滋賀大学教育学部心理学教室平成21年度卒業論文集への寄稿より

「あなたは誰と石を持ち上げますか」

     渡部 雅之

  勝間和代さんを知っていますか。香山リカさんはどうですか。「断る力」(勝間和代,文藝春秋)や、そうした考え方に対する批判としての「しがみつかない生き方」(香山リカ,幻冬舎)が新聞やテレビで話題になったので、このお二人の名前を耳にされた方は多いでしょう。勝間さんは、一人ひとりが自分を確立することが大切だと主張し、そのための経済的・精神的な自立を勧めています。対する香山さんは、精神科医としての全人的な共感を背景に、個性の尊重とありのままの自己受容を訴えているように思います。
 今年、皆さんに贈った色紙には「自分一人で石を持ち上げる気がなかったら二人でも持ち上がらない」というゲーテの言葉を記しました。直喩的な表現ですので、意味は容易に理解できるでしょう。心理学的には責任の分散理論に通じます。ある課題を複数の者で解決しようとする際、「どうせこの中の誰かが余分にやってくれるだろう」と考えて、一人ひとりの責任感や作業量が必要以上に低下する現象のことです。大学時代までの皆さんは、誰かに見守られ、教えを受け、時には助けてもらって困難を乗り越えてきたはずですが、これからは社会人として、あるいは近い将来には親として、自分の人生を切り開き、また大切な誰かを守り育てていかねばなりません。そのためには、常に「自分一人で石を持ち上げる」気概がないと、「…二人でも持ち上がらない」ことになりかねません。この考えは、勝間さんの主張に近いものに思えますね。しかし、後半部分の重要さにも目を留めたいと思います。「…二人でも持ち上がらない。」
 言うまでもないことですが、私たちの社会は、一人ひとりが自分の役割を果たしつつ、互いに助け合って成り立っています。「自分一人で石を持ち上げる」ことなど滅多になく、たとえ自分はそうしたつもりでも、実際には誰かがそっと支えてくれているのかもしれません。そうした現実を踏まえて、香山さんは謙虚な姿勢でいることの大切さを訴えているように感じます。
 皆さんには、いっしょに持ち上げてくれているその「誰か」への感謝を、常に忘れないでいて欲しいと思います。また、困った時にいっしょに持ち上げてくれる人が、あなたのまわりにいっぱい見つかるといいですね。そのために、たくさんの人とのすてきな出会いが訪れるよう祈っています。そして、「先生、これからの人生、私はこの人といっしょに石を持ち上げます!」という皆さんからの喜ばしい知らせも、教員という仕事へのささやかなご褒美なのです。