滋賀大学教育学部心理学教室令和2年度卒業生へ

「危機の中で」

     渡部雅之

 皆さんの大学生活最後の年は、新型コロナウィルス感染症に振り回された1年になってしまいましたね。教採・就活や卒論をはじめ、日常生活のさまざまな面で難儀したことでしょう。若い力と忍耐で問題を乗り越え、晴れて卒業の日を迎えられることを嬉しく思い、心からお祝いいたします。
 これほどの大規模なパンデミック(世界的大流行)は、公衆衛生上、百年に一度の危機と言われていますが、そのほかにも1918年に流行した新型インフルエンザや、1981年に報告されて以来、アフリカを中心に感染拡大が今も続くHIVなど、多くの犠牲者を出す感染症を人類は何度も経験してきました。また、80年前には、日本が唯一の被爆国となった悲惨な世界大戦がありました。この時の犠牲者は、民間人を含めて数千万人にのぼると言われています。人々に苦難を強い、人類の存続さえ脅かすような事態は、私たちが思う以上に頻繁に起こっているのです。
 個人も一生の中で何度か大きな危機を経験します。(誰も覚えてはいませんが)最初の危機は、暖かく心地いいお母さんのお腹の中から、光や音、気温差などの強い刺激があふれる外界に、非常に未熟な状態のまま産み出されたことです。しかし、この生理的早産の仕組みのおかげで乳児の柔軟な脳神経系は早期から刺激され、高度な知性や社会性を身につけるに至ったと考える研究者もいます。アイデンティティ概念を提唱したことで有名なエリクソンも、人生に何度か訪れる心理社会的危機の克服が、私たちに心理社会的成長をもたらすと述べています。こう考えると、危機は新たな成長段階への扉を開けるために不可欠な鍵なのかもしれません。RPGの主人公が、モンスターと戦って経験値を上げながらアイテムを手に入れ、順にステージをクリアしていくのと似ていますね。皆さんも、自分の成長を信じて頑張り続けることのできる力を、この4年間でしっかりと身につけてくれたように思います。そこで、卒業して社会に出て行かれるにあたり、一人ひとりに新たなミッションを与えておきましょう。指令は「危機にある時も、広く・深い視野で物事を考えよ」です。
 今回の新型コロナウィルス禍で被害を被ったのは、皆さんだけではありません。例えば、学びの機会の喪失や貧困・虐待の深刻化など、大きな危機にある子ども達が増えています。国の新型コロナウィルス対策費用の多くは赤字国債によるものですので、国民一律の給付金や感染拡大で大きな影響を受けた企業に支払われる持続化給付金は、子ども達が将来受け取るはずであった資産を、大人である私たちが今使ってしまうことを意味します。自分に降りかかる危機に目を奪われてしまうと、人の視野はどうしても狭くなり、判断が偏ったものになりがちです。皆さんには、自分の目先の事だけを心配するのではなく、周りの人々、特に文句も言えないまま権利を侵害される将来世代に、何が起こっているのかにしっかりと目を向けていてほしいと願います。そうやって1つ1つの危機を乗り越えていくことにより、あなたは着実に自己実現というラスボスに近づいていくはずですから。