滋賀大学教育学部心理学教室平成12年度卒業論文集への寄稿より


「ありのままに」

     渡部雅之

 何事においても,現象をありのままに見て理解することは大切です.卒業される皆さんは,それぞれの関心に沿って卒業研究を行い,論文を作成したわけですが,その過程において,実験や調査の結果,観察記録などを"ありのままに"見る訓練をつんできたことと思います.こうした大学での勉強や経験が諸君に教えてくれるのは,高校までとは異なり,物事をまずは疑ってかかることの必要性でしょう.事実,人類の進歩は,先人の知識を受け継ぐことだけではなく,同時にこれを疑うことから生まれてきたのです.
 一つ例を示しましょう."ありのままに"に引っかけて,アリの話です.巣から出て食べ物を求めてさまよい歩くアリたちは,あっちへうろうろ,こっちへうろうろと,行きつ戻りつ,ジグザグ歩き回っています.そして,やっと待望の食べ物を見つけました! するとどうでしょう.彼らはその獲物のことを一刻も早く巣にいる仲間たちに伝え,運搬の手伝いを募るために,一直線に巣に戻っていくのです.来た道をまた辿ったりはしません.この大発見(?)は,アリの行動を,それこそ"ありのままに"観察し得た者によって得られました.アリには(そしてある程度は私たち人間にも),動き回りながらも自分と巣の位置との関係を常に正確に把握し続ける,こうした能力が備わっています.しかし,全く初めての場所に行ったときには,帰り道も同じ道を戻ってこなければ迷ってしまうのではないかと考えるのが普通です.もし,こうした常識にとらわれてしまい,アリだってきっと来た道を戻っているに違いないと決めつけていたら,先のような発見はできなかったでしょう.
 常識を身につけることはもちろん大切です.そしてそれが,社会に出る前の子どもたちであるならなおさらです.しかし諸君は,晴れて大学を卒業し,同時に子ども時代も卒業して,これから社会人として生きていこうとしているわけですから,しっかりとした常識の上に,あえてそれを疑ってみることの知恵も身につけていただきたいと思います.常識を疑い,"ありのままに"物事を見,自分の頭で判断できること,それが激動を予感させるこれからの時代を生きる皆さんにとって,望まれる能力ではないでしょうか.
 そのためには,いつもあなた自身の心を柔らかく保ってください.柔軟な心でないと,風が本当はどこから吹いてくるのかを知ることができないからです.皆さんへの送別の色紙に記した「行雲流水」という言葉は,こうした心のありようを願ったものです.かと言ってまわりに流されてばかりいるのではいけません.ただよう雲も流れる水も常に変わらず雲であり水であるように,皆さんにも「あなたらしく」あり続けてほしいと願っています.