滋賀大学教育学部心理学教室平成4年度卒業論文集への寄稿より


「変わるということ」

     渡部雅之

こういう場には、教訓めいたことわざなどがしぱしぱ登場します。そこで何か適当なものをと考えて、ふと目に留まったのが、はなほだ下品で中し訳ないが拙宅のトイレに貼ってあるカレンダーに書かれてあった次の言葉です。
   『常に流れている水は腐らない』
酒落てトイレに掛けていたわげではもちろんありません。よくある「今月の言葉」というやつです。とりあえず解釈すれば、「人間常に前向きに努力し続けてさえおれは、やがて良いこともあろう、よしんば良くならなくとも、悪<はなるまい」といったところでしょうか。
 しかし「前向きの努力」という曖昧なものでは、心理屋としては物足りないでしょう。そこで今回は、ここでの『流れる』という意味について少し考えてみたいと思います。私はそれを、「変わる」ことであると捉えてみます。
 「変わる」とは何かという問いは、意外に一筋縄ではいかない厄介な問題です。心理学においてこの領域の一翼を受け持つ発達心理学においてさえ、そもそも発達とは何であるのかなどという、根元的な問題がしばしば議論の的になる始末です。これには、80年代からの生涯発達概念の流行が大きく影響しています。それまで人は、大人という完態に向けて変化・発達していくと考えれられていました。ところが、成人は発達の最終形態ではなく、彼らもまた発達し続ける存在なのだとの見方が提示されたのです。ならば大人になってからの変化とは何か、さらには老人において発達とはいったい何を'意味するのか。こうした問いが、現在、発達心理学者達を悩ませ続けています。
 さて堅い話はともかく、先の格言は、人は常に変わり続けることが大切だということを意味しています。しかし、そう簡単に"私"を変えたりできるものではありません。例えば、何年も前になりますが、「人がなかなか神の御言葉に従えないのは、自分が変わることに対する恐れを、誰しも持っているからだ」という説教を、ある牧師さんから聴いたことがあります。信者さえ変わることへの恐れから、その信じる神の教えを実行できていないと諭されるほどなのです。ましてや私のような意志の弱い凡人においてをや、です。例の格言は、恐れを克服し、より良い自分に向けての一歩を積み重ねることの大切さを教えてくれているのでしょう。
 折しも時代は変革の時を迎えています。みなさんが出ていく社会も、急激な変化のまっただ中にあります。そんな中で、毎日自分の中にどれほどの流れを作り出せるのか。この問いを投げかけて、今年の贈る言葉とします。