滋賀大学教育学部心理学教室平成18年度卒業論文集への寄稿より

「 リハビリテーション」

     渡部雅之

 2006年のその出会いは衝撃的でした。私はそれまで、健常児・者のみを研究の対象としてきたのですが、ちょっとしたきっかけから脳神経外科に入院・通院中の患者さんを相手にすることになりました。さほど多くの方に接したわけではないのですが、それでも教科書の中でしか知らなかった「失語症」であるとか「半側空間無視」であるとかが、いざ目の前で起こるとうろたえます。続ける言葉が見つかりません。間違いをダイレクトに指摘するのは自尊心を傷つける気がしてはばかられ、かといって「大丈夫ですよ」なんて無責任なことは言えませんし、また「まったく気にしないで…」いられたらいつまでたっても実験が終わりません。何人かは、教育実習の時にこれと同じような経験をしたかもしれませんね。「子どもって、どうして思うとおりにならないの!」と。
 私は患者さん方のリハビリテーション(rehabilitation)の時間をお借りして、検査や実験を行っています。このrehabilitationの“re”は「再び」という意味です。recycleやreformの“re”と同じですね。続く“habilitation”の動詞である“habilitate”は、ラテン語の“habilitare:適合させる”という言葉に由来します。また“habilitate”には、“habilis:手先を器用に操れる,能力を持った”という意味もあります。つまりリハビリテーションとは、「再び適合させる・能力を持たせること」という意味です。ちなみに類人猿を「homohabilis」と呼びますが、homoはそれ自身が人間を意味するラテン語ですので、「手先を器用に操れるヒト」というところでしょうか。
 患者さん方は再び(re)社会生活に戻る(habilitare)ために、そして子どもたちはこれから社会に出ていく(habilitare)ために、それぞれが懸命に毎日を過ごしています。そうした姿には、なにかしら圧倒されるような迫力を感じます。社会の中に適合した(有能な)自分であると感じられることが、私達にとってどれほど大切であるのかを、改めて教えてくれる貴重な経験でした。
 さて皆さんは、社会に出て行く前の貴重な4年間をこの大学・研究室で過ごしました。私達スタッフは心理学の修得を中心に、皆さんが“habilitate”するのをお手伝いしてきましたが、その成果として、より“habilis”な自分に成長できたと感じているのなら幸いです。しかし皆さんはこれからも、適合しなければならないさまざまな環境と向き合うことになるはずです。心理学の知識や技能は器用に操れるようになったかもしれませんが、大学では学ばなかった、そしてもしかすると人として本当に大切な能力を操れるようになるかどうかは、皆さんの今後の努力次第なのです。“habilitation”は子どもや患者さんだけのことではなく、生涯発達の根幹として私達すべてに求められていると言えるでしょう。でも万が一、がんばることに疲れ果ててしまったときには、懐かしの大学に戻って“rehabilitation”するのもいいですね。歓迎します。