滋賀大学教育学部心理学教室平成28年度卒業論文集への寄稿より

「文理融合のすゝめ」

     渡部雅之

 滋賀大学創立以来となる新学部の開設が間近であることを、皆さんもご存じでしょう。データサイエンス学部です。(卒業する4回生は一足違いで残念でした)社会に溢れているビッグデータから、秘められた意味を見つけだし、新たな価値を創造することのできる、データサイエンティストの養成を目的とした学部です。そのカリキュラムの特徴が「文理融合」です。データを管理、加工、処理、分析するスキルは理系的ですが、その分析結果を価値創造に生かすために、多くの場合、文系的な素養が必要となるのです。
 それってどこか心理学に似ていませんか?
 心理学も、人の『こころ』という極めて文系的なものを対象にしながら、実験・調査によって数値データを収集し、統計学を用いて分析しますよね。皆さんの中には『こころ』の働きについて知りたくって学校心理に入ったのに、理系みたいにデータ分析について勉強させられるなんて…と思った人もいるのではないでしょうか。しかしそれは、心理学が科学として存在するために必須の手続きなのです。『こころ』は私たちみんなが持っているだけに、その働きについて「きっとこんなふうだよ」と、これまでの生活経験から推測することも十分に可能です。事実私たちは、子ども時代に人の『こころ』の働きについて知識を蓄え(そうした知識を『素朴心理学』と呼びます)、他者の心を理解する「心の理論」へとつなげてきました。その素朴心理学の示す予想が常に正しければよいのですが、複雑な人間関係や社会状況において、『こころ』は予想もしなかった不可思議な動きを見せます。また、主観的経験によって作られた素朴心理学は、個々人の思い込みの影響を受けがちです。こうした間違いに陥ることなく人の『こころ』のメカニズムに正しく迫るために、哲学(文)をルーツとする心理学はデータ分析(理)を必要とするのです。
 同じことは、卒業生の多くが携わることになる、教育の世界にもあてはまります。私たちは、小学校、中学校、高等学校と12年以上にもわたる学校教育を経験しますので、「教育とは何か」「学ぶとはどういうことか」について、十分すぎるほどわかった気になっています。しかし、それは事実の一部でしかありません。卒業生の皆さんは、入学前の自分自身の理解がいかに未熟であったかを十分に学んだはずです。さらに近年は、教育分野におけるエビデンスベーストの重要性も指摘されるようになりました。経験だけに頼らず、統計データなどの科学的根拠に基づいて、望ましい教育方法や教育政策を考えようとする動きです。だからといって、ビッグデータや統計解析が教育に不可欠であるとまでは言いませんが、教育学部で学ぶ意味、心理学を専攻する意義は、教育あるいは人間について、経験に頼る以上に適切な理解と対応ができるようになることなのは間違いありません。
 教育学部・学校心理専攻で学んだ皆さんは、自分なりの考えを持ちつつも、同時に物事を客観的・分析的に考える習慣を身につけたと思います。まさにこれこそが文理融合的な態度です。文理融合とは、必ずしもデータ云々の話ではなく、人や教育の在り方について、しっかりとした理念(文)と冷静な観察眼(理)を併せ持つことなのです。分離融合型人材を体現して社会に旅立つ皆さんの、今後の大いなる活躍を期待しています。