良い景観とは?  040319読売新聞夕刊:金曜コラム

家の近所にビルや高層マンションが建ち、見慣れた景観がざっくりと変わってしまう。やりきれない気分になる:…・。こうした経験を持つ人は多いはずだ。とりわけ「都市再生」の掛け声のもと、超高層ビルが次々と生まれつつある昨今ではなおさらである。

 先月から今月にかけ、東京・多摩市のパルテノン多摩で開かれた連続講演会「景観を考える」は、その意味では時宣を得た好企画だった。登壇したのは松原隆一郎・東大教授、佐藤健二・東大助教授、若林幹夫・筑波大助教授、安彦一恵(かずよし)・滋賀大教授ら計五人。

@■佐藤健二・東大助教授「風景は『外から』客観的に見るのではなく、人間や動物を内在させて考えるべきだ」 

A■若林幹夫・筑波大助教授「景観は人々をつなぐメディアとして機能する」。

こうした興味深い視点が語られたほか、

B■松原隆一郎・東大教授「市場主義、規制撤廃の流れが景観を急激に変えている」と指摘、経済原理ではなく、「過去から現在、未来への連続性を重視してこそ長い景観が育つ」と説いた。これに対し、最後に登場した安産氏の発言は約百人の聴衆を戸惑わせた。氏の立場はこうだ。

C■ 安彦一恵・滋賀大教授「『長い』景観を求める歴史主義的な美感は、仮構に過ぎない。他人への押しつけにもつながる。あれもあり、これもありというポストモ ダンの現代では、観は良しあしよりも好き嫌いで語るべきだ。景良い「景観」とは?多数が『好き』という景観を採用するのが民主主義である」

安産氏のこうした「多数決原理」には違和感を抱く聴衆が多かったようだ。それで権力・財力のある側に対抗して景観保護を獲得できるのか、マンションの建設訴訟などの具体的問題をどう解決するのか、といった質問が相次いだ。

 記者も疑問を感じた。好きな景観を多数決で決めると言っても、誰が投票するかで選ばれる景観は全く違ってくることが予想されるからだ。松原氏は安産氏の考えを「結局は戦後日本の無秩序な景観を追認するだけ」と批判する。

 しかし一方で、安彦氏の議論はそれなりの重要な問いを投げかけたように思われる。氏によると、中世には景観という概念はなかった。近代になり、世界から「全体性」(=意味)が失われたことで、その埋め合わせとして「昇観」が誕生したのだという。

 「意味」が断片化する現代にあって、それでも長い景観を求めるなら、この「景観」という言葉に潜む歴史性、文化性にも思いを致さねばならないのではないか。そんなことを考えさせた連続講演会だった。(植田 滋 記者)

“都市再生“が進む一方、ごちゃごちゃした架空電線など日常景観は相変わらず(東京・渋谷区の住宅街。後方の高層ビルは東京オペラシティ)