滋賀大学教育学部心理学教室平成5年度卒業論文集への寄稿より


「英国でのある夜の出来事から」

     渡部 雅之

 早速私事ですが、昨年度から今年度にかけて、英国留学の機会を与えていただきました。その間卒業生の皆さんにも、授業等の面でご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。多くの皆さんのご厚意に甘えて実現したこの貴重な経験の中から、心に残る思い出を1つご紹介します。
 在英中は、セミ・ディタッチト・ハウス(一軒の家が中央で左右対象に仕切られており2世帯が住む)と呼ばれる家を借りて、家族とともに過ごしました。ロンドンから特急で北に3時間という所で、酷寒ということはありませんが、冬の暖房は欠かせません。おまけに家自体も石造りですので、暖房が切れるとひしひしと寒さが押し寄せる気がします。わが家の暖房は、あの辺でよく見かけた温水によるセントラル・ヒーティング方式でした。壁の中に埋め込まれたガス湯沸器でお湯を沸かし、それを各部屋の暖房パネルに循環させる仕組みです。
 さて11月のどんよりと曇った風の強いある日のこと、私が帰宅すると家内と子どもがベットの中で震えています。色々やってみたが、あのヒーターが働かないとのことです。ガス会社の修理も明日の午後になるとのこと。スイッチを触ったりサーモスタットを最高温にしたりしてはみましたが、直る気配はありません。異国のことで、他に暖房器具がありませんでしたので困ってしましました。今日はとりあえず在りあわせの夕飯を食べて、服を着たまま寝てしまおうかとも思いましたが、あまりの寒さと心細さに、すがる思いで同じ屋根の下の隣りのモーリンおばあさんの家の戸を叩きました。彼女の家の暖房も同じ仕組みだろうから、修理のヒントを与えてくれるかもしれないと考えたからです。
 「とりあえず診てあげるわ」とわざわざ我が家にやってきた彼女は、先ほど私がやったようなことを試していましたが、結局分からないと言い、私の微かな望みを断ち切ったかにみえました。しかし驚いたのはこれからです。「向いのブライアンなら電力会社に勤めているから直せるでしょう」と言って、お向いまでその彼を呼びに行ってくれました。ブライアンは壁の中の湯沸器を跪いて覗き込んでいましたが、「自分ちの物とはタイプが違うからよく分からない。マーシュさんちが同じタイプだったと思うから、彼を呼んだら」と言って、結局夜中にまた一人、わが家の騒動に巻き込むことになったのです。やって来たのはおじいさんでした。ブライアン同様、長々と中を覗き込んでくれた後、これはガス会社に来てもらわないとだめだということになりました。結局、モーリンが大家さんに事の次第を電話で伝え、その大家さんからガス会社への緊急の修理依頼でやってきたサービスマンよって、我が家は暖を取り戻しました。しかし、ひと月ほど前に突然現れた異邦人である私達に対して示してくれた彼らの行為は、再びともったヒーターよりも暖かく私達を包み込みました。
 今年はコメントをつけずに、このエイピソードを贈る言葉の代わりとします。