滋賀大学教育学部心理学教室平成24年度卒業論文集への寄稿より

「無知の知」

     渡部雅之

 少し私事をお話しします。私が発達心理学を志してから、30年以上の年月が流れました。この間、常に勤勉であったわけではありませんが、自分なりに精一杯がんばってきたつもりです。若い頃には、新しいアイデアを思いついて、これで画期的な進展が得られると小躍りしたこともあります。しかし最近では、創造力の衰えもあってか、そのような感動を得ることは少なくなってきました。
 また昨年、五十歳の誕生日を迎えたときに、息子から「知命の歳だからじっくりと仕事ができるようになったらいいね」と言われました。小生意気なとは思いましたが、振り返って考えてみると、納得できる部分が大いにあります。無我夢中であれこれと研究を進めていた20〜30代に対し、40代に「視点取得」を生涯のテーマとして定め(まさに不惑ですね)、博士号を取得したことの延長に、認知検査ゲームの開発や生涯発達過程の解明など、近年のいくつかの仕事があると感じています。10年前には自分がテレビゲームを創っていようなどとは思いもよりませんでしたし、子ども達への関心から発達心理学の道に入った私が、高齢者を相手にしていることも想像できませんでした。それ故、まさに天が導いてくれたのもしれません。30年も視点取得というマイナーなテーマを続けてきたからこそ可能なこれらの仕事を、天が私のために用意してくれたのだと思います。
 そして、それらのための研究計画を考え、実行していく際には、以前のように青臭い高揚感ではなく、請け負った仕事を誠実にこなしていくことを考える、職人のような自分がいるのを感じます。研究者としては物足りないのかもしれませんが、私の能力と今の環境の中で考えると、こうした仕事を疎かにしてはいけないと思います。いやむしろ、それが視点取得の発達過程の解明にとって、さらには発達心理学の進歩にとって不可欠であることが実感できるようになりました。発達心理学を学び続けることで、自分に何が足りないか、そのテーマに関して何がわかっていないのかが、以前よりもよく見えるようになった気がします。
 皆さんも大学で多くのことを学ばれたことでしょう。それによって、これまで知らなかったことがわかるようになったはずですが、しかし同時に、知らないことがますます増えたと感じているかもしれません。それこそが皆さんの成長の証です。学ぶことで人はさらに自らの無知を知ります。それを克服するために、さらに学び続けることが、私たちを人としての高見に導いてくれるのです。
 在学中もそうであったように、皆さんのこれからの人生が、真摯な学びの道程であることを期待しています。