滋賀大学教育学部心理学教室平成14年度卒業論文集への寄稿より


「良心」

     渡部雅之

 世界貿易センタービルの惨劇から1年以上たった今も,世界は平和へと向かうどころか,あちこちで一触即発の危機が続いているようです。そのほとんどにアメリカが軍事・経済両面で関わっていることは,当然でもあり,また恐ろしいことです。グローバリズムが進む現在にあって,アメリカという価値を有無を言わせず押し付けてくることに,強い反発と批判が生まれることは十分に想像できます。
 一方アメリカ国民は,自分たちがさらされているこうした非難に極めて鈍感であると指摘されます。超大国であるがゆえに外の世界に目を向ける必要を感じないからだ,などと説明されたりします。そんな米国において,しかも9.11の同時多発テロ直後,大統領支持率がなんと90%にも達した時に開かれた下院議会で,大統領に武力行使を認める決議の採択にただ一人反対票を投じた議員(B. Lee)がいます。今でこそ,反戦メッセージがおおっぴらに語られるようになってきましたが,当時の雰囲気の中で反対を唱えるのはさぞかし勇気がいったことでしょう。彼女のことを「アメリカの良心」と呼ぶことがあります。
 しかし良心とは,決して平和を望む道徳的判断を意味するのではありません。皆さんが心理学を学ばれて知ったように,人格的に成長することで形成される内的価値判断基準です。ですから,戦争によって国民の利益を守ることこそ大切であるとの決断も,大統領自身の良心に従った判断であったのかもしれません。もしそうなら,良心に従ったはずの二人の行動がどうしてこうも違うのでしょうか。そこに,これからの皆さんにとって大切な示唆が隠されています。
 昨年話題となった『非戦』(幻冬舎)という本の中で,ニセコ町長の逢坂誠二氏は「色々な考えや価値を持った方がいる,世界には色々な環境,境遇があるのだということ,こうしたことを思い巡らす想像力が私たちには欠如している。この想像力の欠如こそが,今回の対テロ戦争の大きな問題だ。…中略… 私たちは,あらゆることに関して想像力が欠如していることを,強く認識しなければいけない。」と指摘しました。私たちがたゆまず想像力を働かせ,身の回りのこと,まわりの人々,そして遠い世界のことなどをイメージし,自他のちがいを意識し続けることこそが,平和への礎を築くというのです。
 このような不断の努力ができる者こそ,真に成熟した良心を持つと言えるのでしょう。人格理論で有名なLoevingerも,一般的な良心を獲得した後に,より高次の発達段階が存在すると述べています。それは,広い視野と曖昧さへの耐性を合わせ持つ自律的な段階です。良心とは,内なる声に耳を傾けるだけでなく,まわりの全ての声を虚心に聞き,そこから自分にとって本当に大切なものは何かという判断を自律的に下すことのできる能力を指すのだと思います。
 皆さんは卒論を通して,多種雑多なデータから真実を見抜くすべを学びました。しかし,これから皆さんが出ていこうとする社会の複雑さは,実験室で得られる資料の比ではありません。何が正しいのか迷うことも多々あるでしょう。そんな時はとりあえず目を大きく見開いて,まわりの意見を取り込んでみましょう。よき良心はそこから育ちます。皆さんが真に価値ある判断のできる人間になってくれるよう祈っています。