がわれわれに与えた驚きをもう一度与えてくれることだ、と。」 54. 「審美主義の欠陥は、括弧をはずすことを忘れてしまうことである。」 54. 「彼[S.]がいいたいのは、他者が存在するということ、つまり、分析対象にも美的対象にもけっしてならない個々の人間がいるということであり、それを抑圧するものに対して−−それが西洋であろうとオリエントであろうと−−闘い続けるということである。」

●4c10
・山田広昭
・1
・「美学の効用」−−括弧に入れることと括弧をはずすこと
・国文学 H16-1.特集:柄谷行人の哲学・トランスクリティーク
・KARATANI.K.,YAMADA.H.,SAID,SAKAGUCHI.A.,TAUT.B.,OKAKURA.T.,SCHIMITT.C.,BAUDELAIRE,KANT,RYUU.S.,
・柄谷「美学の効用」(1997)、オリエンタリズム、ロマン主義、崇高、認識関心、「生活の必要」(坂口)、他者への尊敬、近代科学、(風景)、審美的態度、『政治的ロマン主義』、
・79.N S.:....。「しかし、K.によれば、それに劣らず重要なのは、「オリエンタリズムが、知的・道徳的に劣ったその当の他者を美的に崇拝するという態度に存するということである」。」 80.柳:....。「これによって柳が植民地支配下にある人々に文化的な同一性と誇りを与えようとしたことは間違いない。しかし、彼が忘れているのは、彼が呼びかけている人々が「別に『美』のために、あるいは『美』によって生きているのではない」ということであって、まさにそういう忘却こそがオリエンタリズムにほかならない。とK.は言うのである。」 81.AD Kant崇高論:「こうした位置取りは実を言えばもう一つの括弧入れである認識的関心が、近代科学の発展を通して主体に可能にしたものである。崇高において美的に享受されているのは、したがって、対象ではなく、主体それ自身だということになる。/オリエンタリズムが広い意味で帰属しているのは、このような主観的美学(審美的態度)である。....C.S.『政治的ロマン主義』....「主観化された機会原因論」....」 /ロマン的主観のこうしたあり方が、他者との関係性においては、まさしく」

●4c11
・山田広昭
・2
・「美学の効用」−−括弧に入れることと括弧をはずすこと
・国文学 H16-1.特集:柄谷行人の哲学・トランスクリティーク
・KARATANI.K.,YAMADA.H.,SAID,SAKAGUCHI.A.,TAUT.B.,OKAKURA.T.,SCHIMITT.C.,BAUDELAIRE,KANT,RYUU.S.,
・柄谷「美学の効用」(1997)、オリエンタリズム、ロマン主義、崇高、認識関心、「生活の必要」(坂口)、他者への尊敬、近代科学、(風景)、審美的態度、共感・共苦(COMPASSION)の審美化、物語・伝説、
・81. 「ロマン的主観のこうしたあり方が、他者との関係性においては、まさしく共感、共苦(compassion)の審美化としてあらわれることに、ボードレールは完全に意識的であった。そのことは、散文詩集『パリの憂鬱』のなかに収められている「窓」という詩にはっきりと見て取ることができる(註1)/「開いている窓を通して外から見る者は、決して、閉ざされた窓を見る者ほどに多くを見はしない。.... 82.その顔から、その衣服から、その身振りから、ほとんど何でもないものから、私はこの婦人の物語を、というかむしろ彼女の伝説を作り上げたのだし、ときおり私は、それを自分に語り聞かせては涙を涙す。....ひょっとしてきみたちは私に言うかも知れない、「その伝説が本物だときみは確信しているのかね?」と。だが、私の外に置かれた現実がどうあり得ようと、何のかまうことがあろう、もしそれが、私が生きることを助けてくれ、私が在ることを、そして私が何であるかを感じとることを助けてくれたのであれば?(阿部良雄訳)」


2009.11.24.作成



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