滋賀大学教育学部心理学教室令和5年度卒業生へ

「卒業論文の思い出」

     渡部雅之

 私が卒業論文を提出してから、もう40 年がたちました。その結果をまとめ直して投稿した論文が「幼児の位置関係の変換に関する発達的研究」として雑誌に掲載されたことで、滋賀大学に採用されて今日に至っています。この幸運がなければ、皆さんと出会うこともなかったはずです。卒論が人生を決めたと言っても過言ではないでしょう。その後も、プロの研究者としては決して多い方ではありませんが、国内外の雑誌に50 本ほどの論文を公刊してきました。しかし、卒業研究ほどに思い出深い経験はなかったように感じています。

 卒論テーマは幼児の空間認知能力でした。9 種類の課題を用意して個別実験を行いましたが、一度では実施できなかったので、3 回ほどに分けて参加してもらいました。4 つの保育園に協力をお願いし、1 月半ほどかけて100 名弱のデータを集めました。実験期間中はほぼ毎日どこかの園に通っていた計算です。午前中はラポール形成のために子どもたちと遊び、午睡前後に実験をするという繰り返しで、下宿に戻るといつもぐったりでした。結構な量の検査道具一式を原チャリに括り付け、泥だらけの子どもに抱きつかれても大丈夫なジャージ姿で駆け回る様子も、“心理学研究”という言葉の輝きとはほど遠いものだったと思います。それでも、自分が選んだ課題を、自分の好きなように、思う存分やり遂げた経験は、私の中で今でもひときわ輝いています。

 同じような満足感を皆さんの卒論発表会を見ていて強く感じます。「心理学教室に希望して入ったはずなのに、心理学の勉強に打ち込めないのはなぜ?」と思う学生も正直、毎年必ずいますが、そんな彼ら・彼女らも、自分の卒論について語る時だけは誇らしげです。それは好きなことができたからという理由だけではないでしょう。テーマの絞り込みから始まり、先行研究の探索と読み込み、調査や実験の準備と実施、そして分析と執筆に至るまで、あれこれと悩み、苦しみ、時には恥ずかしい思いや失敗したことさえあったかもしれません。それにもかかわらず、過ぎてしまえば充実した日々として思い出されるのは、卒業研究が単なる分厚いレポート作成ではなく、自分の興味・関心や強み・弱みに否応なく向き合い、自分という人間をより深く知ることにつながる貴重な経験だったからなのだと思います。

 これからの社会人生活で、皆さんはさらに大きく成⾧していくことでしょう。その時、多感な大学時代に自分を見つめ直しつつ取り組んだ卒論の思い出は、色あせるどころか、これからのあなたを支えてくれる大きな礎になるはずです。そう思えるくらいに卒業研究に正面から取り組んだあなたに、(成績評価とは別の)大きな花丸をあげたいと思います。