滋賀大学教育学部心理学教室平成6年度卒業論文集への寄稿より


「実験室での祈り」

     渡部 雅之

 学生時代の恩師が大学を移られることになり、先日、前任校での最終講義を聴きに行って来ました。自己概念研究で有名な方ですが、この時は卑近な例を引きながら、あるがままの自分に気づくことの大切さを話されました。その中で、「自分の世界と他人の世界とは全く違うのだということを、私はこの年になって初めて本当に実感できるようになった」と語られた言葉が印象に残りました。
 人が認識している世界は、その個人の心が作り上げた独自のものであって、たとえ同じ環境で同じ刺激を受けたとしても、その受け取り方は異なるのだという考え方は、いわば心理学の常識であり、今さら取り立てて主張するほどのものではないかもしれません。しかし、頭では当然のこととして理解しているはずのこの真理を、私たちはどれ程生々しく感じているのでしょうか。
発達心理学や児童心理学を講義していて思うのですが、「子どもは大人を小さくしたものではありません、独自の世界を持っているのですよ」と教えても、学生諸君がそれを実感として受けとめてくれているのだろうと危惧する気持ちがあります。私は今年度の後半、幼児を対象とする実験のために、幼稚園の2,3歳時クラスに出入りしましたが、幼い子ども達に接すると、いつもながら彼らの心の世界の独自性に驚かされ、また惹きつけられる思いがしました。しかし、毎日こうした子ども達に接しておられる先生方や、子育てを終わられた年輩の方々などの目には、まだまだ私などは子どもの真実を体感できていないと映るかもしれません。自分とは異なる認識世界が存在することを本当に肌で感ずるには、自分自身に対する頑強な囚われから解き放たれる必要があるのです。
 心理学という学問をすることは、行動や思考を予測したり説明したりするための知識が増えるばかりではなく、人というものについての理解が深まり、それによって自分を成長させていくことができるのではないかと、私は淡い、そしておそらくは甘い期待を抱いています。実験を通して、またデータを眺めていて、子ども達の心の世界の一端が目の前をふっとよぎるときなど、身震いするような喜びを覚え、同時にその感動がもっと長続きするようにと祈るような気持ちになるときがあります。これが私を、お世辞にも清潔とは言えなくて、おまけに腰痛の原因までつくってくれる、子ども達に再び向き合わせる原動力となっているのでしょう。
 さて、皆さんは心理学研究室で卒論を書いて、どんな喜びと学びを得ましたか?