滋賀大学教育学部心理学教室平成10年度卒業論文集への寄稿より


「よりよき自分探しのために」

     渡部雅之

 最近,心理学がブームです.己を知り,他人を知り,さらには自分の生き方を変えれるのではないかと期待しているような向きもあります.しかし,4年間心理学を勉強してきた皆さんには,心理学という学問に何ができて何は虚構であるのかが,おぼろげながらも理解できたのではないでしょうか.
 同時にもう1つ,よく雑誌等で目にするはやり言葉があります.「自分探し」です.これも,心理学を学び,卒業論文を仕上げた皆さんには,心理学が与えてくれるようなことではなく,人それぞれが生涯を通じて取り組んでゆくべき課題であることがわかるでしょう.エリクソンが青年期の同一性確立という概念を提唱してから久しいですが,今日の「自分探し」には,それとは少し違ったニュアンスがあるような気がします.どこかに本当の自分がいるのではないか,そんな幻想にも似た願望を感じます.今ここにいる自分は仮の姿で,毎日の生活にも今ひとつ充実感がなく,夢の中をさまよい歩いているような,そうした現実感を持つ人が増えているのではないでしょうか.
 これを,日本社会が豊かになって,モラトリアムが際限なく延長したからだと片づけるのは簡単です.しかし本来,モラトリアムというのは,同一性の確立を目指して懸命にもがき苦しむ状態を意味します.「自分探し」を口にする人々の中には,どうもこの懸命さ,ひたむきさが感じられないことがしばしばあります.そこで,いくつか言葉を引用し,これから長い「自分探し」に旅立つ皆さんへの餞としたいと思います.
 『日本はインドのことよりも,日本の内なる貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです.愛はまず手近なところから始まります.』これは,ノーベル平和賞受賞者でもある,あのマザー・テレサが遺した言葉です.今の日本は大変裕福になり,途上国に対する援助やボランティアも盛んですが,そんな私たちに,彼女の言葉は痛切に響きます.マザーはさらに,こう続けます.『最も悲惨なことは,飢餓でも病気でもありません.自分が誰からも見捨てられていると感じることです.…遠くにいる貧しい人々について話したり関心を寄せたりすることは,容易で単純です.もっと難しく挑戦的なこと,それは私たちのほんの近くにいる貧しい人々に注意や関心を向けることなのです.…飽くことなく与え続けて下さい.…痛みを感じるまでに,自分が傷つくほどに与えつくして下さい.』
 「自分探し」は,自分の中だけで完結するものではありません.むしろ,私たちが生きるこの社会の中で,自身の居場所と生きている意味とをみいだすことこそが,真の自己をみいだすことにつながります.遠くの国々やずっと将来のことをあれこれ気にかけることも決して悪いことではありませんが,何より重要なのは,今ここで自分を取り巻く,人や環境をしっかりと見つめ,それらと誠心誠意関わることだと思います.ささやかな毎日の積み重ねの中にこそ,自己の充足と発見があるのです.
 このメッセージの意味を実感する頃には,あなたは本当の自分自身を,しっかりと手にしていることだろうと期待します.