滋賀大学教育学部心理学教室平成23年度卒業論文集への寄稿より

「 3.11を思う」

     渡部雅之

 歴史上の出来事は、しばしば数字によって記憶されます。例えば794年,1192年,1600年…のように。それが近年のことならば、日付で語られます。1.17や9.11のようにです。そして、今年はここに、「3.11」が加わりました。言うまでもなく、東日本大震災の起こった日です。
 あの時以来、全てが東北の復興を中心に回っていると感じることさえあるほど、あの震災は我が国にとって大きな衝撃でした。でもほとんどの場合、関西にいる私たちには、テレビや新聞を通じてしか、被災された方々の窮状を知るすべはありません。それでも、そうした方々の、おそらくは今も続いているであろうご苦労や悲痛な思いは、決して想像に難くありません。
 少しでもそんな人々の力になりたいと、多くの若者が被災地を訪れてボランティア活動に従事したり、あるいは地元でできる支援活動を行ったりした様子が、何度も報道されていました。それは、とてもうれしく、また(すでに次世代に期待し始めたおじさんとしては)心強く感じるニュースでした。皆さんの中にも、この種の活動に参加された方がいるのではないでしょうか。
 さらに、スーパーで売られるような商品にも「がんばろう!東北」の文字が印刷され、被災地の一日でも早い復興が、日本中で望まれています。しかし、阪神・淡路大震災の例を引くまでもなく、やがてある程度の復興がなされてしまうと、この国の人々は急に関心を失う傾向があります。日本人の欠点は、熱しやすく冷めやすいことだと言われます。皆さんが感じている、東北への支援の気持ちと関心が、どうかこの先も長く続くように願っています。
 一方で、東北地方の復興に直接力を尽くそうとしても、個人の力では限界があり、また関西に居住する者には労の多いのも事実です。そこで、これから先も長く続けられる、皆さんなりの支援を考えてみてはどうでしょう。たとえば、あなたの周りも助けを必要としている方が大勢いるはずです。そして、そういう方々への支援として、あなたが無理なく続けられることがあるのではないでしょうか。それは、人目を引く活動ではないかもしれませんし、直接被災地を助けるわけではありませんが、巡り巡って私たちの社会を少しずつよくしていくことにつながる、大切で不可欠な営みなのです。
 かけがえのない多くの人命が失われた3.11という日が、せめて若い皆さんの関心と活動をより広く社会に向ける契機となった数字になればよいと思います。そしてそれが、せめてもの鎮魂になることを、心から願います。