滋賀大学教育学部心理学教室平成16年度卒業論文集への寄稿より

「 よりよき自分探しのために その参」

     渡部雅之

 平成10年度と11年度の卒業論文集に同名の寄稿を載せましたが、今春社会に旅立つ皆さんにも、このテーマで私の最近の思いを贈ります。
 私たちはしばしば、「努力が実を結んだ」とか逆に「努力が報われなかった」と口にします。苦しい思いをしてがんばってきたことが、目に見える報酬や成果として報われてほしいと願うのは当然のことです。そのため、うまくいかなかったときなどは大きく落胆し、自身の不幸を嘆いたり、障害となった人を非難したりしてしまいます。これまでの皆さんの人生にも、あるいはこれからも、そうした経験が幾度か訪れるかもしれません。常に聖人君子でいることは私たちにとって非常に困難なことですから、落ち込んだり誰かに八つ当たりしてしまったりするのも、仕方がないことなのでしょう。
 だからといって、すぐに成果のあがるとばかりに飛びつき大切にするのでは、この社会、そして私たちの人生は、きっと味気ないものになってしまうはずです。そんなことを思うのも、成果主義がますますもてはやされる昨今では、客観的に評価できる成果に結びつかない努力が軽視されがちだと感じるからです。営業マンは売り上げで評価され、工員は生産性で評価され、そして漁師も漁獲量で評価されます。国家百年の大計として論じられるべき教育の領域においてさえも、成果主義が少しずつ浸透してきていることを危惧しています。
 これから皆さんは、教師として、親として、あるいは人生の先輩として、次代を担う者たちを教え導くことになるでしょう。人を育てるということは、必ずしも報われるとは限らない、気の長い営みです。自分がこんなにも尽くしているのに、親切に教えてやっているのに、なぜこの子は思ったように伸びないのだろうか。そんな徒労感に襲われることもあるでしょう。あなたの努力は、すぐには報われないかもしれません。しかし、努力することをやめないでください。その努力が、消えてなくなるわけではないのです。それはあなたの中に、あるいはあなたが向き合った相手の中に、着実に蓄積されていくはずです。あなたが精一杯の努力で託した思いは、子どもたちの中に、その子どもたちが育てる子どもたちの中に、いつの日にか芽を出し、あなたの知らないところで花を開かせるかもしれません。
 そして同時に、毎日の努力はあなた自身にもいつの日にか大いなる実りをもたらせてくれると信じます。よりよき自分、本当の自分を求める「自分探し」とは、こうした日々のたゆまぬ努力の中からこそ生まれると思うからです。どこかにある本当の「自分」という幻想を探し求めるのではなく、日々のひたむきな努力の積み重ねとして「あるべき自分」を作り上げていくこと、すなわち「自分づくり」の過程こそが大切なのです。これまでと変わらず努力し続け、大いに成長した皆さんに再会できることを、心から楽しみに待っています。